西の栄の桜の俳句十句
栄枯盛衰の桜(大坂城の散る桜の詩)
吉野山おおふさくらや霞かな
(奈良)
大仏や平城宮(ならのみやこ)は八重桜
(京都)
椿落ち真昼に花散る詩仙院
花の色御池に濃しや塀長し
優艷に枝垂桜や京の暮る
(大阪)
散りやまぬ花や栄の大坂城
(近江)
栄とて志賀の都は山桜
(淡路島)
淡路島よす波静か花の散る
月の出て花の散りにき淡路島
(瀬戸内海)
百舟の行き来変わらず夕桜
瀬戸内や百舟行きて花に風
(四国)
海よりそ望む四国や花に城
金比羅におしよす人や花盛り
山峡に磐打つ流れ山桜
み吉野の吉野の山の桜花 白雲とのみ見えまがひつつ
青丹よし寧楽(なら)の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり
小野老
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな(千載66)
露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢 秀吉
西の桜というときそれは自然のままの桜ではない、歴史がそこにかかわり映える桜である万葉集には桜の歌はほとんどなく梅の歌が多い、梅は中国より入った外来種である。
咲く花のにおうがごとくとは梅のことであり桜ではない
むしろ八重桜が奈良の都の栄の象徴だった、そこに奈良の特徴がある
そしてさざなみの志賀の都でも山桜である。都の跡でもそこは規模が小さいものであり一時の都であり人が去った時、都が移った時、そこも元の原野に帰ったのである。
そこに咲いていたのは山桜だったのである。
桜というとき何か一つのもののように見ているが違っている、万葉集時代は今に感じている桜は歌われていない、山桜の美は確かに歌われている
でもまた誤解しているのは一般的に桜というとき染井吉野でありそれは山桜とは本質的に異なるものなである。感覚的にもそうであり野性的な美である山桜とは違う。
江戸時代から染井吉野が開発されて花見の習慣も生れた、その辺から染井吉野が主流の桜となった。
花は桜木 人は武士 柱は檜 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの と続きます。
一休宗純禅師の言葉とされていて、花だったら人だったらと1位と思っているものをあげていった言葉のようです。
他の方も書かれていますが、桜は散り際が美しいもの、武士もまた潔く死に際が潔いもの、つまりは散り際が潔く美しいものが良いということを書いているそうです
一休というとき1400年であり南北朝の時代なのである。その時から武士というのはこういうものだということが一般化していたとなる、でもその桜は山桜であり染井吉野ではないいさぎよく散る美学が山桜から生れたのか?その辺がはっきりしない。
そもそも不思議なのは城に植えられていたのは桜ではない、今は桜に飾られているけどその桜は染井吉野であり城には桜は飾られていない、糸桜のような庭で鑑賞するもののようであり華やかに城を飾る桜はなかったのである。
それは城が廃止しされた明治以降である。だから城に登城した武士は桜を見ていないのである。殿様も見ていない、桜はなかったからである。
大坂城にも桜はなかった、だから何か当時もあのように桜が咲いていると錯覚している
でも何か大坂城の桜は一番自分には印象に残っていた。規模が大きいのと散る桜がなんともいえないものだった、それはなぜか?
それは歴史が反映していたからである。そこに人間の栄枯盛衰がありそのことのゆうえにただ散る桜ではない、その散っている桜が人間の栄枯盛衰、無常を反映していたからである。
自分が大坂城の桜を見たときはちょうど盛りを過ぎて散るときだったのだろう。
その散る桜がいつまでも心に残り今でもその桜は散っているのである。
栄枯盛衰がありまさにそれを象徴するかのように桜が散ってゆく
ひさかたの 光のどけき 春の日に
静心(しづごころ)なく 花の散るらむ
紀友則(33番) 『古今集』春下・84
その桜が咲いていたときは光のどけきだった、それでも桜はひらひらと尽きることなく散ってゆく、静心なく(しずかな心ではいられない)心が騒ぐのが桜が散る時である。
それはあまりにも桜は早く散ることにある、華やかに咲いてもたちまち散ってしまうのが桜である。それゆえに桜は美しいものとなる
だからいさぎよく死ぬのがいいと戦争中には桜がもてはやされた、その通り300百万人の人が主に若者が死んだのでありそのことを批判する人もいる
難波のことは夢のまた夢という秀吉の辞世の歌もあるがみちのくとかなるとそうした栄華がないのである。そういう栄華があってこそ夢のまた夢と言える
西にはそうした栄があったからこそでありそれが桜を見るとき心に影響しているのであるだから山桜を見るのとは違っているのだ。
敷島の 大和心を 人問わば 朝日ににおう 山桜花 本居宣長
この歌は純真な自然の美そのものを歌ったものであり戦争とは結びつかない、戦争と結びついていたのは吉田松陰の辞世の歌の大和魂だったのである。
この歌は平和そのものの歌であり戦争とは関係ないからである。
いづれにしろ桜の季節だけど自分はずいぶん旅したから思い出して書いている
西の桜は山桜とかの自然そのものの美ではない、歴史の栄枯盛衰の中に咲く桜である。
だからカナダの山とかよりアンデスとかペルーの山とかが美しかったというときそこにはインカ文明とかが築かれた歴史がある場所だから違って見えた。
自然の山としても美があるとしてもそこにはすでに千年の歴史があるから違って見えたとなる、自然でも純粋な自然と歴史がかかわる自然とは違ってるのである。
今になると何か旅するのも疲れる、旅も何かそれだけのエネルギーが必要だった、それが介護とか自らの病気とか津浪とか原発事故とかで消耗した、旅すらいくら時間があってもできなくなるときがある。人生はそれほど短いものだったのである。
たちまち時間は過ぎてしまう、そして今になると外国人が多くなり旅しにくくなった。
あまりにも外国人が多くなると情緒がなくなるし宿すらとれなくなるというのも困るのである。外国人の花見ともなってしまう。日本文化がそうして世界的になるのかもしれないが日本人自体が桜をゆっちり楽しめないというのも困るとなる
大坂城に散る桜
尽きず散る大坂城の桜かな
はなれて遠くみちのくにあれ
その花の心に残りぬ
西の栄を集む大坂城なれ
華やかに花は散りやまず
尽きることなく花は散るかな
その栄の日は短かきも
一時この世の憂さを忘れて
その桜に酔い栄華を味わふ
争うときあれど過ぎされば
西の栄もまた東の栄なり
その栄華秀吉のものにのみあらじ
万人のものとて今桜咲き映え散りぬ
はなれても遠く心の中に花は
尽きず散りやまぬかも
赤々と夕陽耀ふその色や
なお人の出入りしつつ
日の本の国の栄の桜花
その花にこそ日本人は酔いぬ
西行の花にしなまし心かな
タグ:大坂城の桜
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