2016年12月10日

スマトラ津波と原発事故も他山の石として見なかった (日本の戦争の敗北も原発事故も奢りの結果?)


スマトラ津波と原発事故も他山の石として見なかった

(日本の戦争の敗北も原発事故も奢りの結果?)

これだけ経済でも情報でもグローバル化したときなぜか本当はしていなかった。
チェノブエリの原発事故はどうだったのか?
スマトラであれだけの津波があったときもそうだった。

どう日本人は見ていたのか?自分はどうだったのか?

「ロシアは技術が遅れているからな」
「スマトラは津波のことは知らない、日本だったらみんな逃げていたよ、すぐに警報でるからな」

何かこんなふうに見ていた、というよりそういうふうに上の人、科学者でも何でも日本はあんなことにはならないと見ていた。
そして右翼のように日本人は優秀なんだよと自画自賛していたのである

これだけグローバル化したのに日本人は国際的視野をもてなかったのかともなる

その責任はどこにあるのか? やはり指導層にあったのだろうか?

つまり政治家とか官僚とか科学者とかマスコミ報道関係とかにあったのか?
そこになにか警告するもの啓蒙するものがゼロだったのである。

日本はあんなことにはならない、日本は津波だって何度も経験しているし原発だってロシアのように事故にはならない、日本は技術が優秀だからなとなっていた
日本の技術が優秀だというとき電気製品を作るとか素材を作るとか優秀な分野はあったがみんなか科学技術分野で優秀ではなかった。
現実に原子力の最先端の技術をもっているのはアメリカだったのである。今でもそうである。

そういうふうにうぬぼれさせたのは誰なのか?
そこに日本を指導する上の人たちの責任があった
上に立つ指導する人はそういう地位にあり日本国民を導くものとしてある
そもそも原発に関しては民衆は知らないからである。知らされても理解できないからである。そうなると責任は原発を運営する指導者たちにあるとなる
科学者の責任も大きい、今では反省しているというがやはり責任を感じている科学者がいた。

何かやはり人間は指導者の責任が今になると大きいと感じる
民主主義があとしてもではすべて民衆が関与できるかとなるとできない
原発になると特にそうである。わからないから上の人たちの言うままになりやすいのである。
だからなぜ新潟県の巻町では町民の合議で原発をやめたというのは驚くしなぜだろうともなる。原発と危険だとしてやめたのだからそこでは民主主義が機能していたのである。

先の戦争でも賛否両論があるがやはりこれも上の人たちの責任が重い、でも何か国民が戦争に熱狂していたんだというからとめられなかったということも言われる
それにのって朝日新聞などが戦争を積極的に称揚して戦争をあおったとなる
するとこれも国民の責任なのかとなる、民主主義ではすべての責任は国民か負うとなるからでてある。

でも天皇がいたとしてその天皇が最高責任者だったというとき「朕は戦争はしない」と言えばみんな従ったのかとなる、もしその一言で戦争しなかったら国民の300万人は死ぬことがなかったとなる、なぜなら戦争をやめたのは原爆のあとの天皇の玉音放送で決めてそうなったからである。

原発事故が二度目の敗戦だったというのはそうかもしれない、共通したものがあったからである。
日本は神国だという「不敗神話の形成」原発事故も「安全神話の形成」があり共通していた。
そこには日本人がこんなにグローバル化しても実際は同じような轍を踏んでいるのである
日本は優秀だとか日本だったらあんなことにならないよなとか外国のことを他山の石として見ていなかったのである。

ともかく個人的にでも人間がうぬぼれる、傲慢になるとき危険になる
何かその時神からき罰を与えられるのである。
今回の津波でも想定外だったかなるのはそうである。神の力は人間では計り得ない、想定外なのである。でも人間はうぬぼれるからそこで神から罰が与えられる
何か人間は事業でもなんでも奢るとき失敗に通じているのである。
若いとき成功して地位を得たりしたら最悪だろう。
それは奢りになり謙虚さを失い傲慢な人間になってしまうからである。
だから頭がいいとか優秀な人間も危険なのである。身内のことだからあまりいいたくないけど最後まで優秀だと言っていたが認知症になったときほと驚いたことはない
その悔しさなのか最後まで自分は優秀だったといって死んだのである。

上に立つ人は政治家でも科学者でも官僚でも東大出とかで下を見下す、マスコミ関係者も俺たちが世論を作るんだとかインターネットの前は情報を独占していたのである。
だからマスコミによって世論が作られ誘導されていたのである。

人間でも国家でもおごることが滅びに通じている、「奢る平家の久しからず」である。
日本の二度の敗戦もやはり奢りからだともいえる
日本人は技術的に優秀なんだ、津波だってスマトラのようにはならないとかうぬぼれて他山の石として見なかったのである。

結局こうして権威は失墜した

政治家のおごりは権威は失墜した
官僚の権威も失墜した
科学者の奢りは失墜した
マスコミの権威も失墜した
・・・・・・・・・

やはり高きものは低くされるという聖書の言葉がここで生きてくる、そういうことは常に個人的にも国家的にも世界的に起きてくるのである。
強いと思うもの高いと思うものが必ず低いものとなる、繁栄もいつまでもつづく国はないのである。
日本でも経済がこんなに衰退するのか?カジノと観光客でもうけるほかないのか?
そんなに落ちぶれてしまったのかと驚くのである。
バブルから日本の経済は長期停滞したままなのである。
そして観光客とカジノに頼る三流国になったのかとなる

日本は戦後は高度成長時代となり調子がよすぎたのである。そのためにうぬぼれになった傲慢になった。それが原発事故になった原因でもある
原発の技術はアメリカが日本よりずっと優れていたのである。
でも原発は日本では事故にならないとか安全神話は作られていたのである。
その奢りも津波や原発事故でもろくも崩れ去ったのである。
タグ:他山の石
posted by 老鶯 at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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