2017年03月11日

今日の南相馬市鹿島区(薪ストーブの家)


今日の南相馬市鹿島区(薪ストーブの家) 

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ここが五六軒が空家になり空き地化している、街の真ん中なのである。



今日の鹿島駅ではない、鹿島区である。自分は毎日鹿島区内を行ったり来たりしている、前から注目していたのが薪を積んである家である。
街中にどうして薪を積んでストーブに使用しているのか?
それが今日薪を積んだ軽トラックの人がいたので聞いてみた

「これも燃やしているんですか」
「そうです」
「いろいろな木があるみたいですね」
「ナラとかケヤキとかあります」
「木によって燃え方は違うでしょう」
「そうですね、杉の木は燃えやすくてだめです」
「燃やしても長持ちしないとやはり薪の場合はまずい」
「堅いのいいです」
「これだけのものを集めるのは大変でしょう」
「これはもらったものでありいらなくなったものです、家の柱などには使わないものですこれは象の置物です、外材も多いです、何か燃やしてくれと頼まれることがあります」
「自分も子供の頃゛バタをとりにいってて鉄砲風呂で風呂たくのが仕事でした」
「そういう時代もありましたね」
「薪でストーブはあたたかさが違うでしょう」
「そうですね、部屋全体があたたまります」
「それにしてもこれだけの薪を割ったりそろえるのは大変だな」
「あそこにも薪を貯える場所を作ったんですよ」
「そんなに薪が必要になるのか」

現代生活に合った薪ストーブ選び

何軒か街中でも薪ストーブをしている家がある。これも今では相当な贅沢である。
これをしているのは倉庫になったような所であり暮らしているのは別な所だった。
薪ストーブというとき冬を楽しむにはいい、エアコンよりぽかぽか体全体が家全体があたたまる感じだからである。
田舎では囲炉裏があり一日燃やしていた、その囲炉裏の側で寝ていたのである。

薪を積んだ家というとき栃窪村などにもあり場所としてはいかにも山の村としてあっている。

栃窪に薪積む家や冬籠もり

こんな感覚になるが街中だとなにかそういう感じはないしこの辺は特別寒い所ではないから必要でもない、やはり寒い山国だとあっている。

この薪積む家の人と話して次ぎに知っている人の畑を見に行った。イヌフグリの根っこをとっていたた。その根っこが細かく張っている、だからそれをとるのが苦労なのである。荒地になったところにイヌフグリが一面に咲いてきれいだと思ったがこれが畑として作物を植えるのには苦労なのである。
その畑に毎日行っている人は畑の話をする、でもイヌフグリが花であり春の季語でありその花の名前も知らないのである。
花を活けるのだが畑でとれた地元の花は長持ちする、でも一旦冷蔵庫に入れた花は長持ちしないという、そういうことに詳しい、野菜作りと花は植物だからにている。
土作りも花の場合も必要なのである。

自分の場合はイヌフグリというとき春を告げる花としてしか見ていなかったのである。
農業するものにとってこうしたものが実際は草にすぎず邪魔者になっているだけだとなるその近くに畑まで歩いてもこれない老人が畑で作業している。もう歩くのもやっとなのである。それで娘が車で迎えに帰るのである。それほどまでして畑をやるのかとなる。
この辺は回りが荒地化しているのだ。それが何か影響してくる
前はこういうことがなかった。その知っている人は一年で千円で土地を借りて野菜作りしている。
ただほんのわずかのものしかとれない、一回トマト数個もらっただけである。
そして苦労話は百倍しているだけなのである。
鳥に食われた、盗まれたなんだかんだと苦労話だけなのである。

その次は買い物でスーパーに行った、新しいのが一軒できたので便利になった。
そこに売っていたのがイスラエル産の果物である。
イスラエルからも果物が来ているのか?それがいぶかったが自分はイスラエルに行ったことがありキリストの生まれたナザレにも行った、イスラエルで誤解しているのはあそこは砂漠であり土地が肥えていない、それで入植して人工的に潅漑などして果物などを作ってたいる、グレープフレーツの品種改良したものである。


スウィーティーはアメリカではオロブロンコ(Oroblanco)と呼ばれているもので、1958年にカリフォルニア州のカリフォルニア大学リバーサイド校柑橘類研究所においてグレープフルーツ とポメロ(文旦の一種)を交配し生まれた品種です。この時に姉妹品種の「メロゴールド」も生まれています。

オロブロンコというのも売っていた。ただイスラエルから輸入されているとういのは意外だったのである。それだけ本当に田舎でも国際化したグローバル化経済の中にある。
田舎といっても昔の田舎とは違うのである。田舎的なものは残っていても自給自足の田舎などどこにもない、どこでも山の中でもグローバル化経済の中にあるから金がないと生活できないのである。

なんか自分は母を介護したときは淋しさを感じなかった、絶えず母に注意していなければならなかった、だから精神的余裕がなかった。外に注意を向けることができなかった。
そして大きな家に一人になったとき感じたことは何かからんとした所に一人いることが普通ではない、淋しいと感じるようになった
それで人恋しくなる、それで駅とかに言って話しかけたりする、今までは家に人がいれば淋しいとういことは感じなかったのである。
それで一人暮らしになった人がお前は介護していても家に人がいるからいいと言っていたその人も妻を失い大きな家に一人でいるようになったからである。
だから一人暮らしになるということがどういうことなのかこれも経験しないとわからない
もう一カ所は街中に空家が四五軒まとまってあり空き地化したところを毎日通る、そこには公園もあるが老人が出てきたので聞いてみた。

「ここには空家が多いな、どこに行ったんですか」
「町内に移動しただけです」
「町からでたわけではなかった」
「あそこも空家なんです」
「あそこは空家に見えないな」
「私も一人で暮らしているんです」
「自分もそうですが・・そういう人が増えたよ」

あそこは別に他の市町村に出た人ではない、そういうことが多いから聞いてみたがかえって金があるから新し場所に家を建てたとなると余裕があったとなる
この辺では震災以後新しい街が三つくらいできたくらい新しい家ができたからである。
鹿島区は人口は減らないのである。人口が減るとやはり全体の影響が大きくなる

いづれにしろ自分は小さな範囲で介護以来生活している、でもそこからも世界は見える
つまり田舎でもいかにグローバル化経済の中にありまねがれないということである。
だからとても昔の自給自足の田舎とは余りにも違いすぎる
イスラエルの果物が輸入されているというのもそうである。そういうことは外人が入ってこなくてもそうでありそういう世界に田舎でも組み入れられているのである。
カナダのトロントから鹿島区に住んでいるフィリピン人の母親を頼りきた息子がいたりとそういう世界に田舎もなっているのである。
そして自分がカナダの国債を買って損したというのもそうである。
そういうことは田舎だってあるしグローバル化経済からどこでもまねがれない社会に生活しているのである。アフリカの奥地でもドルが通用するとなるとそうである。
そこで「ワンドーラー」をくれとかロバに乗った子供が叫んでいるのが現代のグローバル化経済社会なのである。
原発事故だってグローバル化経済とか社会とか世界的なものでありそれが事故となり問題化したのである。原発の是非は世界的な問題でありそれでフクシマが有名になったのである。

タグ:薪ストーブ
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