2017年01月18日

「心に青雲」の日本語と英語の解釈について (文化の基に言葉がある)


「心に青雲」の日本語と英語の解釈について

(文化の基に言葉がある)


例えば、として日下氏は日本語の「潔い」は英語にない(ならない)と言う。Nobleでもgracefulでもなく、強いていえばManly という古い言葉が近いのだと渡部昇一氏が教えてくれたそうだ。

「潔い」にしても、これは対象たる社会のありようが、曖昧にも関わらず、どうしても白黒つけないとうまく人間関係、社会関係が立ち行かないと見てとって

言葉は文化の基底である。だからどこの言葉でもそこに歴史があり思想があり文化があるそれで訳せないのである。そこからして外国に対して誤解が生れる
「心の青雲」では反発するもものがあるが日本文化を尊ぶという点では共感している。

「潔い」という言葉が訳せないというときもそうである。勇む、清しが合体していさぎよいとなったらしい。このいさぎよいは英語でもある、良くフェアという言葉が使われる
スポーツでもフェアプレーが重んじられるから外国にもそうした概念がないということではない、ただ深く読むことがその言葉のもっている一語一語の感覚がそもそも違っているのである。


基本的に英語はイエスかノーになる、あるかないかでありあるでもないないでもないというあいまいな表現はない、白、黒をはっきりする、勝負になれば勝つか負けるかでありその過程ばとうであれ結果がすべてだとなる、それは何を意味しているのか?
でも勝負の過程でフェアプレーしないとラクビーなどでもサッカーでも反則になる。
フェアでないものはすでにルールで決められているのである。
日本では何がフェアでないかフェアなのか明確に決められていない
でもそこに日本の文化があり日本は何でもルール化はしないのである。
それは日本人は異民族と交わることがなかったからである。
大陸では絶えず異民族が攻めてくるし交わる歴史だった。
異民族とは容赦のない戦いとなる、勝つか負けるかであり負けたら奴隷にされるのであるそういう歴史が反映して言葉も文化もある

日本は和をもって尊しとすべしというときそういう国柄だった。勝負でも徹底的に完膚無きまで負かすということはしない、この完膚無きまでとは中国から来た諺だから中国も大陸だからそうして相手を完全に打ちのめすという文化になっていたのである。
要するに異民族同士の戦いは熾烈になるのである。
日本の戦争はこうした熾烈さはなかった。それで敵味方塚とかもある、敵でさえ墓を建てた、明治維新でも薩摩長州が東北に攻めてきても死んだ人の墓が福島県にはある
将棋でも駒をとってそれをまた活かす、中国の将棋でも外国のチェスでも敵をとればもう活かすことはできないのである。
日本は一つの民族であり相手を徹底的にうちのめすという文化はないのである。

ただ聖書には選民思想がありそれはユダヤ人のなかに今も生きている、神から選ばれた民は絶対なのである。神が選んだから絶対なのである。それは別にその民族が優秀なのかどうかも関係ないようにも見える、神が選んだということで優秀だとなる
ではなぜそうなのか?その解答は神が選んだからだとなってしまう、そういう思想や宗教は他にないのである。神が絶対的なものだから逆らうことはできない、神があるのかないのかというあいまいさは許されないのである。
要するにあるかないかしかない、あるでもないないでもないとかならないのである。
厳然たるものして神はあるとなる


言葉はその国の自然とか歴史からも作られてきたのである。
それでクエーンズイングリッシュとアメリカ英語が違っているときその区別は日本人にはつかない、でも英語にも古語がありシェークスピアの英語と米語は違っているのである。そこには歴史の相違が同じ英語でも違うのである。
言葉が文化だというときどうしてもコンピューターが生れたのは英語の発想から生れている。基本的にイエス、ノーで世界を見ることにより生れたのである。
だからアジアの文化から生れなかったともなる
技術でもやはり国の文化があり生れている
日本人は英語を明治維新語でも習ってきたがどうしても感じのように自分の国の文化として融合できない、漢字はもう日本の文化として融合した。そしてかえって明治維新語に漢字でもって西欧文明の言葉を概念を訳したのである。
漢字に新しい意味を与えたのである。英語はそうなっていないのである。
そこに文化の障壁の大きさがある。

自分も単語だけでも自分の詩に合わせようとしたができない、つまり一語一語の意味が感覚がどうしても日本語に訳すとあわないからである。
例えば

stateとは

状態、ありさま、様子、興奮状態、威厳、威儀、荘厳、公式、国家、国

(立っている)状態
個人の(立っている)「状態」を表すほか,自治権のある(独立している)「国家」「州」も表す

謳う, 述べる, 宣べる, 陳べる, 鳴らす, 申し述べる, 申述べる, 言い立てる, 言立てる, 仰せられる, 申し上げる, 申上げる, 申しあげる


この言葉でもなぜ状態とか威厳とか国家まで現しているのかとなる
日本語だったら国とか国家くらいしか表現できないからだ。
クニとはあなたのオクニはどこですかというとき地方のクニのことである。
それは小さな村がクニにもなっていたのである。
でもヨーロッパの成り立ちでは国とは全く違った成り立ちがある。
ローマ帝国のようなものがありstateとはこれにあっている。
だからそもそも歴史がわからないと言葉も歴史から生れているから理解できないとなる

stately

屹屹たる;不昧;弘遠だ;堅手;荘厳;巌巌たる;厳かだ;厳峻だ;屹々たる;清高;いかつい;険相だ;厳粛だ;気高さ;厳威;尊厳だ;巌々たる;厳たる;厳い;重し;儼乎たる;厳威だ;儼たる

stately mountain
stately rock

こういう詩的な表現にも応用される、でもそれがなぜ国家と結びつくのか?
国家とはそれだけ重々しいものとして自覚されていたからなのかとなる

ともかく武道などでも文化である。日本人はそもそも勝ち負けより型とか姿勢を重んじる剣道でも空手でも武道はまず型があり姿勢を見る、その後に勝負がある
外国はまず勝負ありきなのである。勝ち負けしかないのである。フェアなルールのもとに勝ち負けしかない、日本の武道はむしろ型とか姿勢とかが先にある、それで格好いいとかなる、必ずしも買ったから格好いいとかならないのである。

「形」が「力」を越える真理があります。古流で言う「カタチはチカラ也。」

これが日本の武道の基底にある。
でも「柔能く剛を制す」という言葉は中国から来た諺だから中国由来であり老子などの思想の影響がある。欧米だとスポーツでも剛しか見えない、だからこの言葉は思想はアジア的だとなる、アジアの思想と欧米のアングロサクソンとかの思想は大きく違っているのである。
誤解しているのは聖書が生れたイスラエルはアジアなのである。その地中海の向こうがヨーロッパなのである。
だから宗教とかはすべてアジア発祥でオリエントあり深いのである。
だからヨーロッパ的キリスト教とアジア的キリスト教が違ったものになる
アジアの方が本当は深くキリストを理解するともなる
そもそも文化とか文明はアジアが発祥なのである。科学はイスラムが発祥のが多い、ヨーロッパは後進国だったのである。





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