南相馬市鹿島区寺内に見いだした共同墓地(仏方ーホトケッポ)
(除染のために杉の木が切られて現れた)
仏方という字が残っている
字が薄れてわかりにくくなっていた
仏と読み取れたから想像できた
市の博物館に行ったらここの場所を知っていた
ここは相当に広い森であり埋葬地だったのである
男性の戒名の脇に二人の女性の名
天保の墓が二つ
ここのホトケッポは広い、森となっていた
近くにそ埋もれし墓や木の切られ今日見いだされて秋の日さしぬ
寺内に天保の墓二つ埋もれありしも今日見いだして秋の日暮れぬ
新しき家あまた建ちそのかたへ忘れられし碑や秋の日さしぬ
墓一つただ石くれや何語るここに埋もれる里の人かな
我が里に知られず埋もる墓なれや今日見いだして秋となれるも
南相馬市の鹿島区の寺内の杉の木が除染のために切られた、そこに文化財の案内が記してあった。ただその案内の板の字が薄れてわからなくなっていた。
でも仏方と読めてそこは江戸時代からの村の墓地だったのである。
ただ墓地の前は村ではホトケッポという場所に死体を葬っていたのである。
そこには墓はなかったのである。
天保と記した墓が二つあったからその頃から墓を建てた人がいた。それがそれなりに裕福な人である。僧侶かもしれない、不思議なのは信女と一つの墓に二つ記して真ん中に男性の戒名がある。
とすると一人の男性を囲んで二人の女性がいたことになる
これはどういう事情を語っているのだろうか?
何か自分の身の上とにているからこの墓が気にかかった。
自分も60まで二人の女性とともに家族として暮らしていたからである。
「信女」とあるの何かいいのである。戒名は今は必要ない、ただ信女とあるとき信頼できる女性でありその女性と一緒に墓に眠っているというのがいいのである。
今では夫婦で嫁いだ先の墓に一緒に入りたくないという嫁が三分の一くらいいるというのも驚きである。それほど姑嫁問題は深刻なのである。
江戸時代には家族墓はなかった、個人墓かか夫婦墓であり別姓の墓でもある
明治以降・・・家という一家の墓になった。
家族墓というのは明治からはじまったのであり新しい風習なのである。
江戸時代には墓はなかった、村の共同墓地である仏方(ほとけっぽ)に埋めたのである。
だからあそこには死体が埋まっているということを意識せねばならないのである。
ただ全くあそこは杉の林になっていて隠れたいたから気づかなかった。
まず外から見ても墓だったということはわからない、杉の林におおわれていたからである。
意外と人間は一番近くのことを知らないのでる、灯台下暮らしである
今日はその過去を発見したのである。
墓に興味あるのはそこに人間が本当に埋まっているということで単なる書類で過去を確認するのとは違っている、何かなおそこに生きた人がいるという感じになる
だから墓というのはいらないという人もあるが墓が残っていれば過去をそこからイメージするのでてある。
ほとんど人間は死んだらそれは不確かなものとなり本当に存在したのかどうかもわからなくなる、それは死ぬとすぐにそうなる人もいる、全く忘れられてしまうのである。
それは実は60くらいになるともう生きながら忘れられる人も多い
社会から引退して何か仕事もしていないとたちまち忘れられる、人間はともかく忘れられることが早いのである。
自分もまもなくそうなるということをイメージする
人間は何か語り伝えるということも三代目から四代目くらいになるとあやふやとなり伝えられない、特に現代は何かそうして親から子へ孫へと過去を伝えることは希薄になっている、それは大家族でもないし家族が分離しているして村だって昔の村とはあまりにも違う村でもいろんな人が混在しているし職業も違う、すると村といっても形だけなのである。祭りだってもう跡を継ぐ人がいないのである。
つまり村の伝承もなくなってしまっている、長老とかもいないだろう。
その土地土地に歴史があってもそれを語り伝える人がいなくなっているのである。
三里という新しい家々が建って街にもなったすぐ脇でありこれも対称的だった。
新しい街が生れそのかたわらに古い墓が発見される
これが世の中である。古いものもまた大事であり何かを語ってゆくのである
だから古いものも無下に捨てるというわけにもいかない、あそこも更地になるかもしれない、すると過去は完全に消えてしまうのである。
それにしてもあんなところに村の共同墓地があるとは思わなかった。
それは杉の林で隠されていたからわからなかったのである。
新地町仏方
新地町に仏方(ほとけっほ)という地名があるけど
全国的にはないからこれは相馬地方独特のものだろう
タグ:仏方(ほとけっほ)
【日々の感想(今日の俳句短歌と詩)の最新記事】
- 栃窪の塩の道から八木沢峠の麓の家 ..
- 桐の花、老鶯、黄菖蒲(梅雨になるのか-桐..
- 赤モズを発見!! (絶滅危惧鳥類ア..
- 菖蒲の俳句(HIKE about ir..
- 空き家の庭に咲く菖蒲と残された岩 ..
- 夏の日に八木沢峠を上り飯館へ
- 夏の夕暮れに相馬市に行く (張田、..
- 藤の花、菖蒲、桐の花(夏になり近辺を回る..
- 鹿島駅前の八重桜ー人間的な鉄道の駅 ..
- 春から夏へ(雲雀、鶯、タンポポ、菖蒲)
- 桜も散り季節が変わり装いを新たにする ..
- 津波から12年桜咲く常磐線沿線を行く
- 残る花(今年は桜が早く咲き早く散った)
- 故郷の丘の桜の詩ー桜散る (桜平山..
- 鹿島区桜田山から桜と海を見る (万..
- 相馬六万石の桜 (みちのくの桜の短..
- 桜咲く六号線を新地まで(俳句連作)
- リホーム終わる(花曇り、枝垂れ桜、大工の..
- 蠟梅と桜のこと(百歳の間)
- 春の日に飯館村から霊山から梁川へ阿武隈川..
1111