2017年02月23日

情なき現代人の不幸-科学者は頭が冷たくなる (江戸時代は情で不足を補っていた)


情なき現代人の不幸-科学者は頭が冷たくなる


(江戸時代は情で不足を補っていた)

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知、情、意があるが、江戸時代は情の世界であり現代が知が拡大した、情は縮小した
江戸時代は不足を情で補っていた、現代の情なき世界は人間を不幸にした
知のみが突出しててまったのである。


人間は江戸時代となるとそんなところに生きたくないとなる、一方で現代と比べてそこがそんなに住みにくい場所だったのかとなるとまた違っている
江戸時代の人が外国人が来たときモラルも高いしみんな幸せそうな顔をしていたというときそうである。

現代人はみん幸せな顔しているかというと不満な人が多い
そして大方の人が金に追われている、なぜこれほど金に追われているのか?
江戸時代などと比べればどれだけ豊かな生活をしているのか江戸時代の人が現代に来たら驚くだろう。

自分が経験したことでも

●金でめんどうみてもらへ
●金をくれ
●金をよこせ
●金をください

これしかなかった。一人は別に金に困っていない、ただその人も金でめんどうみろと言って去った、一人は最初から金をくれときたから冗談と思ったが本気であり本当に家捜して金を奪った、その人は金に困っていたからである。
もう一人は金をよこせという脅迫である。事業に失敗して金に困り自分が苦しんで困っているときだからそうしやすかった。
これほど露骨に金が全面に出してはばかることもないのか?その驚きだった。
最後に来た人も金にずっと困っていたが金を要求してもまだ少ないから良かった。
そしてともかくたのみこむからことわりきれないことがあった。
それは金をくれとかよこせとかいうのではなく金をくださいと頭を何度も下げて頼むのである。
前の三者はそういう金をほしいのだけどそういうことはない、「金をくれ」「金をよこせ」という強要していたのである。
一人は強盗だったし一人は脅迫者になっていた
そして「金の切れ目が縁の切れ目」となった

ではこういうことが自分だけに起きたことなのか?。それは社会全般の傾向ではないか?
金しかない、金の力があまりにも大きくなった社会だからそうなっている
普通の生活をしていたら自分が健康で家族も普通の生活をしていたらこうはならなかった家族が認知症になった、介護になった、自分が病気になったということでこういう人が露骨に人の弱みにつけこむようになったのだから悪質である。
相手も金がないのだから困窮しているから相手のことなど考えられないのである。
こういう人と比べると最後の人はいろいろあってもましな人だなとつくづく思っている。この女性も金に常に困っている人ではあったがまだそこまで露骨にはならないし人間的情がある

現代とは江戸時代と比べれば豊かであり便利でありこんないい社会は今までないとなる
でもなぜそうでもていのか?その原因は何なのかとなる
便利になり技術が発達しても必ずしも人間は幸福にならないと言うことがある
車は便利でも交通事故があり原発でも事故になり故郷にも住めなくなったとかある
金がこれほど大きな力ももつようになったのもグローバル社会になれば外国から物を買うのだから金が必要になる、金の力が大きくなるのである。
そして格差社会にもなる、こういう社会では金持ちも幸福とはならない、常に危険にさらされることになる、自分はたいして金持ちでないとしてもそういう目にあったから怖いと思った。

なぜ人間は技術でも何でも進歩してきたはずなのに幸福にならないのか?
それは江戸時代と比べると見えてくるものがある。江戸時代が全面的にいいとかいうのではない、社会というものを比べるためにそうしている
江戸時代は情に厚い社会だったことは確かである。貧乏で不便なのだけど人間は濃密な交わりがあり情に厚い社会だった、知識だって今の千分の一なのか万分の一なのかその量も比べものにならない、だから勉強だって楽だったとなる
医は仁術というとき医者でも技術より情が重んじられていたのである。
それより病気を治せないものとしてありただ情をかけてすませていたともなる社会であるだから情をかけてもっただけで直らないというのでは困るということもあった。
でも治す技術もないし科学も発達しないのだからそうなったのである。
そういうことは社会全般にあったと思う、科学技術が発達しないから人間はただ情をかけてかわいそうだなとして対処できなかったということもある
ただそこに情が通っていたとはなる、無力なんだけど情をもって人々は暮らしていたともなる

現代の医者は情などより病気を治してくれ、治せない医者は無能だからいらないとなる
だから医者は情をかけるというより機械を操作したり知識をもち患者に対応する、そこでかえって情は無視されるのである、看護師だって情にかけている、常に治療のために気をとられるから情をもって接することはなおざりになる。
医者でも人間を機械のように見ているかもしれない、病気とは機械の部品を壊れたように見ているかもしれない、医療とか福祉の分野はどうしても情が必要になるがそこが欠けるようになった、もちろん江戸時代でも医は算術ということはあった。
薬となる朝鮮人参が高いということもあった。だから江戸時代では病気になったらもうあきらめるほかないとかあった。情をかけられても病気は治せないということがあった。
それでも厚い情をもって人々は接していたとなる
とすると江戸時代でも科学技術が発達しなくても情によって補っていたともなる。
それはそれでいい社会であり科学技術も発達しなくても貧乏でもいい社会だったとなるから外国人が日本人はみんな幸せそうな顔していたとなるのである。

