真野川のダムの水は安全なのか?
(環境省の人が水を検査していた)
真野川でまた水質検査していた、今回は環境省から来ていた。
「放射性物質は泥につくといいますが」
「そうですね、泥につくから泥とともに雨などふると流れやすいです」
「心配なのは真野川の大倉のダムです,あそこにの底にセシウムなどの放射性物質が泥に付着してたまっていると思うんですが・・・
「泥に付着してたまっていると沈殿していると水にまざらないですよ」
「真野川のダムの水を飲んでいるのですが大丈夫なのかな」
「水道水は濾過するし放射性物質はまざらないと思いますよ」
「この辺では自分もそうですが飲料水としては水道水は飲んでいないですよ」
飯館村があれだけ放射線量が高かったのだから真野ダムも高いはずである。なぜなら真野ダムには雨などで流れた放射性物質が蓄積されているからだ。
だから真野ダムの水を利用している人は不安なのである。泥に沈殿しているしてもやはりその泥の粒が水とまじるからである。
だから泥とともに下流に流されてくるのである。
真野川の河口でシジミとかアサリとって売っていると聞いたが本当に大丈夫なのだろうかつまり河口には雨などで泥とともにながされてきた放射性物質が一番たまりやすいのである、それで阿武隈川の河口が異常に放射線量が高くなっていたのである。
検査して売ってまでいるというのもどうなかなとも思う
ただ気にしない人は気にしない、老人はほとんど気にしない、松川浦では貝でもなんでもとって食べていたと老人が言っていたからだ。
いづれにしろその人は環境省の人でもそういう人は真実は教えない、何かこうして地元の人が聞いても前も県の人が来たがあなたは誰ですかとなり教えない、秘密にされているから国や県でも市ですら全面的に信じられないともなる
ただそうした行政と関係ない学者が調べたりすると真実がでてくる
これもまた御用学者が多いからどうしても真実がわからないのである。
科学の素人とかなると調べようもないのである。
そういうことはメデアが報道機関が発表する役目がある。
これもまた東電とかから金をもらっているからしないのである。
こうしてなかなか真実はわからないしそのことが秘密のベールにつつまれることが大きな事故のもとになるのである。
原発内部のことは常に隠蔽されてきたからである。
つまり民主主義は情報公開が必要だと言うときそうなる、東京都でも予算を透明化するというときそうである。政府とか東電とか会社の力が強いからメデアがなかなかそこに立ち入れないのである。
記者クラブは政府の御用クラブであり何の力もないという、ただ政府の言っていることを報道するだけの政府のスポークスマンになっているだけだという。
民主主義は報道の役割が大きいことは確かである。知らされなければ知り得ようがないからである。そうすれば判断もできないのである。
地元でも地元の報道機関が必要である。それは自分たちの郷土を自然を守るということでもある。土着的報道が必要なのである。
それが自分のプログの一つの役割でもあることにやっている内に思うようになった。
それはインターネットの報道が無料だからできたことなのである。
だからインターネットは民主主義を促進する
今回の都知事選挙はネットの方で情報公開して都議会の悪役をあぶりだした。
それはマスメデアではなかったのである。週刊誌も権力者の悪を暴いた。
新聞とかテレビには今回は権力をチェックすることができなかった。
ネットの方が時系列で追っていてわかりやすかったのである。
人間の仕事は何か果たす役割があって生れる、やはり地元のことは地元の人が一番影響受けるしここで生活するのだから真剣になる。
外から一時的に来た人とは違う、だからこそ放射能に汚染されたことは深刻だった。
水すら安全に飲めないということは最悪だったのである。
この辺では山では清水を利用していた、それが田舎に住んでいるメリットでもあった
そして今田舎の問題は人口減少になり人が減るとかえってインフラの負担があがる。
水道料金が人口が少ない所は負担がふえるのである。
二倍とかの料金の差が生れているのである。こうなると田舎に住んでいることは苦しくなる。収入も少ないのだから苦しくなる。
そうなると昔のように山の清水を利用したり井戸水を利用したりする方がいいともなる。ただトイレどうするかなどなかなか昔にはもどりにくいのである。
それでも田舎暮らしでかえって都会よりコストがかかるとなると住みずらなくなるとますます人が減ってしまう。
自分は都会向きではない、年とったら人ごみを歩くのも嫌になった。満員電車なども嫌である。でも矛盾しているのは文明的な贅沢な生活を田舎でもしている。
そのために原発も金を生むものとして地元では賛成だった。
インフラに金がかかるんだから田舎は田舎で昔のように自給自足のような生活をしろというときこれも相当に抵抗がありできない、実際に今もクラーをしてこの文章を書いているからである。ただそうはいっても何らかこういう状態になると人間の生活を見直すことは必要である。極端に昔の自給自足生活に帰れというのはではない、何かそこに工夫した生活があるはずなのである。
ただソーラパネルだ植物工場だと言ってもなかなかうまくいかない面がある。
技術というのは否定でとない、だから技術の進歩があってかえって自然と調和できる生活がありうるともなる。だから技術の進歩は否定できないが原発は危険すぎたのである。
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