2016年09月09日

的を得た行動のチャンスは若いとき一二回しかない (何に時間を費やしたかで決まる人生)


的を得た行動のチャンスは若いとき一二回しかない


(何に時間を費やしたかで決まる人生)


5分しか働かない奴よりも1時間働いた奴の方が偉いみたいな考え方の奴いるな 
その時間でどれだけのことをしたのかが重要なのに

人生80年の時代でもでは人生80年生きてその人が真に生きたかとなるとそうでもない
ただ芸術になると作品を作るのに時間がかかる、芸術家などの場合は長く時間をかけなければ作品は完成しない
ただ歴史的人物とかなるとその行動が別に長い時間をかけたからといって功績があったとはならない、だから明治維新で若者があれだけ活躍したのは時代でありその中で短い人生でも歴史的に大きな役割を果たしたとなる
坂本龍馬の真意は分からないにしても誇大化されるているにしても薩長同盟を成したことで歴史が動いたことは確かである。
歴史の中で一時でも的を得た行動すれば歴史が動かしたとなる、その判断は後世になってもむずかしくなる
当時を生きた人はいなくなってしまっているからである。

個々人の人生でも青春時代30歳くらいまでは行動の時代である。それは必ずエネルギーが悪い方に爆発して犯罪を犯すことにもなる、若気の至りでありそれが老年まで尾がひくとは思っていない、それで推理ドラマでは必ずその若気の至りのことが老年まで尾をひいてその罪が暴かれることがテーマになる
それはなかなか隠すことができなくなり暴露されるし良心的にも内面的に苦しむ
過去のことで亡霊が出てきて悩まされる、もちろん殺人したような人はとても刑罰を受けなくてもその亡霊から逃れることができないだろう。

結局自分も若気の至りがありカルト宗教団体などで貴重な時間を費やしてしまった。
ただ自分にとっては無駄だったとは言えない、要するに人生で経験することは最後はどんなことでも無駄なものはない、誤った行動でも無駄ではない、なぜなら人間が生きる時間が短すぎるからそうなるのだ。
もし人生が二百年とかなればそうはならない、二百年はあれば様々なことが経験できるからである。百年でも経験することは一個人では少ないのである。
だからどんな経験も無駄にはならない、なにかしらのたしになるようにできている

ただ的を得た行動は一生の間で一二回しかない、それは30歳まで青春時代に起きる、何かそのあとはだらだらとした延長である。
要するに野球でも9回ある間にそこで劇的なホームランとか一回くらいしかないのと同じである。人生でもホームランを打つの一回くらいしかないのである。
人生でチャンスはそうして一回くらいしかない、あとは何かだらだらと回を重ねてゆくのが多いのである。
自分にとっては東京の大学に故郷を出るということや大学で一年体育系の部に入ったとかそのあとカルト教団創価に入ったとか
次にまた放浪して家を出て死に目にあったとかある。普通の人はたいしたこでなくても自分にとっては体力もないから苦労だった。
この時は一番行動的な時代だったがあとは30年間は平凡だったし楽だったのである。 

ただ芸術とかの分野だとホームランとかは天才でないかぎりない、芸術でも学問でもこうした分野は積み重ねなのである。
そもそも学問というけどその分野はものすごく広い、本にしたって天文学的な量があり何を読んでいいかもわからないだろう、そしてまず百冊本を読めればいい方である。
そんなに人間は頭に入りきれないのである。すると知識的には限られたものになってしまう、あらゆることに詳しくなれる人間はいないのである。
インターネットととか通販がない時代だとどうしても田舎だと読みたい本、読むべき本が手に入らなかったことが不利だったのである
だから芸術とか学問などの分野は時間をかければかけるほど比例して成果を出すことができる、それは普通の人でもそうなのである。

