春の日の駅(広域化社会が人を分散させる)
蝋梅や塀静かに猫歩む
この町に住みしと遠く去りにけり我が見送りて春の日さしぬ
駅であったのはカナダのトロントから母をたずねて来たというのも意外だった、昨日は鹿島区の住宅に住んでいたと、中学と高校のとき住んでいたという女性が来た
その人は東京に夫がいて大阪に住んでいるというからどういうことなのか?
母が住んでいると沖縄から来た若者もいた、何かキャンプでする格好をしていたから沖縄で自由に暮らしている若者かもしれない、沖縄にはそういう人が結構いるからである
仙台から来る人が一番多いが他にもいろな地域から来ている、これは別に原発事故で避難したためではない、それとは関係ない人たちなのである。
現代社会は前にも書いてきたが広域化グローバル化社会である。
その影響をどんな小さな田舎町でも受けざるをえないのである。
なぜ原発事故が起きて避難区域に人がもどらないというときこういうふうに広域化グローバル化した社会が影響している
どこにでも住んでいい、昔のように故郷とかにこだわりそこに縛られる社会ではない
そういう社会のいい面もあるが悪い面もある、結局地域の結束力がなくなり金さえあればどこに住んでいようがかまわないとなる、だから補償金一億円でももらって外に暮らした方がいいともなる
広域化社会とかグローバル化した社会は金の力は大きくなる。
田舎でも同じなのである。
大東建託がまだアパートを建てている、もう10以上建てている、それだけの需要があるのだろう。
家でも新しく建った家はみんな外から来た建築会社であり地元ではない、これも広域化社会なのである。自分のユニットバスをつくってもらったのは仙台の会社だった
それで地元の人が怒っていた、仕事をまわせと怒っていた
でも地元だと二倍になっていた。仙台からこうした会社が仕事を求めてくることはそれだけ地元でも競争にさらされているのである。
地元の会社でも地元の人が経営しているのではない、東北サッシが神奈川に社長がいてそこが本工場なのである。たいがい地方の会社や工場はそうなっている
それも広域化社会だからそうなっている、すると地元の材料で家を建て地元の食料でまかなっていた時代とはあまりにも違うのである。
そのことは地元にこだわらない、どこに住んでも金さえあればいいとなってしまう
ただ故郷というときいくら広域化してもグローバル化してもこだわるものがある
アイディンティティを求めるものがある、それは先祖の地だとか代々受け継がれてきたものがありそこにアイディンティティを見いだしてゆく
祭りなどがそうである。何か他にも家があるというときそこには単なる人が住む箱ではない、思い出がつまっている場である。
だからおそらく中学と高校時代にここに住んでいたというときなつかしいとなり訪れる
それがここに育った人なら先祖代々の家なら余計にそうなる
ともかくここに住んでいたとか言う人も結構来る、それだけ人は今や分散化して広域社会に住むようになったのである。
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