冬深む短歌十首(故郷の駅に昔を回想する)
この町の漬け物会社に働ける女の死にしも駅にし思いぬ
正直に生きて我が町眠る人目たたず生きてあわれなるかも
残りける去年の落葉やあわれかな故郷に住み死ぬ人思ふ
名もしれず働き死にぬその人を誰か思ふや冬深まりぬ
故郷の墓に眠れる人知れや我が参りつつ冬深まりぬ
我が町の駅におりたち淋しかも迎える人もなくなりにけり
この駅の八重桜の樹切られけりその根残りて冬の日暮れぬ
冬の夜に何を思ふや近くあれこの町に暮らす一人なるかな
家無きに墓のみ残る母方の実家を思ふ何か淋しき
人は会い別れて淋し駅にあり枯れし芒や電車すぎゆく
つづきとして川崎から来た女性が香の蔵で土産を買うとタクシーを呼んだ。
その時思いだしたのが菅野漬け物店で働いていた女性である。
それはかなり長く働いていたと思う、それが何か奇妙だけど思い出したのである。
その女性は農家でありもともと農業していた。それで便所から肥料としてくみ取りをしていた。それは農家ではしていたことだが何かそういうことはなかなかしたくないだろう。水洗式になったのはそのあとである、水道も子供の時はなかった。
水洗式になるのは結構遅かったと思う。
そういう時代があったのもこれだけ便利なれば忘れるし経験していないから実感がないとなる
ただ何かそういうなんでもない普通の人を思い出しているのも不思議である。
そういう人もこの町に生きて働いていたのだと思い出す
それで香の蔵でそうして働いていた女性がいて漬け物を買ってゆくんだと思った。
その女性はまず嘘をついたことがない、真面目そのものの正直な人だったのである。
今はあういう女性はいない、やはり大正生まれだったかもしれない
何か目立たない、ありふれたことでもその町を市を支えているということはあった。
それは電車が通じなくなり通じたときわかったようにわからないのである。
ただ自分はみそ漬けは食べない、塩分が多いから食べたくないのである。
でも料理には欠かせないものである。外食だとそうしたものがバランス良く出しているのでそういうものが必要だとわかった。
いづれにしろ何気ないことでも感じる、感傷的になる、それは年のせいだともなる
こういう歌は啄木調なのである。死ぬ前に何気ないことに愛着して歌にしたからである。自分もそういうふうに死が近いからこうして何気ないものにも愛着を感じるようになる。若いときはこんなふうに感じないからである。
当たり前のことに何も感じないのである。
墓でも死んだ人でもやはり町の中に眠っていてなお家族とともにあり町にあるのかもしれない、生きた人があるとするから墓参りするからあるのかもしれない
母方の実家の墓は墓しかない、家はなくなったから墓しか残っていないのである。
それも淋しいとなる、やはりなおすこに住みつづける人がいて墓も生きるとなるからだ。ただ現代は墓だけが残されていて遠くからお参りする人も多い
この辺は仙台から来る人が多い、いづれはその墓も消えてしまうだろう。
ともかく死者も以前として町の市の構成員としてありつづけるのかもしれない、だから死んだ人を回顧するのである。
つまり香の蔵というときここに書いたようにそのみそ漬けでも一つの物語として味わえば違ったものとなる
ただお土産を買うのではない、物があり語りがあるときその物も味わい深いものとなる
ただこれは今の世の中では無理である。外国から来た物でも遠くから来たものはそうした物語を読み取ることは不可能だからである。
物とこうした物語は分離している、そのことが豊かなのだけど人間の経済になっていないのである。
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