物が残っても物語(hi-story)がないと物も活きてこ
(原町の馬頭観音の碑の物語でわかったこと)
この農家の庭の畑になぜ馬頭観音の碑があるのか不思議だ。普通は道に面して建てられるのだがこれは畑に一つだけ立てられた。やはりここが古い昔の道で馬を使っていたから供養に置いたのだろうか?これはこの農家で建てた馬頭観世音の碑なのか?ここは原町の街のすぐ近くである。やはり昔の道であるからここに建てられたのか変わった処にあったので注目した。
この疑問はやはり正しかった。道に沿って普通は馬頭観音があるのが多い。
ここは畑にあったからこの家の人が何かあって建てた
実際にその家の人にたまたま畑仕事していたので聞いてわかった
火事があって飼っていた馬が焼死したので供養に建てたというのである。
つくづくそうだったのかと思う、普通だったら何の変哲もないし注目もしないだろう
でもそういうものに何か知らない歴史が埋もれている
つまり物は物語でありただそこに物があってもそれは何の意味もないとまでなる
物にはなにかしら物語が残されているのだ。なぜなら人が死んだら人は灰となり煙となり何も残らないからだ。ただ物は残っているしその残されたものからその人をしのぶであるここでは馬が死んだということを偲ぶのである。
その当時は農家では馬を飼う人が多かったし農耕馬でもあった。
この辺では野馬追いに出る馬も今も飼っているからそういうこともあったろう。
この辺は馬と因縁深い土地なのである。
曲屋なども他ではありそこで馬を飼っていたのである。
馬と娘が結婚したとか何かそういう伝説も馬が家族と一緒のようにして暮らしていたからである。
それが今では犬とか猫になり犬猫の墓がどこにでもあるのとにている。
今になるとあまり馬のことなど具体的にイメージできない、競馬している人くらいだろうでもその馬はギャンブルの対象なのだから昔のように人間的情愛で結ばれる馬とは違っている。
馬は機械ではないし生き物だからやはりペットと同じように人間の情愛の対象となる
何かギャンブルの対象だけになっている馬というのは不自然でありかわいそうだともなるただそうはいっても戦争に使われて死んだ馬も無数にあるからいちがいには言えない
スピルバーグ監督の「戦火の馬」はそういう馬をテーマにした映画である。
最後は狂ったように馬が戦場を駆け抜けてゆくシーンが心に残った。
馬も戦争に使われることに抵抗したという映画だった。
馬に関する物語はいくらでもある。ただ馬より人間が中心になり馬を主人公のようにはしないからこの映画は違っていた。
この辺は野馬追いがあり馬と今でも親密な関係を結んでいる
ただ馬が車に変わったのは戦後であり戦争中で盛んに馬が使われていて天皇陛下も馬に乗っていたし南京とか入場するにも馬である。
この時まで馬は普通に使われていたし馬を飼うことが兵隊の仕事だったのである。
だから今でも戦争で死んだ馬を供養する碑はあるが少ない、馬頭観世音は荷馬とか農耕馬として使われたものを供養したものだからである。
ともかく何かそうした一つの碑でも忘れられて何かわからなくなるのは結局そこにまつわる物語がわからないからである。
何かしらそうしして残された碑でも物でも物語があるのだがそれがわからなくなる
自分の母の実家の墓には25歳で死んだ人がいた。結核で死んだのでその話を母から聞かされている、戒名がないことはキリスト教に入ったためだった
何か苦しくて救いを求めたのだろう。この人も生きたかったろうと思う
また若くして死んだとなると戦死した人たちもそうである。それは墓に無念を刻んでいるのである。
別に有名な人ではなくてもそういう物語は無数にあるのだがなかなか物が残っていてもそれを実感しにくいのである。
自分の家でガラスケースにお菓子を入れてバラ売りしていた、母は毎日ご飯粒をつぶして糊にして新聞紙で袋を作り売っていた、暇なく働いていた、それはいい思い出と悪い思い出が重なっている、日曜日も休まず働いていたばかり家族での楽しい思い出がないからである。貧乏な時代だからしょうがないとしても働くことしかない人生も嫌だなとつくづく思った。食事もゆっくり満足に家族でできないのだから嫌だった。
ただそのカルマなのか母の介護で今も自分で食事を用意しなくならなくなり暇なく買い物だとか食事の容易だとか介護が終わったあとにも家事に追われているのが自分なのである
この辺は相馬野馬追いが有名でありするとどうしても馬と人間のかかわりを考える
ただ野馬追いとなると戦闘に使う馬となるがそこにもやはり馬と人間の物語がある
そういう物語が相馬藩では六万石であり少ない、会津だと30万石となると明治維新でも映画になるように物語があり注目されるのである。
でも何かそういう物語とか歴史はどんな家にもあるし二代くらいでもすでにそうした物語があれ歴史がある。そして必ず家々に不幸があり悲劇がある。
それはどこでもまねがれないものである、なぜなら人間は病気になるし死ぬからである。死自体が悲劇だからである。自分の家族も三人死んだけど悲劇だった。
ただ母は不幸な人でも死ぬときは何か楽だった、百歳で老衰のようにさほど苦しまなくて死んだからである。
いつも眠るように死にたいと言っていてそれだけは願いがかなったのである。
それで死顔をインターネットに出したがそれを見ている人が相当数いる、まだ死に顔をデジカメでとったとしてもインターネットに公開しているのはまれである。
とても出せない悲惨な状態のものも多いと思うからである。
ここの家の悲劇は馬が焼死したということでありそれが馬頭観音として供養され残っていたことなのである。
タグ:馬頭観音
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