2016年07月26日

認知症とは何なのか?その介護のむずかしさ (プライドが最後まで消えないのと人格は崩壊しない)


認知症とは何なのか?その介護のむずかしさ


(プライドが最後まで消えないのと人格は崩壊しない)


●自分のしてきたことについてプライドを持っている

●時々正気にもどる、最後は特に正気になる

●人格は崩壊しない


認知症は何かとなると謎である。医者がいろいろ判定しようとしているが何か実際はわからない。
本当にこの人は馬鹿になったのか?痴呆になったのか?何もわからないのか?
こう問うてゆくとそれが良くわからないのである。
確かに銀行で金もおろせないとなると知能指数は極端に低下して白痴化したのかと思ったでも奇妙なのは人間は計算などできなくても人間でありうる
そもそも人間であることはどういうことなのか?
これもまたわからないけど生まれつきの知的障害者と違っているのは老人の認知症は長い間正常に生きてきて実際に自分のしたことに誇りをもっている。
そこが根本的に生まれつきの知的障害者とは違っている
生まれつきのちて知的障害者はプライドをもっていないだろう。
だからこそ馬鹿にされると怒るのである。激情的な人だと暴力になる
計算できないとか忘れるとかあるのだけどそれを指摘して馬鹿になったとすると怒るのである。

それはどうしてかというとプライドは消えないからである。
自分が人生でしてきたことに対してプライドをもっている
だからこそ過去のことは覚えていて自分がこうしてきたんだよと何回も言うのである。
自分のしてきたことについて誇りをもっているから何回も言うのである。
姉の場合は従軍看護婦とてし四年間シンガポールで辛酸をなめたから死ぬ間際までそのことを語りつづけたのである。
そのことが人生で一番印象に残っていたからである。
そして家に尽くしてきたことも事実であるから語りつづける
それは自分ともかかわるからそのことを否定できないのである。
つまりそのことを自慢したら持ち上げるほかない、そうだと認める
そうすればプライドを満足させられ気分も良くなるのである。
これが施設だと家のことは関係なくなるからプライドももてない
家から離れると施設は家でしたこととは関係ないから
家のことを語ってもプライドを満足させられないのである。

要するに認知症の介護のむずかしさは人間として最後までプライドをもっている
それを家族の一員は本当だから否定できない、持ち上げることで同調するしかない
施設だとそれがないから症状が悪化するともなる
だから社長だったような人は嘘でも社長の部下のようにふるまうと気分が良くなるとなる家庭の場合は演技ではない、現実そうなのだからそれを認めねばならないのである。
自分はそうしてきたのは家にも尽くしてくれたからそうならざるをえないのである。
それは他でも母親として苦労して育ててもらったらそうなるのである。

最初は何かわからなくて人間でなくなったのか?そう思い恐怖した。
でもだんだん介護しているうちこれはそうでもないのかと思ったりした。
ただ実際はいろいろあって良く理解できなかった。
認知症になっても人格は崩壊しないし人間として生き続ける
ただ自分は一人しか見ていないから他はわからない
認知症の人は多様であり定型化できないからである。

そして認知症の人は時々なぜか正気にもどる
これも不思議な現象だと思う
二人介護して二人ともそうだった。
時々正気にもどったのでびっくりしたのである。
特に死ぬ間際にはたいがい正気にもどる
生まれつきの知的障害者は正気になることはないだろう
認知症は必ず正気にもどる時があるからこの人は馬鹿になったとはならない
最後まで正気の人として接することが要求される
これもいろいろあって家族ならある程度できるが施設などではむずかくなるだろう。
だからどうしても介護は家族がやるのが理想なのである。
認知症になるとどうしてもその人のことが理解できないからそうなる。

自分の場合は二年間くらいが認知症の介護であり次に寝たきりになった母の介護だった。だから認知症の介護は短いから救われたとなる、長くなったら疲れ果てて嫌になったろう正直早く死んでくれて助かった。なぜならそのあとまた介護がつづ0いたからである。
認知症の介護は放蕩にむずかしい、それは身体の介護というのでなく心の介護になっているかかもしれない、第一その人が人生で何をしたかなどと普通はかかわれないだろう。
家族だったらかかわれるけど他人はかかわれないだろう。
医者でも看護師でも体はみても心まで人生まではかかわれない
それは認知症とか終末ケアの大きな問題なのである。

結局なんであれ人間は最後に生きてきた自分のしてきたことを認めてもらいたいのであるそれもそうである、自分の一生がなんであれ無益だったとされたら耐えられないだろう
人間は貧乏なのは貧乏それ自体ではなく貧乏として金持ちに見下げられる、下等な人間とてしさげすまされることなのである。
別に貧乏でも誇りをプライドを持つものがあればそうはならない、俺は貧乏だけど画家としては一流だとか何かプライトをもっいれば貧乏でもプライドがもてるのである。
なぜイスラムのテロが起きるのか?それは差別されるとか何かさげすまされるとかプライドが傷つけられるからである。
人間は誰でもプライドを持つ、そのプライドの戦いが人類史だとも言う人がいる。
イスラムはもともとヨーロッパより先進国だった。科学や数学はイスラムからヨーロッパから学んだのである。それは中国に言える、中国は日本なんかより先進国だったし学んだ国だからそこで中国人はプライドがあり反日になる。
戦争でふみにじられたことがプライドを傷つけられて許せないとなるのである。

認知症の人も最後までプライドは消えないし人格が崩壊するわけでもなかった。
ただ数など計算できないから痴呆になったと思ったがそうでもなかった
ただ謎が多いことは未だにあり一人しか見ていないからわからない
認知症の介護のむずかしいのはプライドをもちつづけるからそれを否定しないようにすることである。
プライドを傷つけられると激情的な人は暴力になるから気をつけろとなるのだ。
そこが介護のツボとしてあるとなる。
ただ家族ならそれに答えられるが他人だとむずかしい、
体だけみているのとは違うかむずかしいのである。
若い人は身体を介護しても心までみるとなるとさらにむずかしいだろう。
そこに介護とかターミナルケアのむずかしさがあった。  
posted by 老鶯 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題
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