2016年07月15日

小高の家具職人のこと (故郷は思い出が刻まれた記憶の場所)


小高の家具職人のこと


(故郷は思い出が刻まれた記憶の場所)


NHKで放送していた小高の家具職人のことが何かやはり郷土史と関係していた。
古いタンスを直してまた使うようにしている。
古いタンスには思い出があり親の思いとかがこもっているから壊さないで捨てないで使ってほしいというのもわかる、嫁入り道具として買ったものがありと親の思いがこもっている
それで傷ついていたがそこまで残して修理している
その人は今は会津の方で仕事している。
だいたい家そのものが記憶としてある、自分の家も姉がいつも自慢していた。柱を橲原の木を使っているとかいつも自慢していた。実際は姉と母が建てたものである。
自分はその時何の協力もしなかった。ただ与えられたものである。
だから自分で苦労したことがないからそうしたら思い入れがないともなる
自分で何でも苦労して作ったものには思い入れがある。
他でも苦労して建てた家だからと言う人が多いのである。
そしてなぜゴミ屋敷のようになるかというとその物には単に物ではなく思い出が残っているからである。
今になるど姉も母も死んだし残された大きな家に一人で住んでいるのも不思議になる


ただこの辺で起きたことは考えられないことだった。まず故郷が消失するとか住めなくなることなど考えることもできなかった。
その時どういうことが起きたのか?今まで普通にあったものが見直されたのである。
特別注目されないなものが貴重なものとして認識されたのである。
そしてわかったことは故郷とか街とか家とか家具でもそれは人間の生活した記憶の場だったのである。記憶が刻まれた場所だった。
この記憶がいかに大事かというと最後は人間は記憶だけが残り記憶に思い出に生きることになる、だから老人は昔の話を自分が経験したことを何度でも話すのである。
認知症になると病気だから極端になり自分は戦争のことを姉から千回もきかされたともなるそうしてなぜそんなに話すのかというとそれが生きた証だからである。
自分が生きたことを確認する作業なのである。自分はこう生きてきたんだということを知ってもらいたいということもある。

そして故郷と街とかは生活したことが刻まれた場所なのである。
農家になると一代だけではない、何代もつづいて記憶が先祖から刻まれた場所になるから愛着が深いのである。
自分も記憶は本当に不思議だと思う、自分は旅に生きたから未だに記憶で日本だけではない、世界中をさまよっている感覚になる。記憶の中で旅をしつづけているのである。
最後は記憶を生きているという感覚になるのだ。
それは平凡な生活でもそうである。近くの医院の建物がいかにも古くそこに母が通っていた。
その医院の近くの墓に母はもう眠っている、まだ死んで半年である。
その医院の先生は優しいと言っていた。一方近くのもう一軒の医者は腕はいいが口が悪く評判だった。母は優しい医者の方に行っていたのである。
何かその墓から路地裏の道をたどって通ってくるような感じになる、自分もつきそって来たことがあるからだ。
「ここの先生はやさしいんだよ」と通ってくる感じがする。
そういうことも街というのには記憶して刻まれているのである。

不思議なのは記憶は大通りのような明るい所よりまっすぐな道より曲がりくねった路地裏のような細い道に記憶が刻まれている、残っているという感じもする。
墓からその医院までは近いということも影響している
墓が街中にあることはやはり死者となっても生活が継続している感じになるのである。
だから墓町という地名もある。
第一毎日自分はその自分の家の墓の前通っているから親しいのである。
これが年に一回と遠くに墓参りするとなるとそんなに親しみを感じないだろう。
自分の墓は毎日の生活の中で行き来している所にあるから親しいとなるのである。

ある夜、店じまいした飴屋の雨戸をたたく音がするので主人が出てみると、青白い顔をして髪をボサボサに乱した若い女が「飴を下さい」と一文銭を差し出した。主人は怪しんだが、女がいかにも悲しそうな小声で頼むので飴を売った。 翌晩、また女がやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出す。主人はまた飴を売るが、女は「どこに住んでいるのか」という主人の問いには答えず消えた

ある民家で、妻が妊娠中に死亡し、埋葬された。その後、町に近い餅屋へ、赤ちゃんを抱えた女が毎日餅を買いに来るようになった。餅屋の者は怪しく思い、こっそり女の服のすそに赤い糸を縫いつけ、彼女が帰ったあとその糸をたどってゆくと、糸は草むらの墓の上にかかっていた。知らせを聞いた遺族が墓を掘り返してみると、棺のなかで赤ちゃんが生きており、死んだ女は顔色なお生けるがごとくであった。女の死後、お腹の中の胎児が死後出産で生まれたものとわかった。遺族は女の死体をあらためて火葬にし、その赤児を養育した
E3%81%A6%E5%B9%BD%E9%9C%8A

こういうことは墓が身近にあり生まれた伝説なのである。人間は死ぬと伝説化する
だからこういうことは生々しい話なのである。
何か本当に自分の母親もこの医院に墓から来るように思えるからだ。

つまりこういうことは村であれ町であれ人間の記憶としてあるからそうなる
この伝説はそういう事実があり子供に対する愛情が深いから残った伝説である。
町の医院にしてもそれがまだ残っているし母が死んでも半年になったばかりである。
今年は始めてのお盆になる。お盆には死者が家にやってくるいうときやはりそういう感覚になる。
家具というのもやはり単なるものではない、ものが心と一体化していた。ものとはものがつくとか心でもあったからである。人間は死んだら残ってるのはものになってしまうからである。

いづれにしろ何か津波や原発事故では考えさせられることが多かった。
まず故郷は何なのかなど考えることもない、普通にあるものであり考えることもない、あって当り前のものだったからである。
原発事故で家具職人でもやはり何かスキルとか仕事を持っている人は強いと思った。
会津の方で桐の木工がありそのスキルも活かせる、仕事ができるということはその土地の人に受け入れられるのである。
ただ補償金でパチンコしているような人は金があっても受け入れられない
農民の場合は土地がないと仕事ができないということが致命的だったのである。
大工とか職人はどこに行っても仕事ができるということが強みだったのである。
つまりこうした緊急の事態になとまた日頃していたことが問われた。
パチンコばかりしてし遊んでいたら回りの人がどうみるかである。
ともかく日頃の生活が何であれ大事だとなる、それがこうした緊急事態でも困難な時に力を発揮することになる。

老人が故郷に帰りたいというときそこは何でもないようにみえても生きた記憶が残っているから離れられないのである。他に移ったらそうした生きた記憶が失われるからである。それで老人はその記憶を語るのである。
古いタンスでもそこに思いが残っているし記憶があるから捨てることができない
ヨーロッパではローマ帝国などの遺跡が石とともに残っている、そうすると必ず歴史を具体的なものとしてふりかかるのである。
日本には石の文化がないことで歴史が身近に感じられないのである。
アンテーク文化があるのもヨーロッパであり古いものを大事にする。すると過去から歴史の連続性の中に生きるから生が豊かなものになるのである。

iinnn122.jpg


iinnn1.jpg

タグ:家具職人
posted by 老鶯 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/176087498
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック