2016年08月24日

地方の神社に必ずある忠魂碑の疑問 (靖国神社と深くかかわっているー国家とは何なのか?)


地方の神社に必ずある忠魂碑の疑問


(靖国神社と深くかかわっているー国家とは何なのか?)


国民は、国家が国民として認めた者をいう。国民であるかないかは、国家権力が決めた法定義によって定まる。
国民は、国家権力によって国家権力が必要と認めた権利と義務を与えられる。
たとえ、国内居住する者でも国家権力によって国民として認知されていない者は、国民として扱われない。異邦人である。当然、国民としての権利も義務も保障されていない。


江戸時代は諸侯の領地ごとに、独自の法律・通貨(と言い切っていいかは疑問だが)・軍隊を所有していました。
外国人は諸侯を「KING」と呼んでいました。これは、諸侯がその地域で王権を確立していると、判断されていたからです。
同じく「EMPEROR」と呼ばれた将軍は、大名領には警察権を及ばすことはなく、各地の自主性は最大限尊重されたのです。

国家とか国民というのは明治以降近代化して生れた概念である。だから国家国民というけどそれは新しい概念だから理解しにくいものである。
封建時代は君主制であり君主に忠誠を誓う体制でありそれぞれの藩が国家と言えた。
それぞれの藩が税金でも法律でも自ら施行して独立していたからである。
その時は侍が支配層でありその下に農民がいて商人がいて職人がいて庶民がいた。
実質藩を維持していたのは侍であり侍は君主に忠誠を誓っていたのである。

それが明治時代になったとき国家とか国民という概念が生れた。どうして国民が日本国民として意識するようになったのか?
それは西南戦争の時だった。西郷隆盛が侍階級を維持しようとして政府軍と戦った
旧勢力を侍を維持しようとしたから廃藩置県に反対だったのである。
その時会津では薩摩長州軍に敗れて悲惨な結果となった。ところがその敗れた会津の兵士が西南戦争で政府軍に入り活躍したのである。相手はもともと侍だから戦争には強い
国民軍は素人だからかなわないところがあった。その中にかつて会津藩に属した侍がいて参戦したから強い味方となった。その時会津藩士でもなく政府軍国民軍になっていたのである。国民軍も素人の集団だったがだんだん国民軍としてこの時意識するようになったのである。そして侍にはかなわないと思っていたが国民軍でも戦えるという自信をこの戦いでもつようになったのである。この時日本国民として意識するようになったのである。
明治になってもその戸籍には士族と平民は分けられていたけど実質は国民となり国民兵となって日本国を守るものとなっていった。
それは明治維新の長州とかでも奇兵隊で侍でないものが農民でも商人でも兵隊として参加していたことから始まっていた。
戦国時代でも強固な主従関係が生れたのも戦争があったからである。
そこでは生死をともにするのだから身分の差があっても命懸けなのだから主従が一体となった。

日本国民として意識するようになったのも戦争でありその他ではなかなか日本国民として意識しにくいだろう。運命共同体だというときはやはり戦争の時一番意識する
それは日本だけではない他国でもそうである。平和なときでも中国でも韓国でも日本を責めるのはそれで国民としての意識が共同性が一体感が助長されからである。
それはヨーロッパでも封建時代があり騎士がいて城が多いから日本とにている
君主との主従関係が基本にありそれがその土地土地の領地を守り一つの国として維持していたのである。
それは国といっても現代の国民国家とは全く違ったものであり明治以降のヨーロッパでも近代化したあとの国家はルソーの契約国家のように違ったものなのである。
侍が主従の関係が基本にあるというとき日本でも天皇が君主であり主従関係を結び国民は天皇の臣民であり赤子であるとされた。それは侍の江戸時代の価値観を受け継いでいたのである。だから兵隊は太平洋戦争でも侍という感覚ももっていた。

