2017年03月20日

春の日にパークゴルフ場から向かいの山に上る (山から海が広々と見えるようになった)


春の日にパークゴルフ場から向かいの山に上る

(山から海が広々と見えるようになった)

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パノラマ パークゴルフ場の向かい側の山から見る-クリック拡大

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春の山沖に船行く望む丘

船二艘望む丘かな春の海


川子のパークゴルフ場に行った、そこで話を聞いた。

「パークゴルフは簡単にできるもんですか」
「なかなかそうでもないです、ゴルフやっている人も苦労したと聞きましたから」
「この回りを自転車で走れるコースにするのもいいのでは、自転車が好きなもので」
「いや、パークゴルフの玉は重いから危険です」
「あの玉は重いんですか」
「転がってくると危ないです」
「そういうもんなのか、簡単にはできない」
「上達するには訓練もありますしみんなが上手にはなれない」
「そういうもんですか、なんか甘くみていたな」

前の人はパークゴルフは簡単にできると言っていた、では簡単にできるのかと思った、今日聞いた案内の人はかなりむずかしいと言っていた。
前の人はパークゴルフのことを知らなかったのである。
ともかく何であれ遊びだって知らないということは経験していないことは簡単に考えてしまうのである。あの玉が転がってきて危険だとは思わなかった、確かに重そうに見えた

自転車走るのは無理なようだ、向かい側の森を切った所の上り道を電動のマウテンバイクで上ったら山から海から視界が気持ちよく開けた。
この辺は何か森を切ったりして土をとる場所が多いのである。あそこもそうなのかもしれない。ただ道ができていて上に上れるようになっていた
あそこは何かマウテンバイクのコースにはいいなと思った。

山も見えるし海も見える、海には二艘の船が行くのが見えた、あそこを整備すれば気持ちいい場所になる。見晴らしがいいからだ

その後は右田の方にでて帰ってきた、途中津浪で流された右田の墓地に墓参りする女性がいた
何か津浪で変なのは海老でもここでも烏崎で墓地が残り家がなくなっていることなのだ
墓は立派なのが多いのである。
だから常にこの逆だと良かったのになと思う
墓地が残って肝心の住む家がみんななくなってしまったからである。
墓地がなくなっても家があればまた墓は作れるからである。
家がなくなり墓参りする場になったというのも奇妙な感じになる
その人は家を町内に建てたという、仮設でも原発避難者と小高の人をうらやましがっていたかもしれない、津浪の被害者には補償金は出なかったからである。
その女性は家を建てることができたのだから余裕がある人だったのかもしれない。
海老の人はローンで苦しいと言っていた。

ともかくあそこの土地はどうするのかやはりソーラーパネル場になるのか?
田んぼにするとは言っていた、何かにしないと金も入らないしただ荒地になっているだけである。だからどうしても何か金になることに使うようになる
それがみんないいとは限らない、ソーラーパネルがどうしても一番作りやすいのである。
地元のことでも良くわからないことがある、パークゴルフでも経験していない人はわからないのである。また土地の利用をどうするかなども関心をもつ
それは毎日行き来しているからそうなる、何かこの辺は突然にソーラーパネル場になるのが多いのである、これは全国的にそうである。
ソーラーパネルは意外と簡単に設置できるかばしれない、そんなに大工事にはならない
何かそうして安易に作れるからこんなに増えたのかもしれない、業者も増えたのである。それがかえって景観の破壊に通じていたということがある

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