いづれにしろ現代人は情がうすくなり冷たくなっていることはまちがいない、それは現代の社会によって作られたものなのである。
武田邦彦氏が理系であり技術者であっても文系にも詳しいから言うことは興味深い
物理とか機械とかにたずさわる人、知識人は頭が冷たくなるという、これも面白い表現だなと思う、そういう学問であれ技術であれ膨大なの知識で頭を酷使していると頭が冷たくなる、情が薄れてくる、そしてそのことは頭脳のみが肥大化した冷酷な人間と化す
何かそういう人は文系などから見ると数式をあやつり人間的世界から離れてしっている感覚になる、最後はフランケンシュタインのような異様な人間とまで化してゆく
何かそうまでしないとそうした世界には入っていけないということがある
だから頭が冷たくなるというのはそういう世界に没入するとそうなってしまうのである。
一方で庶民など体を使っている人はブラーカラーは情があり情がまだ厚いということが今でもある。それは庶民の方が情が厚いとなる、 女性の方が情が厚いのは知で物事を判断しないからである。ただ金の世界になったときそういうことも失われてきている、でもそうした科学技術とか知識人よりはかえって単純なのだけど情に厚い人はまだいる、ただ全般的に庶民ですら今は金で追われているから情は薄くなっている、現代は頭でっかちな人が多すぎる社会である。
江戸時代はほとんど農民であり職人であり体を使う仕事である。頭を使う仕事は非常に少ないから情があった社会だともなる。
現代に必要なのはかえって情がある情を養成することだとも逆説的になる
昔だったら情を養成する環境があった。牛とか馬とか生き物を使っていると自ずと動物相手だと情が働く,機械だと情が働かないのである。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 

現代とは何かというと知に働くから角がたつ社会なのである。一方で情にも問題があり情を流されるというのもあり情がすべていいものともならないことは言える。でもこの情が欠けた社会は人間を幸福にはしない。

現代は情を養成する環境が希薄なのである。人間は遂にロボットになるとかになる
ロボットの最大の欠陥は情がもていないことなのである。知識は技術はもてても情に欠ける、それは理系とか機械を扱う分野の人は頭が冷たくなるということでそうなってしまうのである。
だからこれからはどうしたら情を養うのかということが問題になる、知識だけが膨大に増大しても人間は幸福になれないからである。
でもここを問題にしているのは教育でも社会でもないのである。
でもそういうことが人間を不幸にしているとすれば人間はただ便利なもの知識のみ技術のみを追求してもかえって不幸になるということである。
だから社会は人間はそういうことをただ闇雲に科学技術だけを知識だけをいいものとして追求するのも問題なのである。でもそれを制御するものはない、それで原発事故とかなって不幸に陥れられたということがある。

要するに人間は江戸時代だからといってそこに生きていてもすべてが悪いとはならなかった、不便でも貧乏でもそれを補うものが情が厚かったとかある、だから人間はそもそも幸福とは何なのか?そのことを問題にしていない、ただ便利なものを豊かになることを科学技術の発達を追求しているのである。「人間の幸福」を別に追求しているのではないのである。人間として不幸になろうがやはり科学技術は追求されるし便利さは追求されるし知識はますます増大してしゆく、つまり人間社会は「人間の幸福」は追求していない、
そもそも「人間の幸福」は何かというときそれを正確にとらえていない、とらえられないからである。だから結局そうして豊かさや便利さを追求しても不幸になるのである。

ともかく情がない世界に生きることは恐怖である。情がない世界とは愛がない世界であるそれはいくら便利でも豊かでも恐怖になる、だから病院とかは何か無機質であり治療はしても情がないとなることを知ったから病院には一時的ないいが長くばいたくないとか死にたくはないとなる、情のない世界と愛のない世界でもありそれは地獄ではないか?
つまり便利でも豊かでも地獄に生きるということがあるのが人間社会だということである。
理系とか科学技術者とかでも頭が冷たいとなるとそういう人は人を人ともみないかもしれない、そういう傲慢なものにもなってしまう。
だって情がないとしたらその人がどんなに頭が良くてもつきあえるのか、その人は人間なのかとまでなるからだ。医者でも実際に患者を人ともみない、情もかけない、この人は実験材料だとかなってしまう、そういう冷酷なものとしても医者とかはありうるしあるから怖いとなる。つまり情がない世界はいくら豊かでも便利でも索漠としたものとなるのでありそれが現代だからみんな不幸な顔をしているともなるのである。

だから社会が進歩してきたとしても「人間を幸福」にしてきたとはならないのである。
もちろん豊かになれば確かに幸福にしたという面はあっても不幸にした面もある。
だから江戸時代の人間は貧乏であり不幸だったとは言えないし現代人がみんな幸福だとも言えないのである。思うに人間はこの世を楽園にはできない、どんなに努力してもできないようになっている、それが神のみしかできないことである。
人間は科学技術がいいと思っても必ず交通事故とか原発事故のように悪いものとして現れてくるからである。それは神話でも火を神から盗んで罰せられたプロメテウスのようにありそれが原発事故として現代でも再現されていたのである。
核も火でありそれを盗んだのだがそれが罰として原発事故になり故郷にも住めなくなって不幸をもたらしたのである。

インテリの非人間性(1)(武田邦彦)
タグ:情なき社会
posted by 老鶯 at 10:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部
この記事へのコメント
武田邦彦、聞きました。そば屋の出前のあんちゃんでもこんなくだらない話はしませんよ。人間が生まれきて未来永劫、幸福と不幸を背負っていくのはあたりまえです。
Posted by そば屋 at 2017年02月23日 20:14
そうかもしれません

そう思うなら自分のプログを読む必要もないわけです

どう思うと勝手ですから

その価値を決めるのは読者です

ではさようなら
Posted by 小林 at 2017年03月03日 10:00
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