二十年以上知らずに利用しなっかた原町のモスバーガー
(知らないことが致命的になり死にもつながるから怖い
ー原発事故もそうだった)
天井が高いのも気持ちがいい
内部はこんな感じで喫茶店風でありくつろぎやすい
これは原町の内装ではないがにている
原町の六号線沿いの店に行っていつも困っていたのが喫茶店がないことだった。
それは実はあったのだ。ドライブスルーのモスバガーだった
そこはいつも通っていたが車の人がドライブスルーで使うものだとばかり思っていた。
別に車でなくても中で食事できるようになっていて中は喫茶店だった。
バニラシェクが250円だから安く利用できる
ここをなぜ中で食事できて休めないと見ていたかという中が見えなかったからである。
ただちょっと注意していれば見えたのである。
そこは車しか通れないと思ってたのが大失敗だった
これは20年前からもそれ以上前からもあったのである。
設立開設は1989年6月だった、20年以上そこにあるのに利用しなかっのである。
これが相馬市にあるならわかったかもしれない、マクドナルドはある。
そこは何か喫茶店風になっていない、ただハンバーガーを食べるだけなのである。
原町のモスバーガーは中が喫茶店風になっていてしゃれた空間となっている
その雰囲気が違っていたのである。家とか店は内装が意外と大事である。
その内装が雰囲気を作り出している。家は外見だけを見てもわからない、内部空間がどうなっているかは入ってみないとわからないし住んでみないとわからない。
だから古い家のことを紹介する番組があってもその空間がどういうものかわからないのである。内装によって雰囲気ががらりと変わる、気持ちまで変わる
だから店の客の入りまで左右するのが内装である。
店の内部がどういう空間なのか?ただ食事するだけの空間や作りや椅子の配置になっている所が多い、喫茶店風になると内装や空間や椅子やテーブルの配置が意外と大事である。ただ現代は喫茶店はめっきり減った。個人的に経営することもむずかしい。
チェーン店が主になった、ただマグドナルドでもチェーン店はただ食べるだけでくつろぐ空間になっていない、だからここは意外だった。ここを見逃していたことは大損だった
自分はハンパーグが嫌いであり海外旅行ではこればかり食べて嫌になった。
レストランが利用しにくいからである。だからマクドナルドにはほとんど入っていないからここにも入らなかったがここは喫茶店として利用できたのである。
地元に住んでいてもここがわからなかったのは致命的だった。
原町にはしょっちゅう行っているから余計に大失敗だった
人間が生活するにはまず本当は近くのことを十分に知らないとそのことでも致命的になる世界とか全国のニュースに注目しているがまず身近な所を知らないとそれが日々生活する所なので致命的になる
近くでも知らないことがどれほどあるのか歴史を研究してもすぐ近くの神社に天明の碑があったことも最近まで知らなかった。天明というと飢饉があったときだから何らかこの辺も影響を受けていた。
まず現代なら知っているが過去になると身近なところでも知らないことが多すぎるのである。百年住んでも知らないことが結構あるとなるのだ。
知らないということが致命的になるというときあらゆることがそうなのである。
買い物でも今は料理することは買い物をすることである。買ってほとんどまかなうからである。でもこの買い物もめんどうなのである。種類が多いからである。
だから家事をするとき料理することではない、何を買うかということが最初の大きな問題なのである。料理は簡単でいいが何を買うかの方が問題になっているのだ。
まず家事をするようになってからいろいろ知らないことがあり苦労した。
今でも苦労している。家事の範囲は広いのである。料理とかもあるが掃除もあり洗濯もあり整理整頓もあり家事に通じることが年期がいるのである。
だから老人が一人住んでゴミ屋敷になるのがわかる、家事の様々な負担でかたづけられくなってそうなってしまう。整理整頓することが相当頭も使うし簡単にできないのである。
何か買い物でも自転車でもそうである。種類が多いから何がいいのかわからないのである自転車は実際乗ってみないとわからないのである。それでロードを試しに乗ってみたいと8キロのを買ったがそれがタイヤでも細すぎて不安定で使いなかった。
段差などあったら危険で乗れなかったのである。これも実物を見ないことや自転車屋で説明してくれなかったからである。
一方原町の自転車屋は自分は実際に自転車に乗ってみていいものを勧めている、これは間違いなくいいか買いなさいといわれ買った、それは電動自転車だからロードとは違うから買いやすいとはなっていた。
ロードというものが自分にはわからなかったのである。自分は自転車に乗ってもロードがわからないということは致命的でもあった。自転車の醍醐味はロードにあったからである今は買い物が本当にむずかしいのである。
知らないというとき病気でもそうである。病気はめんどうである。まず素人判断するとなると危険である、自分はそれで死ぬところだった。なかなか介護とかで病院に行けずインターネットで調べていて安易に考えていた、でもぎりぎりになり医者に行ったときは即入院になった。そうしないと死ぬところだったのである。
だから病気は自分で判断するのは危険である。まず医者に行きそれから自分で調べるのが順序なのである。病院や医者も今はいろいろ批判されるからすべて頼っていいとはならないからである。でも自己判断するとまた危険なのである。
自分でインターネットとか調べて漢方薬とか民間治療で死に至ったひともいる、自分で調べていて迷路に陥っていたというのだ。そういうことが病気にはある。
病気は知らないとか判断を誤ると死ぬから怖いのである。
知らないというとき怖いのは津波でもそうだった。この辺では津波は来ないということが信念にまでなっていて逃げなかった。
でも八沢浦が海だった時、柚木(ゆぬき)にてんとう念仏という伝説が残っていた。
