2016年09月09日

実り(秋らしくなり里に実りが回復した)


実り(秋らしくなり里に実りが回復した)

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我が里に実りもどりぬ秋あざみ

橙(だいだい)の夏菊映えて街の中

陽も落ちむ空に広がるうろこ雲


留守にせし部屋にさしおく菊の花その女見えじひそかなるかな


実りも日に日に色づいて色が濃くなっている。今年は相当実りの範囲が広がった。去年はまだまだだった、5年過ぎて実りの範囲が拡大した、まだ荒地化している所も多いことは多い、でもなんか我が里にも実りがあるなと感じるようになった
実りがもどったという感じである。
第一かえって津波が襲った海側は田んぼの区画を広くして今年は実りがある
塩分なども表面の土をとったから影響なかったのだろう。
田んぼからみるとかなり復興したとはなる

どうしても田舎だと田んぼがあり稲穂があり実りがないと田舎という感じがしない
その実りはただ鑑賞するものではない、この土地に生きるものを支えるものである。
ただ実際は地元の米よりスーパーでいろいろな米を買っているのである。
自分もそうである。地元の米を今は食べていない
それでも震災の時物資がこの辺では二週間くらい入ってこなかった。
その時自分は二週間くらいたまたまあった米を炊いてノリくらいのオカズでしのいでいたそして米が足りなくなったときこの辺で古米を無料で配ったのである。
それで助かったということがあった。郷倉というは飢饉に備えて米を蓄えていたのである
人間は何かこうした災害や緊急のとき遠くの人が助けてくれるのかと不安になる。
グローバル経済になり広域経済になってもそうである。

今も岩手県の岩泉とかで豪雨で孤立して道も遮断されて助けに行けないと行っている
この辺も二週間くらい放射能が怖いと物資が入らなかったのである。
その間をしのぐのが結構大変なことなのである。
水道さえも壊れたところがあり水をもらいに行っていた人もいた。
だから我が里に実りがあることは心強いことなのである。
ただそれは一時しかしのげない、米くらいはあってもその他はとてもたりない
地元で野菜作っている人を知っているし金銭的に応援しているがそこでとれのはほんのわずかである。トマト十個もらったが他は何ももらえない、何かあってもとてもそこでは何の用もたせない、ただ一家族くらいなら用がたせるということはあるがそれでもたりない

人間は村も必要だが街も必要である。街がなかったら淋しいだろうなと思う
自分の街は街とも言えない、一、歯医者4軒とかあるから飯館村とかよりはいいとなる
隣に4,5万の市があるからそこに行けば街の雰囲気が味わえる
橙色の夏菊が街ににあうのである。街ににあう花はある
ただもともと自然に花はにあうから街ににあう花は少ないだろう
今は街がないということは相当に不便であり淋しいものとなる
ただ情報的にはほとんど不便感じなくなった。インターネットがあるからそうなる
買い物もできることが前とは違っている
ただインターネットの買い物は注文したものと違ったものが来たり失敗がある。
でもいいものも買えるので便利である。
今は生活が多様化しているから買い物は近くだけではたりないのである。
自転車関係の備品とかはこの辺では売っていないからである。

家を留守にしていたら菊の花を部屋さしておいてあった。その女は去っていた。
花は買ってきてもらっている。菊の花であり何か秋を感じた。
花だけさして去ってゆくというのも奥ゆかしいものを感じる
その女はそんな人ではないけど何か不思議な感覚になった。
家に入る人はまず信頼が第一である。
でもそういう信頼を築くことが時間がかかるし大変なのである。
それで自分はひどい目にあった。家捜しされて大損失だった
一年以上つきあい信頼関係ができれば安心になる
まず十年とか手伝いしているなら信用されていることである。
自分は何か手伝ってもらっているとういものでもない
ただ出入りを自由にしているという感じである
家政婦として今雇うなら20万は必要である。
自分は家事は全部自分一人でしているのである

今日も午前中は暑かったが昼間からはうろこ雲が広がったから秋になってゆく
ただまだまだ残暑が今年は厳しい





タグ:実り
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