2016年07月25日

天候は昔から予測することが経験則でできていた (郷土史はその土地の風土の研究でもある)


天候は昔から予測することが経験則でできていた


(郷土史はその土地の風土の研究でもある)

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昨日の虹が予見できたのはやはりその土地に長く住んでいて何回も経験しているからである。その土地土地のことはなかなか長く住んでいないとわからない
良く農家の人とか漁師の人が天候についての諺がある。

雨が降った後に虹がでると翌日晴れ。
夕虹は晴れる。
朝虹は雨

虹だとこれはだいたいあっている。虹は雨と関係している、英語ではrainbowだからである。雨と弓なりになるというのはまさに雨の時虹がかかるからだ。形としては弓である。日本語でも虹(にじ)はにじむだから雨ににじむとなる。雨と関係している

こういうことは経験則であり諺でも科学的でありあたっている

諺でもそれは長い人生経験の中で残された経験則から生れたのである。だからみんな今でも同じようなことを経験してその諺の重みをしる。「金の切れ目が縁の切れ目」とか「損して得しろ」「あわてる乞食はもらいが少ない」とか無数にあるけど最近世間的なことで苦しんだのでつくづく自分もそうだなと思って感心した。
時代が変わっても人間自体が変わらない、その欲も変わらないから経験則から生れた諺もすたれないのである。

虹ができることも今は科学的に説明される、天気予報がない時代はみんなこうした経験則から生れた諺とかに頼っていた。
するとそういう経験を積んだ年寄りがそういうことを経験しているから下のものに教えると尊敬されるとなる。
一方で科学時代はなんでも科学者が教えるから年寄りの知恵は尊重されないのである。
でもその地域地域にはその土地の風土がありそれはなかなか長く住んでいないとわからない。
この辺で海から東風(コチ)が吹くのは3月ころである。その時春になることを知るのである。そして原発事故では3月11日に爆発が起こり東風がちょうど吹いたのが不運であり飯館村から福島市とかまで放射性物質が運ばれたのである。
その頃は東風が吹いてもすぐにまた北風とか西風に変わる時期でもある
だから浜通りでは海側に放射性物質が北風などで流された放射線量は高くならなかったのである。

ともかく虹がたつということは予測できるのである。ただ前日にはむずかしいだろう。
雨が多少でもふり東に雲があり山に沈む太陽の光によって虹ができる。
昨日も太陽が山際に落ちてゆき雲の間から陽がさしたとき東側側も曇っていて多少雨がふったから虹がでると直感した。
それは何度も経験していたからである。ここの地域ではそうなるということはこの土地の経験則というのができあがる、それが風土だとなる。
天気は狭い範囲でも違っている。この辺だったらまず飯館村は標高が高いから海に面した地域とは相当に違っている。
その地域地域の風土がありそこから作られる歴史もある。

なぜあれほどマヤとかの文明でも天文学が発達したのか?それは天候を予測するということが文明の始まりになるからだろう。それは結局科学だったのである。
天候を予測することで支配者が力をもったとなる。ただその時は科学者というのではなくシャーマンとかになっていた。
なぜ僧侶がこれだけ歴史で力をもったかというとやはり科学が発達しないと頼るものがないと宗教に頼るほかなかった。

里山伏は、地域社会の人々から法印様・別当様・山伏様などと呼ばれ、民間信仰の中で指導的役割を果たしてきた。一派引導の例に見られる如く山伏自身の葬祭を執行する場合もあるが、一般に現世利益的領域においてその力を発揮し、治病や除災などは里山伏が一手に引き受けてきたと称しても過言ではない

何かこういう人たちも特に病気のための加持祈祷とかにかかわり医者代わりであった。
だから一部落に必ず一人はいるから多いと思う、それだけ需要があったからだとせなる。こういう人はまた農民にもかかわり天候のことなどでも教えていたのかもしれない
干ばつとか水不足のときなど雨乞いなどしたのだろう。

天候にしても今は百年くらいの膨大な蓄積がある。だから数値的に割り出して予測できる今年の天候は何年の年ににているからこうなると予測できるのである。
今年は梅雨のあとに暑くなるのはある年とにていると資料でわかったから言っている。

ただ郷土史という観点からするとその狭い範囲内で起きる天候でも自然現象がある。
風の吹き方が土地土地によって異なるから風土となった。土にしても同じ地域でも土が違っていてそれに見合った作物をとるというのがある。
そういう風土の相違から実際は文化が生れる、なぜならculture(文化)はcultivateでありその土地土地の適正を見いだして耕すということだからである。

郷土史というときこうした風土も関係しているから広範囲の探求となる。
今回の津波でも原発事故でも郷土史がクローズアップされた。
400年前にこの辺にも大きな津波があり被害があったことが取り上げられて探求した。
しかし400年前となると忘れられていて津波は来ないとこの辺ではなっていた。
400年となるととても虹を予測するような経験則があてはまらなくなったのである。
ただ自然のスケールは広さでも時間でも大きい、そのスケールの大きさに人間は合わせられずに津波のようなものを予測できなかったことが悲劇を生んだのである。

とにかく自分は風土と文明ということが一体であり興味がある。だから和辻哲郎の風土は興味をもった、というより旅をしたから地理に興味をもったとなる。地理を知ることが学問の基礎にあることは確かなのである。
福島県だとハマ、ナカ、アイヅで風土も天候も違うからである。まず会津と浜通りでは全く違っているからである。
要するに風土からして根本的に違っているということは福島県というとき一体性が文化的にももていないとういことなのである。
ただ奇妙なのは浜通りから東風が吹いて飯館村から福島市、郡山市などまで放射性物質の影響があったとき
福島県はやはり風土的に一体なのかと感じたのも不思議だったのである。
posted by 老鶯 at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論
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