2016年07月20日

夏の日電車で小高まで (小高には帰る人は少ないだろう)



夏の日電車で小高まで


(小高には帰る人は少ないだろう)

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このカバンが何か仕事が始まったというのにふさわしい
品行方正という感じのカバンなのである。

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町暮れむ電車を待つや合歓の花

走りゆく電車に見ゆる夏の月

開通す鉄路の熱く藪甘草

小高へと汽笛ひびきて夏の山

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まだ人気が少ないからこんな感じになる



ひさしぶりで電車に乗り小高まで行った。原町へ小高からは四、五人しか乗らない
女校生が一人おりた。街から離れているという、迎えるにくる家族を待っていた。
もう一人は鹿島の仮設にいる人だった。

「オレ、新しく家建てたよ」
「どこに住んでいるの」
「小屋木だよ」
「みんな帰ってくのか」
「部落では三割くらいだな」
「街から遠いと不便だな」
「街から4キロ離れているよ」
「それは不便だ」
「まあ、仮設には来年の三月までいることできるよ」
「そんなに長くいられるの、みんな帰ってくるのかな」
「帰ってくるよ」
「他で若い人は家建てたとか別な暮らしになったからな」
・・・・・・・・・・・・

みんな同じようなことを言っている、補償金で新築した人も多いだろう。
そういう点では良かったが若い人も帰ってくると思っているのは甘いという人もいる。
要するに避難解除になってもほとんどは帰っていない、仮設にまだまだ住み続ける
20分の停車でありすぐひきかえしてきた。あと帰るとなると便がないからだ。
街中でも住んでいる人はまだ少ないだろう。
小高は終点で駅員がいたが鹿島は無人駅になったのも変化だった。

ともかく電車は待つ時間がありそれが旅するものには記憶となる。
合歓の花が咲いていてホームに涼しい風がふいてくる
それで電車で旅したことを思い出した。
電車を利用するにしても原町まで往復400円だとすると高いとうい感じになる
自転車だったら無料だからである。ただなんか体が弱ってくると電車がいいとなる
小高から買い物の車がでているが便数が少ないからやはり不便だ。

帰りは原町の喫茶店で食事して休み帰ってきた。
原町の駅前の書店も閉鎖した。ただ大きな図書館だけがある。これも何か無駄だったのか?、今になるとインターネット化すると図書館は何か無駄になった面がある
まず図書館で調べ物するのが容易ではないのだ。
なぜなら何か書くときは参考にするものが本でも必要なのだがそれをいちいちとりだすとなるとめんどうなのである。
インターネット化しても蔵書が一定数ないと書くことはむずかしい。
要するに自宅が小さな図書館のようにならないと何かを書けないのである。
自分の家はある程度そうなっている。

時代は常に変わる、本がなくなるなどイメージもできなかったろう。
そしてこの辺がこんなに変わることもそうである。
あそこは高校生が電車を待つ場所なのかとも思う
高校生は帰りで一杯乗っていたからである。

駅前にいろいろあれば電車で来てもいいが今はほとんどなにもない、駅前中心には街は作られていないからだ。
今日も暑かった、電車が走り夕方に夏の月がでていた。これも何か電車ならではの面白さである。
この記事へのコメント
なんだかとてもいい文章ですね、繰り返し読んでしまいます。
Posted by 夏の月 at 2016年07月21日 09:38
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