念仏を唱えて津波が引くのを祈ったところだという、その高台に逃げて助かったという伝説である。それは仙台平野で念仏橋とか念仏田とかありそれは津波と関係していた。
だからここでも念仏を津波のときに唱えたというのはつながりがある。
それは明らかに貞観津波ではなく慶長津波の時代の伝説である。
そうした歴史的なことも知らないとそれが命にかかわるということになった
何でも知らないことは命にかかわる,津波でこれだけの人間が死んだのは津波を知らないからだった。津波が来ないと老人は逃げないで死んだのである。
別にモスバーガーが喫茶店風になっていて知らないということでそれほど損失はない
でも自分にとってはかなりの損失だった。
人間は知らないことでそれが死につながっていることが多いのである。
知らないことでいろいろ苦しむことも多い
地元で暮らしていてもそうした歴史的なことでなくても知らないことがありそれで損したりまた困ることが多いのである。
自分の場合は車がないということでそうなった面がある。今は車を利用しないということは車社会の時、車について知らないことは困ることになる
身内が交通事故で死んだとき自賠責とか任意とか保険のことを知らないので苦労した。
車に乗らないから車のことを知らないですまされないのである。
でもこれはどうにもならなかった。一人だけ自動車のことを知っている人がいて聞いて知ったのである。
最近良く親が死んで葬式も出せずにほうっていたとかの事件が多い、それは50代でも親の葬式を出せないとそうなった、でもその子は無職だったりしていると実際は市町村に相談すれば処理してくれる、金も出してくれる、ただその交渉ができないのである。
最低辺で生きている人はまず市町村の役所に文句を言い、公務員を使っているのである。そしてなんとかして助けてくれと他人でもたのみこむのである。
それも執拗に頼むからついついその願いを聞いてしまう。
そのくらいの交渉力のねばりがあったら金がなくてもなんとかできるのである。
そしてそもそも葬式が出せないというとき死体でも処理できること知らないのである。
確かにめんどうではあるが葬儀会社に頼めば30万以下でみんなやってくれるのである。
自分は30万以下でしたしあと一人手伝ってもらったからその人にお礼した。
自分は一人だから本当に介護やら葬儀やら家事では苦労した。自分の病気のことでも苦労した。何か一人ではできないことが多い、だから日頃から親しい人がいて聞いたりまず知ることが大事なのである。
そういうふうに今は社会性が欠けた人が自分もそうだが増えてくる
芸術家なども浮世離れしているとひどいめにあうことは確かである。
それが60代以降とかなると自分もプログで書いてきたが悲惨な結果になる
社会常識として知らないことが致命的になるのである。
ただ人間はあらゆることはしりえない、ほんの一部しか社会でも自然でもしりえようがないのである。今は世界に起きていることを知れと言ってもこれも複雑であり理解することがむずかしい、それより身近なことを知らないことが致命的になるのである。
原発事故だって放射能だってそうである。そんなものわかりえよがないと言ってもそれが知らないことが致命的になった。これだけの大被害になったからである。
新潟の巻町では原発を建てさせなかった、それは放射能のことがわからないにしても学者呼んだりして町民が勉強して町民の合意で原発を建てさせなかったのである。
だから放射能がむずかしいからといって知らないですまされないことだった。
つまり知りえよがないとしても知らないと致命的になり死につながるから知らないですまされないのである。
戦争でもアメリカのことを知っている人は日本人ではまれだった、だから日本国を過大にして見ていたのである。それも敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。
敵を知らない限り戦いようがないのである。敵というときこの世には様々なものがある
ウィルスも病気の敵であり相手を敵を知らないからこそ戦いようがないのである。
ソクラテスが汝自身を知れとか人間は知っているようで知らないというときまさにそうである。別にむずかしいことでなくても知らないからこそ災いに巻き込まれ死ぬことにもなるから怖いのである。人間は無知が死につながっているから怖いのである。
知らないではすまされないから知ることに勤めなければならないとなる
知らないことが死に直結しているから怖いのである。
知るというとき体でも自分のことが知らない、この夏暑くて食欲がなく胃も悪くなったからたいしたものを食べていないからかなり体重が五、六キロ減ったと思ったら五、六キロ増えていたのである。これは体重を計らないのが失敗だった、何かただ感じで体重が減ったとしていた。でも実際に体重計で計ったら増えていた
だからなんとなくとか感じで判断するのも危険である。
体重を計ることは科学的に知ることでもあった。放射能でもやはり放射線量を計って判断している、だから数値に従うとういことは科学的なのである。
ただその数値が即影響しないから軽く見るとなる。体重の場合は具体性があるからこれ以上太ってはまずいという危機意識を自分はもったのである。
知らないからどうにもならないではなくやはり危機意識をもつことが人間は大事なのである。そうしないと即に死につながるから怖い、それが津波でも原発事故でも起きたし過去でも歴史的にもそうして知らないことで大被害になっているのである。
ここは原発から30キロ離れていて自分は原発に無関心だったのである。その無関心、知らないことが今回のような大事故になり大被害になった、津波でもそうだったのである。
つまり人間はしらないことから大事故や大惨事や災いにまきこまれるのである。
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