いくら天才でもあらゆることに通じる人間などありえないからである。
人間はあることには詳しくなれるのである。
最近毛沢東のことを研究している女性は中国生れであり中学一年まで中国で過ごしたからこそあれだけ詳しくなった、日本軍に毛沢東が感謝していたというのも意外だったのである。
こういうことは雑学関係でもありうるのである。人生の時間を無益だとしてもある事を追求していたらその分野で一流となる、それはやはりそれだけの時間を費やしたとうことであり時間をそれに使ったということなのである。それは特別な才能でもないのである。
なぜなら結局何度も言うように人生は何に時間を使ったかで決まるのである。
それぞれの時間は限られている、あらゆることに時間をかけられないからである。

何か感性を磨くにしても俳句でも短歌でもそうだけど70年間生きたら季節のめぐりを経験して感性を磨き深めているのである。季語なども今でわからない季語、使わない季語が多いのである。それだけすべての季語に通じる時間が人間にはないということなのである。何か理解するにしても時間がかかる、だから退職して趣味として俳句でもやるかなとなるとそんなに簡単にはできない、その人にはそうした積み重ねがないからできないのである。
グローバル化すれば外国の一国でも理解することは時間がかかる、二カ国になったらさらに時間がかかる、これだけ世界が広がるとまた比例して時間が必要なのだが時間は限られているから理解できずに終わるのである。
そもそも日本の歴史となると相馬藩であれ福島県内であれそれが詳しく知るとなると相当な時間がかかり結局一部しか知らずに終わる
ましてや全国的な歴史となるともうお手上げだとなってしまうのである。

いづれにしろ的を得た行動は人生に一二回くらいしかない、チャンスもそうである。
カルト教団などで行動していたのは意味ないし行動とは言えない
人生を浪費するだけだとなる、戦争でもやはりそれが的を得た行動であったのか?
ただ強制されたものだけだったのか?カルト教団などで行動している人は強制されたものと同じであり奴隷として行動していたのである。
そういうところでは必ず個人崇拝となり偶像崇拝となっているからである。

人生はそもそも劇的なことはそんなにない、確かに戦争を経験した人は経験しないことを経験した、でも戦後はそんな劇的なことはない、やはり平凡な日常があっただけだとなる平凡な平和な日常がなければなんであれ実りなどない、戦争ばかり災害ばかりつづいているようなところでは何か芸術とか学問とかであれ実りなどありようがないのである。
だからここ十年は自分は非日常のことを介護であれ自分の病気であれ後を継ぐということであり津波や原発事故でも信じられない激動を生きたとなる
それまでの30年間は平和だったな楽だったなとつくづくふりかえるのである。

インターネットは何かマスメデアからすると馬鹿にされるけどいいことを言う人はいる
ただ今までそういう人はマスコミに取り上げられないから注目されなかっただけなのである。
こういうことを言う人は例えば仕事でも本当に有益な仕事をする人はだらだら時間をかけてはない、的を得て仕事をしている人である。それは大きな仕事するとき別に時間をかけない、何か営業でも大きな仕事を引き受ければ会社に大きな利益をもたらす、銀行でも証券会社でも一億とかを引き受ければ手数料だけでも一パーセントでも百万になるしそれが定期的に入ることにもなる、それが株とかの投資になるとその利益も大きくなるからだ。だから百万くらいの金を引き受けるより一億をもっている投資してくれ人と契約すれば
仕事の成果からすればそんな人に時間をかけても無駄だとなる

それはいい悪いは別にして計算的にはそうなる、それが仕事なのかという問題はあるにしても効率から考えればそうなる、時間をかけたからそれで成果が出せるとは限らないのである。
そもそも株とか投資のグローバル経済は大きな金を集める投資信託はそういうことで成り立っているからだ。
現代は時間の節約、効率化が極限まですすめられる、家でも組立式であり二週間で完成する、自分の家は昔の家は地元の人が半年もかけて作ったとかある。それだけ時間がかかっていたのである。インターネットでも何か通信でも知的作業でも効率化が前より計られている、文章を原稿で書いていたらそれを印刷して本のように全国に配達していたらいたら時間がかかるからである。今書いたものを即座に発信すれば一番効率的なのである。
こうして時間を節約できれば他に時間をさくこともできる、家事を全部してでもこれだけのことをプログで書いているからである。
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