2016年12月17日

震災から五年八カ月すぎてふりかえる


震災から五年八カ月すぎてふりかえる


●五年八カ月の間に何をしていたのか?

津波原発事故から五年六カ月はすでに過ぎた。
その五年八カ月を何をしていたのか?
常磐線は開通した
電車にのって快適でありバスよりずっと楽だった。
当たり前にあったものだったが五年六カ月も乗らないから
その感覚を失っていた。
でも電車は本当に楽で仙台が身近になった
駅は近くすぐに乗れるからだ,バスのように乗り換えもなく行ける
五年八カ月の間に着々と工事はすすめられていたのだ
無為に時は流れてはいなかった。
そして高架橋の新しい鉄道が開通した
その喜びをみんなが味わった


五年八カ月というと長い、でもこれもたちまち過ぎ去った。
でもふりかえるとこの五年六カ月は何だったのだろう?
仮設に住んだ人はどんな気持ちだろうとなる
でも原発避難者はその五年八カ月の間何をしただろうか?
彼らに植えつけられたのは絶えず被害者として援助されるべき者として
あったことである。まわりもそうさせたのである。

そのことがわかったのは自分が原発避難者を批判したとき「お前は被災者の傷口に塩ぬって楽しいか」と責めてきたからである。
それは若い人だろう、若い人ですらその人は何をしていたのか?
それは全くわからないにしろともかく自分たちは被害者であり同情され援助されるべきものであるということがこの五年六カ月で会得したのである。
だから今でもそう思っているからこそこんな言葉で責めてきたのである。
「お前には人間の情がないのか、良くかわいそうな被害者を責められるものだ」となったのである。
それはずっとそう思い続けているから五年八カ月の間に何もしない人が多かったろう
やったことはギャンブルなのが多かったのである。無駄に時間は過ぎたのである。
ただいろいろ混乱してわけもわからずに過ぎたということもある
何かしようとしても何もできないということもあったろう。
ただ何であれ時間は容赦なくすぎてゆくのである

一方で復興住宅を建てていたとか、そこで暑い盛りに働いている人を自分は見ていた。
そして復興住宅はできてまた人がすでに住みはじめいてる
常磐線の仙台までの開通も成った。これも五年八カ月の間に働いていた人がいたからこそである。
でも原発避難者はこの五年六カ月の間何をしたのか?
ただかわいそうであり被害者の意識が植えつけられて補償金のことのみに追われていたのかもしれない,その間も常に援助があり援助されるべきものとして被害者として訴えることが仕事になったのかもしれない
また援助されるということは権利にまでなっていった。
だから自分が批判したとき若者でも責めてきた,ではその若者は何をしていたのか?
おそらくやはり遊んでいたのだろう、そして強固に被害者意識だけは植えつけられたのである。

俺たちは被害者なんだ、被害者様なんだ、なんでお前は批判するんだ、そんなことしている人は誰もいない、お前だけだ

こういう意識にこりかたまったのである。過剰な援助でこういう腐った人間が作られたともなる、だから必ずしも援助がいい方に働くとは限らない、自立の精神が失われるのである。これからも延々と放射能被害を言い訴え被害者意識は消えないだろう。
二万年プルトニウムが消えないように訴え続けるかもしれない
それも一面は必要でも自立の精神は失われ他者頼みになる、自分たちは被害者だからなにもしなくてもいい援助されるべきでありそれに文句言うやつは非人間だとかなり集団で責めてくる、そういう悪い根性ができあがった五年六カ月でもあった。
だからこうして被害者意識にこりかたまってしまうと自立して何かするということはなくなる
何かしてもらう援助されるべきだとなっているから自らは何か努力することもなくなるからだ。
それは中国の戦争被害を訴え続ける反日とか韓国の反日ともにている
その被害を延々と訴えて自分たちの国を有利にする、賠償金を未だに払わせることともにている
そのためにいつまでたっても対等の関係にならないのである。

●マスコミが一方的に原発避難者側についたのも問題

その一つに意外とそれが良くわからない、気づかないがマスコミの影響もあった。
特にNHKは影響力が大きいから原発避難者であれ国民にもその報道が大きく影響したのである。

何回も取り上げるがちょっと気づかないがNHKは原発避難者の側に常に立って取材していたのである。

飯館村の人が相馬市のトマト農家に仕事をしたいといったとき断られたと飯館村の人に言わせた、それがなんでもないようでもそれを見た人は相馬市の農家の人は冷たいなと見たのである。
飯館村だけの人の言い分を言わせたからそうなったのである。

それからいわきに避難した団地でも原発避難者が仲間に入れてくれとか言わせていたがなぜいわきの人は仲間に入れてくれないのだ、差別するのだと主張させていたのである。
それを見るといわきの人たちは冷たいなとやはりなる
それは一方的なことであり常に原発避難者の側に立って報道していたのである。
そのいわきでも津波の被害者がいたりしているから複雑になる。
でも原発避難者の不満だけが何か見ていた人たちの心に残るのである。

浪江の工場経営の人も「一緒に仕事していた人が仕事をくれない」というときそれも冷たいなと見ている人は感じる、それは常に被害者としてかわいそうな人たちとして原発避難者を見ているしNHKでもそう見ていてその側に立つからそうなる
つまりNHKは中立ではない、裁判官のようになっていたのである。
それはマスコミでは他の報道でも常にそうである。ただそれが良くかわらないのである。今回は自分が当事者になっていたからあれおかしいなと気づいたのである。
こういうNHKの報道などでも原発避難者の被害者意識を強固にして内部でも外でも批判できないタブーにしたのである。
マスコミは報道者は裁判官になってはいけないのである。
ところが実際はそうなっていることが多い、それでマスコミはネットから゛批判されるようになったことはいいことなのである。
報道することは自由にしても裁判官として報道するべきではないのである。
NHKだとその影響が大きすぎる、それがかえって悪い方向に働くこともある。
おそらくNHKでは原発避難者側に立ったたとが正しいしそれが原発避難者をかえって悪い方向にもってゆくなど考えていなかったのである。
実際にそれは和解にはつながらない、双方の対立を生み地元がさらに分断されたともなるからだ。
もし地元のことを考えるならそういう報道は危険だったのである。

もちろん原発避難者にも言い分はあるしそういうことを自分は想像してその側からも書いてきた。住み慣れた故郷とか家族が分散したとか老人だけが取り残されたとか同情して書いてきた。そうしたアイディンティティを失うことがどれだけ大きな被害だったかということも外からはわかりにくいのである。
おそらく原発避難者自体もそういう経験をしていないからはじめて経験したから気づかないとういこともあったのだ。
それは電車に五年六カ月ぶりに乗ったことでも気づいたことでわかる
当たり前にあったもののありがたさを気づかないのである。
なぜなら当たり前にあるものだからである。それは親でもそうである。それがいるのが当たり前であり食事を作ってくれるのも当たり前だったからである。
それが死んでいなくなったら全部自分でやるようになりそれも介護となる自分がその代わりをするようなった。その時はじめて親のあゃがたさがわかったとなる

いづれにしろ震災から五年八カ月すぎて今何か冷静にふりかえる時が来たとなる
ただいくら反省しても人生と同じで時は決して帰ってくることはないのである。
あの時こうしていれば良かったとか言っても帰ってこないのである。
貴重な五年六カ月はすぎてしまったのである。

今年もいろいろあったがだいたいもう終わりである。だから一年をまた震災から五年六カ月をふりかえるのにはいい時期なので書いた








posted by 老鶯 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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