2016年12月11日

師走俳句十句(鹿島から相馬市へ、復興の電車走る)


師走俳句十句(鹿島から相馬市へ、復興の電車走る)  

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この車両は前に団体とあり特別のものだった
開通のために走らせたものらしい

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冬陽没る六万石の城下町

冬の灯や六万石の城下町

冬の月六万石の城下町

灯のともり田町のあわれ冬柳

晩菊や待つ人あれや無人駅

無人駅おりたちあわれ冬薔薇

復興の電車走るや師走かな

復興の電車や百輪の冬椿

枯芒二両の電車や昼の月

石一つここに落ち着き冬椿


ローソンにカフィラティを飲み外見れば枯野広がり昼の月見ゆ 



一昨日は夜に自転車で相馬市に行った。今までは介護だから夜には行けなかった、介護となると問題はつききりではなれられなくなることなのだ。
認知症の場合は特にそうなる、不安になり一人でいられないからだ。
それで十年間ゆっくり外にでることもできなかった。それは相馬市とか近くでもそうだったのである。

相馬市は六万石の城下町であるが外からきた人は何かそうは感じないだろう。城跡があり石垣がわずかに残っているがそこが城があったとも感じないからである。
ただ入母屋作りとか相馬市では建物を昔風に統一した街作りをしている。
新しい市役所でもそうであり公共的な建物はみんな統一している。
それで落ち着いた感じにはなっている。ただそれに不満な人もいるだろう。
建物だけが立派で他に金が回らないとか思う人もいる

相馬藩が六万石というときそれでも土地としては海あり川あり山ありで広いと思う。やはり海があることが福島県でも違っている、そのために津波の被害や原発でも海があって建てられたがそれが裏目に出たのである。
なぜ六万石で野馬追いのようなことができるのか?それだけの侍がいたのかとか疑問になる、そしてなぜ伊達氏のような大藩を相手に戦い独立を保ったのか?
それはやはり海があり海を利用して運輸がありそれで力をもっていたともなる
海は漁業の海ではなく運輸の交通の海としてあったことが見逃されているのである。

鹿島駅は無人駅になった。小高の方に職員が移った。昨日は電車が仙台まで通じた復興の日だった。これはやはり復興として大きい、今日は原町に12両の電車がとまったという、日曜日で特別乗った人がいたのだろう。
でも以前として二両とか4両とか6両で車両としては少ないから乗る人がまだ少ないとなる前は8両が普通だったみたいだからだ。

二両の電車も不思議だった。相馬市と原町の間を行き来していた
なんかのんびりしていた。それで昼の月があっていたともなる
この辺は自分でもそうだが介護で十年でありその間に翻弄されてきた。
そのことはプログに書いてきた。その後は津波であり原発事故でありここは常に変化の中にあった。なんか落ち着かないのである。
自分の母親も死んで明日が一周忌であるが何もしない、花を一杯さして飾り終わりである何か一人だといろいろなことに手が回らないのである。
フログだって書くの半日かかることもある、家事もしているし自分は介護はなくても常に以前として追われた生活なのである。
だから今年仙台に行ったのは一回だけだった。
今年中にもう一回仙台まで乗って終わりである。

この辺の変わりようははげしかった。新しい家が数百軒もたち復興住宅もたちどうも大熊とかの方の人も建てたらしい、今度は浪江の人が復興住宅に集まり住むとか今度は仮設住宅から南相馬市とか相馬市とかにも移ってくる。そこでまた変化がある、
この辺は常に変化なのである。自分の場合、介護十年だったから一身上も常に変化だった30年間変化ない平穏な生活とはまるで違ったものとなっていたのである。

今も自分はほとんど遠くに行かない、毎日近くを行ったり来たりであり十年間そうであるローソンでカフィラティというのがうまい、ミルク味がいいのである。
あそこで外で休みそれを飲むのが一腹であり楽しみである。
外に昼の月がてて枯野が広がる、それが田舎らしいのんびりさがあるとなる
でもこの辺は何か変化が常にあるからずっとのんびりはしていられなかったのである。




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