阿武隈川と蔵王(春の短歌十首)
春の日に阿武隈川の広々と海に注ぐや蔵王を仰ぐ
雪厚く仁王のごとく蔵王かな噴煙吐きて怒りともならむ
荒々し蔵王にふぶき積もる雪磐(いわほ)も埋もれ樹氷映えにき
雪厚く蔵王光りぬ春の日に丸森町に坂越え来たる
阿武隈川蛇行し流るたぎりつつ吾妻嶺も仰ぎ桜咲くかな
阿武隈の川面に夕日光るかな春の日あわれ丸森暮れぬ
梁川の城跡古きあわれかな丸森越えて春にしのびぬ
桃桜阿武隈川の岸に咲き流れたぎちて吾妻嶺仰ぎ桜咲くかな
国境玉野に古き碑の並び春の日さして旧き道行く
我が町ゆ蔵王は見ゆるみちのくの重しとあれななお雪おおふ
春の日にさそわれ遠く行きにけむ道は分かれていづこに行かむ
旅だと遠くゆくことが旅だと思っている、でも近くでも旅なのである。
その旅は自由でないとできない、また車とか鉄道の旅となると違ったものとなる
本来は旅は道を行く、道は未知なのである。
だから歩くのが最もいいのだが次に自転車だといいとなる
自分は本当にそういう旅をしてきた。ふらりと出て行って道をたどり旅していた。
この道は分かれてどこに行くのだろうと誘われるように旅をする
その道は尽きずあったのである。阿武隈高原にはそういう道がある。
丸森を越えて梁川に出る、梁川に古い中世以来の城跡がある。ただそこには古い庭があったというだけでほとんど何も残っていないが歴史がある。
あそこは福島県と宮城県など伊達藩と相馬藩とか会津藩でも米沢でも代々の城主となっていた。そういうせめぎあう所に城があった
玉野でも森林資源で伊達藩と米沢藩と相馬藩が三つ巴で争っていたことでもわかる
そういう位置に梁川があった、それはやはり地理を知らねばわからない
それも自転車だと峠でも越えてゆく下ってゆくとかでその地理が記憶されるのである。
この辺には高い山がない、阿武隈山脈は高原であり山というものでもない、ただ蔵王は自分の町からも見える、だから蔵王は意外と身近なのである。
福島県の吾妻山は相馬からは見えないからだ。
阿武隈川とか蔵王は景観を作っている、阿武隈川でも船運があったから暮らしも川とともにあったとなるがもう一つその実感がない、それは最上川のようにはなっていなかったからである。ただ福島市辺りから米が運ばれて荒浜から江戸に船で運ばれたことは確かなのである。そこで丸森が港としてあったとなる
玉野は伊達と相馬の境である
伊達と相馬の境の桜 花は相馬に 実は伊達に
この玉野というのはもともとの地名ではない、笹町とかなっていた。もともとの地名を新しくすると歴史が喪失することがある。美里などが多いがこれもただ地名の歴史的由来はなくつけられているのである。
ともかく自分は春の日に阿武隈高原などこうして自由にさまよっていた。
それができたのも家族に恵まれたからである。今になるとみんな死んだから何か自由にまたなったとしても帰っても待っている人もいないから安心しして旅できない
誰もいない家でもその家が何か不安になるのである。火事になるのではないかとか盗難とか現実にあったし不安になる
つまり自由とは実際は誰かが自由にしてくれるから自由なのである。
その誰かが人がいなければ全部自分でやるから自由がなくなる、家事も全部自分でやる他ないし自由がなくなるのである。
蔵王は春になっても分厚く雪が残っている、それがやはり蔵王がいかに大きな山であり長く雪に閉ざされた山なのかを示しているのである。
旅をふりかえり詠む桜の短歌 (白石千本桜-阿武隈川の桜-梁川-丸森)
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