秋の短歌近辺十首
(避難区域の空家の不思議-家が人を待っている)
真野川の岸辺に男一人いて心にかかる秋なりしかな
同い年死ぬ人二人秋めぐり我が命も長からなくに
はや散りぬ木の葉にあれや仮設住む人も五年や死ぬ人もあれ
五年過ぎ仮設も淋し秋の灯のともるも少なし消えゆく灯かな
群馬より来り働くその人の一年過ぎむ秋となるかな
通りにそ味噌屋の明かり漏れにけり秋にしあれや仕事あれかし
古本を捨てむと思ふも捨てられじしばしまた読む秋なりしかな
我が家を一人守りて秋となる姉と母との我を見守る
人住まず五年をここに淋しかな秋となりしを家族を待ちぬ
小高駅おりてあわれや空家かな誰か住みなむ秋となるかな
新しき家々にともる秋の灯や落ち着く暮らしここにはじまる
秋だと感傷的になる、真野川の岸辺にはベンチがあり誰か座っている、それは地元の人ではないかもしれない,外部から来る人が以前としているからだ。
なんでもないことだが秋は感傷的になる。それで啄木調の短歌ができる
それもこれだけ年になってからである。
だから27歳くらいでこうした短歌を作ってたい啄木が不思議なのである。
二人同じ年の人が近くで死んだと、60代で死ぬ人は一割はいる、すると自分も死を意識する、だから家を整理している、なかなか整理できない、本が意外す捨てられない、本を捨てようとしてその本を惜しんで読んでいた。本は家が傾くほどあったから半分は捨てた、まだ捨てたいが捨てられない、ゴミ屋敷は異常としてもなかなか捨てられないのである。そこには単なるものではない思い出があるからなのだろう。
でも本はなんか買ったけど読んだのだけど読んでいなかった。
これも忘れているのが多いのである。それよりプログでも自分の書いたものも忘れている人間はとはもかく何でも忘れやすいのである。
だから何かとにかく書き記しておかないともう何も残らない、それほど忘れやすい
そしてついには認知症になるとあらゆるものを忘れる、子供の名すらも何かも忘れる、何かそれが極端だけど人間が最後がいかに忘れやすいからを象徴していたのである。
記憶にとどめきれないことは、何でも
この白い紙に書き記すがいい、そうすれば
君の頭が生んだ子供たちはここで養い育てられ
あげくは始めて我が心にあうような思いをしよう
「シェークスピアーソネット集)
プログなどはこうして日々書いて記憶させておくのにいい、ええ、こんなことを書いていたのか思ったのかとか思い出すのである。それが自分の書いたもののようにすら思えないのである。だから自分の書いたものをまた継ぎ足して新たに書くこともできるのである。
なんか家を考えるとこの辺は奇妙である。小高の駅前でも空家が多い、するとつまり家が住む人を帰るのを待っているのである。家も人が住まないと淋しいからそうなる
家は明らかに人が住まないと死んでゆく、ただたまたま掃除しに来たりしていると荒れてはいない、でも人の住まない家は死んでいるのである。
すでに仮設も五年半過ぎたのである。原発事故などの関連死もあった。でもそれが被害として目立たないのである。原発事故の被害は何か目立たないから外部からたいしたことないじゃないかと見られるのである。一番の被害は故郷に住めなくなったことである。
それも外部から見るとたいしたことじゃないかとなる、別に補償金もらったのだから外に住めばいい、現実に家を建てて住んでいる人も多いからである。
ともかく自分の家でもそうだが家と人との関係というの何かこの辺では考えさせられた。新築の家もまだ建っている、そこに秋の灯がともると何か落ち着く、でも復興住宅もそれなりにできてきたからもうだいたい終わりになっているようだ。
家は今はみんな違った作りである。前は同じような家の作りだったが今はみんな違っている、だから毎日その新しい家々を見て歩いているのである。
鹿島でも通りで店を開いているのは数軒である。味噌屋の明かりがもれてそこは仕事している。
なんかそれだけでも通りがあって活きているという感じになる
でも味噌にしてもスーパーだと種類が多い、自分はダシつきの味噌を買っている、ともかく一人だと何でもめんどうだからそうなる
最近一回相馬市の市でリンゴを買ってもらったがそれがうまかったのでまた買ったら安いリンゴと同じだったのでがっかりした。
それが倍の値段だったのである。そこは地元の市である。そこに地元の産物を売っている
そこで地元の人の会話とか地元のことを知るにはいい、市にはひとのやりとりがある
でも今は全国が世界が競争相手だから農業も厳しいのである。
安いリンゴであり小粒でありなんで倍の値段で買わなきゃならないのかと買う方にしたらそうなる
でも地元産というとき大事にせねばならないということもあるが今はないのである。
そんなこと考える人もいないだろう。スーパーでみんな買っているからである。
昔だったら地元産が多かったのである。農産物はたいがいそうである。すると地元の結びつきがあったのである。
それは高い安いとかではない、地元でとれたものを食べていたから地元を思うとなるのである。
ともかく通りに店もないと通りも死んでいる、シャッター通りにどこでもなっている
なんかそれも地方の衰退である、そういえば秋市なんか昔はあった
そういう時代はやはり近辺の産物が主であり今とは相当に違ったものだったのである。
【日々の感想(今日の俳句短歌と詩)の最新記事】
- 桐の花、老鶯、黄菖蒲(梅雨になるのか-桐..
- 赤モズを発見!! (絶滅危惧鳥類ア..
- 菖蒲の俳句(HIKE about ir..
- 空き家の庭に咲く菖蒲と残された岩 ..
- 夏の日に八木沢峠を上り飯館へ
- 夏の夕暮れに相馬市に行く (張田、..
- 藤の花、菖蒲、桐の花(夏になり近辺を回る..
- 鹿島駅前の八重桜ー人間的な鉄道の駅 ..
- 春から夏へ(雲雀、鶯、タンポポ、菖蒲)
- 桜も散り季節が変わり装いを新たにする ..
- 津波から12年桜咲く常磐線沿線を行く
- 残る花(今年は桜が早く咲き早く散った)
- 故郷の丘の桜の詩ー桜散る (桜平山..
- 鹿島区桜田山から桜と海を見る (万..
- 相馬六万石の桜 (みちのくの桜の短..
- 桜咲く六号線を新地まで(俳句連作)
- リホーム終わる(花曇り、枝垂れ桜、大工の..
- 蠟梅と桜のこと(百歳の間)
- 春の日に飯館村から霊山から梁川へ阿武隈川..
- 春彼岸−墓の役割(白菊の花ー寒さ戻る―雪..