2017年03月20日

霧が勝敗を決した関が原の戦い (原発では先が見えていたのに備えなかった)



霧が勝敗を決した関が原の戦い


(原発では先が見えていたのに備えなかった)


風雲!関ヶ原の戦い!C激突開始

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誰か勝敗をにぎる
神の関与して歴史は動く
関が原深く霧のおおいぬ
家康の東軍霧の中を進む
小早川秀明の裏切り
三成は敗れぬ
霧深く先は見えぬ
誰が勝敗を握るのか
神のみぞ知る
天の時、地の利、人の和
天候に地の利に人の和
裏切りにより人の和は敗れ
天候に左右され敗れぬ
誰が先を見るのか
霧に深くおおわれ
時ならぬ異変
先は見えずに敗退す
誰も先は見えぬ
勝敗をにぎるものは何か
その采配は誰がするのか
神にしありや知らず
人知を越えるものがかかわる
先が見えぬに故に無謀の暴挙
無惨に屍の虚しく積まれぬ

天の時、地の利、人の和というときこれは必ず影響している、関が原は東西を分かれる地の利の場所であった。
あそこを新幹線でも通ると雪が残っているから寒い感じになる、でも関が原をぬけて近江に出ると景色も変わる、実際にあそこは地理的にもそういう場所である。
だから古代にも東西の戦いがあり雌雄を決したのである。

テレビで見たのでも霧が勝敗を決したというとき勝ち負けはどっちに転ぶかわからなかった。三成の西軍が優勢だったからである。霧がそのとき深くおおい東軍が有利になった
これは信長の桶狭間でもそうである。天候の影響が勝負を決める
要するに霧がかかり先が見えないというときまさに歴史でも人生でも同じなのである。
先を見ることができないのである。

もし先を見ることができたらそれは超能力者であり最高の権威をもつことができる、だから卑弥呼の権威は日食を予言したことから起きていたという説もあるしマヤ文明でも天文学を究めたのは先を見るためである
宇宙を知り天候を知り先を知るためにテクノクラートが支配した
常に文明にそういうことがある、つまり未来を将来を知ることが生死を決するからである
ただ歴史でも個々の人生でも先を見ることができない、深く霧がおおい先が見えない
もし先が見えたら日本でもアメリカと無謀な戦争などしない、その時日本はアメリカに勝つと確信して戦争したのである。負けるとしたらしない、先が見えないことは無謀なことができるとなる

いかに先を見ることが大事かというとそれが生死にかかわり国の運命にもかかわり個々の運命でもそうである。
運命を左右するから先を見ることが大事なのである。
津浪のことだってもしその先を見ることができたら防ぐことができたからそれを警告して実行させたら救世主にもなった。
ただ津浪の予測もできないことはなかった、それは実際は予測できたことだったのである相馬藩では記録がないにしても伊達藩ではあり海が近いのだから危機感をもってもよかったが危機感をもたなかった
人間は危機感をもたない、平和がつづくと危機感がなくなりそれが危険なものになってゆく、何か戦後は平和がつづき永遠に平和つづく感じになる
アメリカが日本を守ってくれるという安易な気持ちになっている
でもその危機感のなさがまた危険なことになり戦争にもなるかもれない

今は予測となると科学である、だから科学だと実際に相馬市でも奥の方に津浪が来ていたことはボーリング調査で震災の7年前に証明されていた、海の砂が発見されていたからだ
ただそれが400年前の慶長津浪かどうかはわからない、貞観津浪のものだったらしい。
それから現実に東電では科学者の集まりだから10メートル以上の津浪が来ると予測していた、このことはやはり科学の時代だということを如実に示していたのある。

30年以内に10メートル以上の津浪が来る!

このことをみんな知識として知れば津浪に警戒して多くの命が助かったかもしれない
津浪に対してほとんど無警戒だったからである。
これを大々的に報道していればこの辺でも自覚して助かった人がいたかもしれない
そうなると東電でも科学者は今でもそうだが神様のようになっていて権威を高めることができたのである
先を見ることが歴史でも個々人でも何でも大事なのである。それは命にかかわってくるからである。

会社でも経営でも先を見ることができないから失敗する、東芝のうよな大会社でも原子力に頼り未来を託した結果、巨大な企業が傾いむいてゆく、先を見る力がいかに大事かこれでもわかる、でもその時は原子力は未来だったのである。
フクシマの事故が起こりもう原子力発電は世界でも見捨てられるようになった
先を見ることが誤った結果としてそれが膨大な命を失いまた社員でも路頭に迷わせることになる

歴史でも会社でも個々人でも先が見えないのである。自分でもさんざんな目にあったとこを書いてきたけどそれは予測されていたし自分も不安だった
こんな恵まれた生活がつづくと思えなかった、それが現実化したのである。
まず結婚していないとか人が増えているけど家族がいないとかなると悲惨な結果が待っている、病気になったり親の介護になったりしたら自分と同じ運命になる
金もないとした自分より悲惨なものとなる
自分は親が心配して保険とかもかけていたし金も残していた。
それもないとすると目もあてられないものとなる、それは実際は目に見えてそうなることはわかるものだったのである。
そういうことを若くても見ている人はいるし賢いとなる、自分はのんびりしすぎていたのである。

もちろん明日のことを心配してもどうにもならないということはある。でも先を見て備えることも本当に大事である。それが生死にかかわってくるからである。
もちろん株でも何でも先を見ることは至難である。何が起きてくるか予測がつかない
でもその予測できないことが致命的になる
東電はその先を予測していたけど備えなかったのである。
そういうことは個々人でもある、個々人だとかえって見えやすいことがある
ただそういう危機感があっても本気にならないからいざそういう危機に瀕したときどうにもならなくなっているのだ。

事業に失敗した人も先を見ていない、そこで本当に無謀な経営だった、自分はかかわならいにしてもなぜそんな無謀なことをしたのかと今ではなる
もちろんそんなに先を気にしていたらなにもできないということは言える
でもあまりにも人は先を見ないで無謀に事を起こしすぎるのである。
原発などはよほど慎重にしないとどれだけ危険なものか科学者はわかっていてもそれに備えなかったのである。
結果的にはもう取り返しのつかない大惨事になったのである。



posted by 老鶯 at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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