松川浦の現在の情況
(松がなくなり日影がなくなった)
前の船溜
春の光がまばゆく反射していた
まだ残っていた一本の松
松を植えた所は広い、ここはもともと松原だった
中島への橋ができていた
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前の松原の道
仙台から来た人が松の苗を植えていたけどあそこ広い、もともと広い所だった
何にもなくなった、潮が引いて松川浦に一本の松が残されていた
磯部でもなんにもない、津波の恐ろしさは何もなくなる
それも一瞬でそうなったから恐ろしい
あそこに家があった人はただ茫然としているだけだったろう。
人間は家族でも死ぬとただ茫然として力をぬけてしまう
津波だと余計にそうなった、家だけではない村自体が消失したからである。
あそこに昔を偲ぶものはない、集落があったところにも松を植える
あとはソーラーパネル場になった。
船溜は船がもどって何艘か漁をはじめている、あの辺には結構家があったけど何もない
あの松が育つには時間がかかるしそのうち老人は自分でも死んでいる
中島に橋をかけたが松が育たないと景色が良くならない
景観まで全部破壊されてしまったのである。
そして海があっても松がなくなり日影がなくなった
だからソーラーパネルでも暑く感じるし日影ないので夏でも休む所がないのが問題である。
景観も松がないので殺風景になったのである。
自分は右田の松原の日影で暑いとき休んだいた、クーラーがなしでもいい場所だったのである。
だから夏になってもこの辺は海が涼しいとしてもそうはなっていない
そして松が育つまでは時間がかかるから困るのである。
生きている内に松が育ち木蔭ができるのを見ることはできないとなる
それが残念だとなる
タグ:松川浦
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