2016年12月21日

紛争地、事件現場とかに侵入する記者の危険 (事実は語れてもどっちかに味方することは危険)


紛争地、事件現場とかに侵入する記者の危険


(事実は語れてもどっちかに味方することは危険)


シリアとか取材に行って人質になって残酷に殺された人がいるけどその時、盛んに自己責任だ日本政府では金を払う必要がないと世論でもなった。
そんな危険な所に行くべきではないしそのために日本国民の税金を払うべきではないとなった。
確かにその現状を知らせる人が必要ではある。でもそういう場に入っても何がなんだかわからなくななるだろう。
それは別にそうした大事件ではない、世界的なものでなくてもみんな個人的に経験しているだろう。もめごとが争いがあるときその当事者になると何が起きたのか訳わからなくなる、そういうことを自分も経験している
急激に交通事故で死んだけどそこには様々な事情がありそれが理解できなかったのであるそれがまた離婚したばかりだとか運送会社で働いていたとかそれも複雑であり何か起きていたのかわからなかったのである。
そういう時判断することができない、結局得したのは弁護士が仲介に頼んだが何もしていない、百万で頼んだが実際に交渉したのは保険会社の人だった。
弁護士は裁判もなにもしない、ただ百万を受け取っただげだった。

もう一つは親戚でも最初は母親と娘がいて母親がひどい人だと思っていた。実際は娘が母親を虐待していたのである。全く逆だったのである。その娘は自分の家にきてとんでもない人間であったことがわかった。それは信じられない人間になっていたのである。
これは長い間交際をしていないからそうなった、どういう事情になっていたのかわからなくなっていたのである。時間がたつと事情が変わってしまうのである。
だから何かもめごとがあると争いがあったら両方の言い分を聞くことが鉄則である。
裁判で双方の言い分を言わせることでもわかる。
喧嘩両成敗なのである。喧嘩になるには何か双方に原因がある。一方的に聞いていると必ず判断を間違い,仲裁に入ってもその人が危険になり傷つく

だから取材というのもNHKでもここでは原発避難者を一方的に味方する放送だったと思うここでは津波の被害者もいるし両方の被害を受けた人もいる。複雑であるからこそどっちかの味方につくことは危険である。
そもそもシリアのような所ではもう踏み入れたらそこは何がなんだかわからない世界である。その現場に行ってももう何かを理解することはできない、ただ事実は報道できる
誰かが殺された、何人死んだとか、家が壊されたとか、そこに起きた事実は冷静に見て報道できる。でも誰が悪いかの何の原因なのかとそうしたことは簡単に報告することは無理である。それはもはやあきらめるほかない。

だから何か事件の現場でも紛争地でも第三者が入ることは危険になる。
何か伝えねばならないんだといってもその土地のことは簡単にわからないし紛争にまきこまれることになる、それが日本政府にも影響してくる。身代金を要求されるからである。何か伝えねばならないということはある、でもそれが日本国民にどうしても必要な情報なのかとなるとそうでもない、むしろ日本国民を危険に陥れる方になる
それはこの辺の原発事故周辺で起きていた。
何かそういう意図は放送では明確ではないから注意もしない人も多かった。
それはもしかしたら自分だけかもしれないとなる

相馬市のトマト農家に飯館村の人が働かせてくれと頼んだが断られた、相馬市でも津波の被害が大きいから津波の被害者が優先だとしてそうなった。
飯館村は同情すべきでも補償金をもらっているしその額も大きいのである。
相馬市の津波の被害者は補償金はゼロだから不満が大きいのである。
そういうことを考慮すれば別にその相馬市のトマト農家を批判すべきものでない
むしろ適切な判断をしたのである。
そして働きたかったら原発避難者こそボランティアでやるべきだと自分は言った。
補償金をもらい余裕があり病気でもない普通の体ならできるからだ。
それなのにギャンブルに興じているだけだったら原発避難者の方が批判されるべきなのである。
これには放送するNHKの意図があるのが見えにくいでも何か上の人の命令でしているというときその意図があり原発避難者側について放送していたのである。
そういう意図が上の人で決まっていて取材して編集して放送したのである。
トマト農家の言い分は放送していないからである。他の人の言い分も聞いていないし言わせないからである。

他でも浪江の工場経営の社長が前に仕事をしていた仲間が仕事をくれないいうときもそうである。
工場経営とかなると億の金をもらったかもしれない、そういう人が仕事をくれというとき仕事をくれないとテレビで訴えていかにも仕事をくれない前の仲間が冷たいとか悪いというふうに放送していたことになる。
双方に言い分がある、だから一方的に味方した放送は裁判官になっていたのである。
双方の言い分を言わせないからである。マスコミにばそういうことが多いのである。
マスコミが取捨選択して編集して自分たちの意図を通した発言をさせているのである。
ネットだと問題があるにしろ誰でも発言権はある、でもマスコミにはマスコミの意図にそったものしか発言できない、そこにかえって不満になり対立が深まるとなる。
NHKでそうしたことを全国報道することは影響が大きいのである。
全国の人に回りの人はなぜ原発避難者に冷たいのだとすりこまれるのである。

でも現場の事情は複雑なのである。だからマスコミのNHKの意図したことを報道するのではなく事実を報道することが報道の基本にある。
つまりこの辺の事実はどうなのかである。原発避難者に補償金で不満な人がいるとかは事実である。そういう事実を隠すことはできない、原発避難者にとってはそう放送されれば自分たちの不満を言わせてもらって良かった、見ろ、NHKでもそう思って全国に放送しているのだとなる、でもそれが本当に良かったのかとなると原発避難者に不満な人たちも現実に一緒に住んでいるのだからそうはならない、それでNHKがそう発言させてくれて全国にも放送したのだから回りのものを従うべきだ、原発避難者に文句を言うなとなる。
でもそれで解決するかとなるとならない、不満が鬱積してくるだけだとなる
そしてそのことで原発避難者は思いあがり原発避難者を批判すると誰もお前のような奴はいない,みんなが全国民も原発避難者に同情しているとかなる

