2016年07月17日

権力とかかわると宗教でも何でも腐敗する (イスラムは政教一致だから問題が起きる)


権力とかかわると宗教でも何でも腐敗する


(イスラムは政教一致だから問題が起きる)


イスラム系与党・公正発展党(AKP)の実権を握るエルドアン大統領が強権化を進める中、「世俗主義」の守護者を自任する軍の中で不満が高まったことが一因とみられる。
トルコでクーデターか=軍が展開、群衆に発砲も−「権力掌握」と宣言

 この勢力が何者なのかは不明だが、ロイター通信によれば、ボズダー司法相は、エルドアン氏と対立するイスラム団体「ギュレン運動」が関与していると主張

 今回のトルコはわかりにくい、今のエルドアンがイスラム原理主義政党でありそれに反対したのが世俗主義の宗教団体だというのもわかりにくい、普通はこの逆になっているし過激なイスラム原理主義者が問題を起こしている。

そもそもなぜイスラム教が関係しているところに政治問題が発生しやすいのか?
それは政治と宗教が一体化しているからである。
政教一致でありその宗教自体に問題がある
ヨーロッパでなぜ政教分離になったかというとカトリックが土地でもなんでも所有して強大な権力をもったからである。そのことの反省から政教分離になった。
イスラム教は完全な政教一致であり原理主義者は特にそうなる

原理主義者とは何か?それは宗教を個々人の内面にとどめるのではなく社会を改革してこの世を天国にするという思想である。一見これは別に正しいことであり人々にとっても悪いことはないと見える、キリストは天国は心の中にあるというときそれは心が無私なる愛とかに満たされた時すでにそれが天国だと言っている、仏教でも宗教は元来そういうものだった。ただイスラム教は政治と一体化しているから異質なものとなり理解できないのである
宗教が強制できないというときお前の心がキリストのようになれシャカのようになれと言っても簡単にはできないそれは個々人の自由にまかせるしかない、だから宗教は強制されるべきものではないのである。イスラム教は宗教を強制する、武力でももっても強制する原理主義者も強制する、原理主義者は個々人の改悛とかではない、社会そのものを政治を変えて体制を変えることによってこの世に天国を作ろうとしている、仏教だと仏国土を実現しようとしている、これがカルトであり社会にとって危険なものになる

マルキシズムだと教条主義になる。オウムなども原理主義であり逆らうものは殺せとなり現実にそうしたから恐怖だった。
カンボジアでも共産主義の原理主義だった,地上の楽園を目指したのがそこは大殺りくの地獄だった。原理主義者は反対するもの許さないから全く民主主義と反する、宗教が絶対的なものになるから反対は政治的な問題でも許されないのである。
独裁政権になるから民主主義とは反するものとなる
エルドアンはイスラム原理主義者の政党だというときそれに反発した世俗的なイスラムを目指すのは前はトルコはそうだったし軍がそうしていたのである。
ただ選挙で選ばれたのだからナチスも選挙で生まれたのだからイスラム原理主義政党でも正当性があるとなる、でも民主主義も万能ではない、民主主義も選挙しても独裁政権は生まれる、日本だってもはや自民党独裁になっていることでもわかる
自民党のやりたい放題になる、そうなると内部の腐敗も隠されるのである。

政治は俗社会のルールに基づくべきであるということで宗教とは切り離したのが政教分離である。政治は様々な利権とかかわる、その利権も公共事業となると兆とかもなり巨大なのである。それで大企業ともかかわり国ともかかわり賄賂が送られたり腐敗してゆく
それはどこの国でも同じなのである。
そういう利権とかかわったら宗教もなにもない、その巨大な利権に翻弄されるだけである宗教でも権力をもてば人々は心の中がどうだこうだ天国は心の中にあるとかより権力に注目する、人間の欲望が権力をめぐりむきだしになる。もちろん心の平安もなにもない、
餓鬼のようにみんななる、遺産相続で親族でも殺し合いにもなるのが人間であり日常的に起きている、だからこそキリストでもシャカでも何一つもたない、無一物で乞食のようにして終わった、寝る家もなかった。
でもそのあとに弟子たちは教会を作り権力化してしまったのである。

原理主義者はカルトなのである。イスラム国にとらえられた人が言うには人間が幼稚だという、何か深い思慮などもっていない幼稚な若造が多いからこそあんな残酷なことができる、それはオウムと同じなのである。明治維新も若い人が起こしたがそういう無謀なことがあったことはいなめないのである。本当のイスラム教はそうではないというのも別に原理主義者は世界でもキリスト教にもいるからである。
若いときは心の中に天国があるというより社会そのものを改革することこそ天国をもたらすのだとなりやすい、自分もそうだった。創価はこの世に仏国土を実現するのだという原理主義運動だからである。
日本でも共産党は原理主義者であり創価も仏教の原理主義者なのである。

だからどっちも政教一致なのである。日蓮自体が王仏冥合(おうぶつみょうごう)を唱えている、王は政治であり仏は仏の教えであり原理だとなる、その教理でもそうなのである。それは中世のことでも現代にあてはめている。これを廃止したとあるが現実にその原理に基づいて行動しているのである。
民主主義はまた愚民主義におちいる、大衆はめんどうなことを考えない、題目唱えればなんでもかなうというのが一番わかりやすいのである。あとのことはなんにも考えないのである。だから必ず一定数洗脳される人々がいて団体がいる
民主主義の危険はまたナチスとか一党独裁とかファシズムを生む温床でもあるのだ。
民主主義、民主主義と唱えてもこれまた万能ではないのである。
ともかくイスラム教の問題はその教理にもある、王仏冥合(おうぶつみょうごう)のように政教一致なのである。それが混乱をもたらしていることは確かなのである。


posted by 老鶯 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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