菊(北風が吹いて寒くなった)
いつも行く垣根に菊や路次曲がる
知る人の今日も畑に菊映えぬ
前畑に蔵ある家や柿なりぬ
蔵の壁秋の日さして畑あり
北風の鳴りて蔵ある農家かな
日も暮れむ色様々や秋薔薇
ひまわりや道幅広くなりにけり
モスバーガー
毎日同じ道を行っている、介護してから毎日同じ近辺を行っている、でもそこにもは味わい深いものがある、人間日々見ていても何かを発見する
何気なく日々見ているものに美がありそれに気づかないのである。
畑で知っている人がいつもいる、ただその人から聞くの畑仕事をする苦労だけである。
それだって別にそれで生活しているわけでもない、趣味なのである。
むしろ金を出してしている、その金を出させられたのが自分である。
トマト五六個もらったがあとは何ももらえないし家で仕事するというのも5,6分なのである。それで金をそれなりに払っている、だから割に合わないとなる
なんか自分は割りに合わないようになった。これまでは三食用意するものがいたが介護になってから食事は自分で作っているし家事も全部自分でしている
誰も自分のためにしてくれる人はいない、結局割りの合わない役が回ってきたのである。人間はつくづくいい役ばかりではない、役というときrollという英語になる、rollingするのが人間なのである。
自分は割りが良かったが介護になってからは本当に割りの悪い役が回ってきたということである。
蔵があり畑があり農家がある、こういう景色が落ち着く、なんかこの辺ではそういう当たり前の景色が失われていたからである。今も全部が回復したとは言えない、
今日は北風が吹いて寒かった。北風が蔵に吹きつけても何かびくともしない重みがある。ただここの蔵は古いというのではない、ただ蔵があるということは何か重みが備わる
でも今はあまり蔵は活用していない、それでも蔵あるのが農家だとなる
新田川の橋の方に行く狭い道路は広くなった。そこにひまわりが咲いていた、広い道路を行くのは気持ちがいい、あそこは狭すぎたのである。
広い道路にはひまわりがにあっていた。ひまわりがあそこには結構咲いていた。
秋から冬にはにあわないがひまわりの写真をとった。
他の人も見にきていた。大きいひまわりが見物だった。
他に農家で薔薇を栽培していた、やはり今は写真の時代である。
俳句にしてもなかなか言葉だけだとイメージできないからだ。
人間はおそらく狭い範囲で生活しているとそこにはあるものに愛着を感じてくる。
日々そこを通り見ているからそうなる、旅だと一過性で終わり記憶から消えやすいのである。記憶に残る、それが生活なのである。
モスバーガーには土曜日なのにがら空きだったのはなぜか?あそこは息抜きにいい、喫茶店で仕事する人もいる
あそこは気楽に入れる、何か店は雰囲気によって気分も変わる、、テーブルや椅子の並べ方でも気分が変わる
あそこは天井が高い、内部がくつろげるようになっている
マグドナルドとかは何か食べるだけというだけで嫌なのである。
今の時代は何か雰囲気が大事になる、食べるだけではない、そういう時代である。
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