ともかく国家が契約関係だとか国民という観念とういうか概念はなかなかなじめないからもともとあったものをあてはめるし引き継がれるのが人間社会なのである。
日本国民という意識は太平洋戦争で絶頂になり敗戦でその国民意識は否定されて日本国民という意識はなく日本人はアメリカに国防をゆだね経済人になった。
ただひたすら利益をもとめるだけのエコノミックアニマルと世界に高度成長時代に言われた。天皇を無理やり近代国家にもってきたのもそうである。
天皇との主従関係として国家を維持しようとしたのである。
だか明治以降の日本の歴史は何であったのかとなる。それは太平洋戦争が何であったのかとともなり継続された歴史をふりかえることが要求されている

それで靖国神社に祭られている戦死者はをと処遇していいかわからないのである。
日本国民として扱えば日本国家として祭る、一方で靖国神社は私的な宗教団体だというというのも矛盾がある。戦死者は英霊として祭るというときそれは天皇との臣従関係として天皇に忠誠を誓うものとして祀られる、なぜなら明治維新を成した人たちが祀られたのが靖国神社である。西郷隆盛とかの反乱した藩士とか会津藩士とか祀られていないのである。
でもそういう時代が終わり国民の時代になったときでは戦争で死んだ人たちは国家に忠誠を誓い死んだのである。それはまた天皇との臣従関係で忠誠を誓い死んだのだから英霊とされる、それで戦没者の家族は天皇に靖国神社を参拝してもらいたいとなっている
なぜなら臣下が天皇のために国家のために死んだのだから参拝するのが当然だとなる
でも近代国家とか国民になるとそういう宗教的なものはもちこまない、アメリカだったらアメリカのために死んだ人はアーリントン墓地とか国で葬っているが別に日本の英霊とか神として祀ることはないのである。
日本だから明治以降近代的に国民国家になったのだが国家とか国民というものを前近代の封建制からの習慣をひきづっているのである。
だから戦死者をどう対処していいかわからない、英霊とかなるのもそれは天皇と関係してそうなっている。それは国と宗教が一体化しているからである。

「国内には10万世帯を超える軍人遺家族が出現した。日露開戦による国家意識の高まりと遺族の急増によって、戦争中から戦後にかけて、全国各地で戦没者のための記念施設の建設がにわかにさかんとなった。戦没者を郷土の誇りとする宣伝が行きわたり、靖国神社への合祀に呼応して、民間の有志によって招魂社がつくられ、神社、寺院の境内や公園、学校等に招魂碑、忠魂碑、弔魂碑、忠死者碑等の記念碑がぞくぞくと建てられていった。」
−「慰霊と招魂」村上重良 岩波新書−

忠魂碑というのはまさに忠義だとか臣従関係のものである。それは天皇に臣従するということである。天皇が君主だからそうなる。今になるとなぜ神社にこれほど忠魂碑があるのか?それに違和感を感じる、第一その忠魂碑に戦争中のように意義を認める人がいるのか?何かただ過去のものが以前としてあるということでそれに特別な感情を抱いている人がいるだろうか?何か否定的な感情を抱いている人も多いだろう。
そう教育されたからでもあるがこの碑が大事な碑なのだとか教えられてもいないのである第一君が代すら歌わない時代であり教師が左翼系が多いからまたそうなる
自分が碑として注目するのは江戸時代の庶民のものである。日本人は太平洋戦争に負けてその戦争を否定的にとらえている、あの戦争を肯定的になる人は少ないだろう。
だからなぜそもそも一地方の神社にどこでも忠魂碑があるのか?
地方の神社は国家と関係ないということでも議論になった。地方の神社を国家と関係させるようになったのは太平洋戦争からである。これもやはり今になると神社とは何なのかわからないものになっているからだ。
ともかくあまりにも犠牲者が多すぎたからなぜこんなに死なねばならなかったのかということである。そもそもそんなに死ぬ戦争が正しかったのかとなるからだ。
そもそも未だに太平洋戦争が何のために行われたのか日本人自身が総括していない、そこに靖国神社が問題になる。
どういう経過で戦争に突入したのかもわかりにくいのである。

