2016年12月18日

夜の小高でNHKの取材の人にあう (真っ暗な街にイルミネーションだけが光っていた)


夜の小高でNHKの取材の人にあう

(真っ暗な街にイルミネーションだけが光っていた)

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夜の小高に来てみた。二カ所でイルミネーションを派手にしていた。
何人か子供が見て喜んでいた。
そして街灯に雪の結晶のイルミネーションがきれいだった。
今の時期にあっていいなと思って見てきた。

そこでNHKの取材する人にあった。それで聞いてみた。

「原発避難者にはパチンコで遊んでいるとか地元でも非難があるんですが
NHKの放送では原発避難者側の言い分を聞きすぎるのではないか
地元でも別に苦しんでいる人はいるんですけど」
「私は海老を津波のことを取材しているんです、そういうことがあっても私にはどうにもなりません、上の人が決めることですから・・・」

何でも聞くと必ず上の人がしなさいというからしているだけですとなる。でも上の人が決めるというときな確実に一つの方針を決めて取材して編集して放送しているとなるだろうそれを決めるのは上の人だとなり下はただ従うだけだとなる

これも変なのだけどともかく何かというと上の人が決めることですからと言う、その上の人とは誰なのだろうか?
上の人がそういうなら何でも従うのが下の人なのか?
おそらく上の人に聞いたらまた上の人がいて上の人に従うだけですからとなる
そして結局上の人は決めるのは誰なのかわからない
ただ上の人が決めることで私にはわかりませんとか責任はないですとなる
まず普通の人は第一その上の人に決める人には絶対に会えないとなる
合せてくださいといっても会えないのである。

下の人は

上の人が決めたことですからわたしは知りません、責任はないです

さらに上の人に聞くと

上の人が決めたことですからわたしはしりません、責任はないです

こんなことが延々とつづくのが社会になる。

そして最後は戦争でも誰が決めたのかわからない、上の人が決めたことですから私には責任はないですという無責任体制になる

原発などでもそうだろう、一体誰が決めて誰が責任を負うのかとなると戦争と同じようにない、上の人が決めたことですからとなってしまう
原発で作業している東電の社員でもみなんそうだろう。
私は上の人に従ってしているだけです、私にはわかりませんとなっている
東電の社員はみんなそうだろう。私は上の人に従って原発であれなんであれ仕事するだけです、電気を作り送ることが仕事なんです、事故が起きても私は上の人に従うだけですから責任はないですとなる

戦争でも私は敵を殺したのは上の人の命令でありそうしなければ自分も危険になり命も危ないからそうしたまでです、上の人の命令に逆らうことはできないです

でもこのこともおかしいといえばおかしい、取材というのは放送というのはただ上の人の命令のままに放送する、取材する人はただ命令に従うだけだとなる
何か取材する人の主体性はないとなる、上の人の言われるままにしているだけだとなる

NHKで、籾井勝人会長が熊本大地震の原発への影響について、"政府の公式発表以外は報道しないように"と指示していたことが判明したのだ。

上の人とはこの籾井会長のことだったのだろうか?この人がそう言ったので報道管制がしかれたからである。上の人に最後に決める人は会長なのか、社長なのか、全責任はそこにあるのか?でもその会長にしても政府の圧力があったとなると会長だけでは決められないとういこともある。報道とはこのように常に権力の圧力があり操作されるのである。


そもそも報道というのが何なのか?これも良くわからないのである。
自分でもプログで書いていることが報道であることを自覚したから報道は何かと追求する結果になったのである。
つまり今までも一個人は報道などできなかったのである。報道の権利はマスコミのみがもっていたのである。だからマスコミは第三の権力になっていたのである。

上の人が決めるというときその上の人に普通の人は関係できない、聞くこともできない、ただ権力があればできるとなる、権力がないかぎり何もできないともなる
だから重要な情報は隠されているし普通の人は知ることができないのである。

NHKだと報道することで大きな力をもっている、だからこそ原発避難者側について取材して報道したから誰も原発避難者を責めることができなくなったのである。
マスコミの言うことが世論であり体勢を決めているのでありそれに文句言うのかとなる
でも実際の問題は複雑なのである。原発避難者に反発している人も相当いたのである。
そういう声はNHKでも出さない、そもそも上の人がそういう方針で放送することを決めていたからである。それがどうも小高にいたNHKの取材する人はわかっていたみたいだ。

自分は何も特別小高の人に恨みがあるのでもない、小高の人とも良く話したからである。地元に生活しているのだから協力するのがいい、でもその対立の原因となっているものをないものにする、隠すことはできないのである。
そうしたとしても結局表に現れないでも対立することになる、子供のいじめにもなる
何らか和解の方策を模索することが必要なのである。
でもNHKで一方的な報道をすればかえって対立をあおることになるのである。
そこに慎重さが要求されたのである。

つまりそうした一方的な報道するとかえって地元にとっても困ることになるのである。
別に地元では争いたいということではない、協力してやっていきたいのである。
なぜならボランティアのようにそうして取材するマスコミのようにここに住む人とは違うからである。
地元の人になると争いがあると住みにくくなるからだ。
だから原発避難者でも対立はしたくないのである。
自分はそういう立場でプログに書いてきたのである。

ともかく小高まで電車に乗っていたのは行きは二人であり帰りも二人だった。
一人はボランティアだった。山林の仕事とか小高に帰る人のために働いているとか言っていた。東京から来たという。
千人は帰っているというけど実際は六〇〇人くらいで千人というのは帰ると役所に登録した人でありまだ帰っていない、ただ来年の三月で帰る人が千人なのかもしれない。
街の中は本当に真っ暗である。人の気配がない、田舎はもともとそうして静かなんだけどやはりその暗さが違っている。だから知り合いの女性は暗いから嫌だというのがわかる
灯がともっているのは本当にわずかであり真っ暗だという感じになる。
もしかしたら江戸時代だとあんなに暗かったかもしれない、それでも行灯の灯などがともっていたのだろう。この辺は一時江戸時代にもどったようにもなった。
街灯だけは華やかなことは違っていたのである。
タグ:原発とNHK
posted by 老鶯 at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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