そして極端になればギャンブルしようが何しようが補償金はもらって当然だとなる。
被害者なんだからどれだけ被害かあったのかわかるかとなりそれを言い続けることになる被害者特権化する。何でも容認されるとまでなる。俺たち避難者様に何も言うなとなる。そういうことを助長することにもなったのが今回のNHKの放送である。
津波の被害者は別にして原発避難者に対してボランティアでも一見いいようでもそれを助長していた。避難者は助けられるべきものでありそれが当然であると思いこむようになった。もちろん原発避難者の被害は大きいし深刻なことは書いた。
それとこれはまた違った問題になっていたのである。
ただNHKではそれだけではない、復興のために努力している人のことを放送している。
他にも復興のために寄与する放送はいろいろとしているのである。

鹿島出身の議員が小高の人を応援していた。それで選挙になればその人にいれる、同じ南相馬市民だからそれは自由である。
その時、その女性は鹿島の人がみんなやはり原発避難者を応援していると思っていたのである。それで私たちは鹿島では消費しているから鹿島の人も助かっていると言っていたのである。そういうことはあっても何か納得いかないだろう。
自分はその時介護や自分の病気で四苦八苦していたから余計に不満になったのである。
自分も苦しんでいるのに誰も助けるものがいなかったから腹ただしくなっていたのである

ただ自分は三回くらいそうして原発避難者と対立した事態がありその時必ず原発避難者側にたって放送していたのである。
いわき市とかで復興団地に入って地元の人が仲間に入れてくれないというときではそういう放送をして原発避難者側についた放送をしてその地元の人が納得するかというとしないだろう。NHKがそうしたのだから従うほかないとならないだろう。
ますます反発するということもある。
だから自分が原発避難者の方がボランティアやれと言ったのである
何か被害者だ、被害者だと特権のみをいい俺たちは同情されるべきであり援助されるべきでありしかない、ギャンブルして遊んでいようがそうである。
俺たちに文句言う奴は許せない、NHKでもそう放送している、全国民がそう思っているからそんな奴は許せない、糾弾すべきだとなる

そういうふうに思いあがらせたということがNHKの放送でもあったのである。
ただそれが気づきにくいことがあったからそれに何も言わない人が普通だろう
そして奇妙なのは小高の人たちがどうなっているのか?若い人は流出して帰ってこない
小高の復興が誰がするのか?外部の人でありボランティアなのかとなってしまう。
小高の人は被害者として補償金だけは要求する、それも当然だと思っている
それで原町であれ小高であれ新地であれ家を建てている
小高はというと老人が帰り一割も帰らない、その復興は誰がするのですか?
それは外部の人でありボランティアでしろとまで極端になればなってしまう。
だからボランティアにきてそういうことを知り怒っていた人がいたのも当然である。
お前らの街なんだからお前らで復興しろというのも当然なのである。
ボランティアはあくまでもその手助けをするだけである。
その主役がボランティアになったら変なのである。そのまま小高に住んでくれるならいいがみんな帰ってゆくからである。

だから紛争地では一方の言い分をだけを聞いているのは危険になるのである。
もしシリアとか戦争状態にあるような所で一方の言い分だけを聞いて放送していたら身も危険になる。ここではそういうことはないにしてもそうした一方的報道に不満が内向してゆく、それはNHKへの不満にもなりシリアような所になると攻撃さえされるようになる。
紛争地では裁判でも必ず殺人犯ですらその言い分を言わせているのである。
だからマスコミがNHKでも裁判官になって判決しているのはおかしいのである。
別に報道は自由だとなりNHKでもマスコミも一会社だから何を報道していいともなる
でもNHKでもマスコミでも地方新聞でさえ一つの権力機関である。
インターネットとなどとは違う、だから福島民報でも民友でも公共の放送機関のように見えてしまうのである。でも一私的営利機関であり自分たちが損するようなことはしない
別に新聞をとらなくてもいいからだ。でもNHKだと強制的に受信料を徴収している。
これもだからNHKがどういう機関なのか問題になる。一私的営利機関の報道会社なら別に問題がない、ではなぜ強制的に徴収しているのかとなる
別にNHKが勝手な私的営利追求しているだけではない、国民に役立つ放送はしているのである。ただそこには他でも不満を言う人がいるように逸脱した放送がある。


当時の政府はお金持ちから受信料を取って情報インフラの整備を図ったのです。
なので放送法にある「NHKが映るテレビがあったら受信料支払いの契約をしなさい」と言う法律は決しておかしくはなかったのです。

NHKはテレビを普及するために最初に必要だったからそうなった。今はテレビだけの時代ではない、インターネットもスマホも普及したからなぜ強制的に受信料をとられるのかが問題になる。
もし私的営利企業だったらその会社の方針で放送することにも文句は言えないかもしれない。NHKが何か国営放送のように錯覚している人もいるのである。
NHKの言うことなら確かだ、NHKの言うことは国民の声なのだと思っている人がいる
それは別に地方新聞などでもそうである。それだけまだマスコミは力をもっている
フログなどだと一私人のたわいもない発言にすぎないとされることがある。
テレビとか新聞を通じて発言されると何か重要度が違って見えるのである。
NHKが特にそうだから問題にされる、ただ今回の自分の発言には反発する人もいる。
だから自分がすべて正しいとはならない、ただ地元だから自分の事情も関係していたし発言したのである。
タグ:記者の危険
posted by 老鶯 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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