神道と国家神道は違うという、地域の神社が国家と結びつくことはなかった、東照権現は家康を神として祭っているから国家と結びついているものだろう。
他の地域の神社は豊作を祈るとか病気が直るとか国家とは結びついていない
忠魂碑は靖国神社の分化したものともいえる、天皇の臣下として死んだものを記念しているからである。ではその忠魂碑に地元の人でも祭りしたりしない、何か忘れられているのである。でもどういうわけか忠魂碑はどこの神社でもある。それは戦前に建てられたものが継続してあるということである。それは未だに戦争で死んだ人の墓に軍隊の位が刻まれている、それは当時は名誉の戦死だからそうなっている、それを統括したのが靖国神社なのである。戦争で死んだ人は慰霊すべきなことは確かである。

要するに太平洋戦争が何であったのか?それを日本人は歴史的に総括していないから起きている、全面的にあの戦争を意義あるものとして肯定している人たちも右翼には多い
その右傾化が政治家でも増えている、欧米の植民地化に対する抵抗戦争だったとか白人優位を人種差別に抵抗する戦争だったというのもそうである。それも一理ある,日本だけが植民地化されないという特殊性があったからである。アジアでは他は植民地化されたのに日本だけは明治維新でも植民地化されなかったことが特筆すべきだからである。
でもそれはアジア侵略を正当化できものなのかどうかは疑問である。
靖国神社問題はこうして太平洋戦争が何であったのか歴史的に日本人が総括していないから起きている、もし意義あるものなら靖国神社が重要なものとなってゆく、それと並んで地方の神社にある忠魂碑も重要なものとなってゆく

明治維新以降の国家とか国民に天皇をもってきて臣従関係にしたこと自体無理があった。近代国家は江戸時代とは違ったものになったからである。
そういう矛盾を太平洋戦争まで日本はひきづっていたのである。
国民とか国家とはヨーロッパでも近代化して生れたものでありそれまでは日本の封建時代であり国家とか国民という意識はないのである。
だからどうして国家が生れ国民が生れたのか問題になるのである。
なぜ天皇が靖国神社にお参りしないのか?それは近代の明治維新の国家は天皇の臣民としても実際は違ったものになっている。無理やり天皇の臣民にしたからである。
臣下が天皇のために死んだなら当然お参りするのは義務である。それができないということ自体が国家とか国民が天皇の臣下としてありえないものとなっていたから起きているのである。

いづれにしろ国家とか国民はここ二百年くらいに生れた概念である。むしろフランス革命の「自由,平等、博愛」の思想は宗教の束縛や国家を国民を越えるものとして生れた。
それはいかなる国家に属していても人間としての平等の権利をもつとしたからである。
人間を宗教でも人種でも差別しないという人類的理想主義なのである。
ただそれが結果的に実行されたグローバル化で移民問題が発生しテロとなり軋轢が生れ国家主義が民族主義に逆戻りしているのが現在である。
人間は国家共同体が一番強固でありこれからぬけられないのである。
ただ人類的理想を追求すれば共通なものがあり憲法のようにすることもできる
それが国連の役割だけど国連も国家の前には無力なのである。

例えば国連で世界の紛争など解決できない、世界は中国だったら中華帝国を目指している、今はアメリカ帝国に属しているが日本もその中華帝国に属するものとして扱われる、
そもそも統一した世界帝国は人類にできていないからである。
国家国民さえグローバル化してやがて消滅してゆくかもしれない、世界国家ができればそうなる。日本の戦争は日本の天皇国家としての延長としてアジアへの進出だった。
国家というものをぬけだしていないからこそ失敗したともいえる。

それには確かに意義があった、でも日本国家というものからぬけだせないからこそ失敗したのである。ただ国家国民というものからぬけだしている国はない、ただそれもこれだけグローバル化していれば国家国民というものから人類は抜け出す方向へ合意してゆくかもしれない、実際はそうしなければ人類は戦争をやめることができないのである。
国家でも共通の利益を計れば共同できる、経済的には商業ではそういうことをしてきている。ただEUでもそういう理想があってしてもなぜうまくいかないのか?
そこに国家とか国民とか民族とか人間が形成してきた歴史的なものも関係してできない
ただ中国でもアメリカでも多様な人種とか民族が共生するとなる理念国家になる。
中国でもマルキシズムとか共産主義になり理念国家として世界的運動として一時あったが国家という枠からはぬけだせないのである。世界はむしろナショナリズムに回帰しているのである。
タグ:国家論
posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/176596623
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック