浪江町の春の詩
(浪江駅開通を祝して)
春の渓流轟き鳴りぬれ
巌重なり塔なして
景勝の地、高瀬川にあれ
奥をたずねて心洗われむ
清流の岸辺、根を張る木
古の技を伝え育む
大堀の相馬焼きの窯元
畑耕す人もありしも
広々と海を望みぬ請戸港
漁に出る船や勇ましかも
鴎群れ飛び波のひびけり
大漁の時もありて港にぎわふ
浪江にそ二つの川の流れけり
鮭の上りて幸もあれ
川岸の桜並木を歩むもなつかし
いつの日か往時の栄いもどらむ
棚塩の海岸
浪江はやはり高瀬川である、あの川はこの辺ではめずらしい、激流であり上流にダムはない、水墨画のような巌がある、あれが名勝の地である。
景観的にも二つの川があり恵まれている、海も望み請戸港もあり魚もとれたしあそこには岩手県の宮古から鉄の材料が運ばれて葛尾村で製鉄されて葛尾大臣の伝説が生れた
それから相馬焼きの窯元が大堀にあり高瀬川の上流の岸辺にあり立地的に恵まれていた。浪江町はこうして実際は景観的には恵まれていたから観光でも人を呼べる環境にあった
ただそれも請戸港から原発の煙突が見える、そんなに近いのに実は請戸港の放射線量は0、5とか低いのである。海に放射線量が流れたから海側は低いのである
それにしても請戸港は津浪で壊滅した、それがあまりにも酷い風景である。
ただすぐ近くに原発の煙突が見えたのだから危機感を感じる人がいたかもしれない、
でも実際は漁業権を東電に売り渡していい暮らしをしていたのである。
それが今になって露になり批判されている
ただ浪江とかなると実際は原発で働く人があれだかけ近いのだから三分の一はいた、原発は賃金が他により危険だから二倍三倍になるからだ
それで家を建てたという人がいたり金持ちになった人がいたのである。
とにかく経済的には原発周辺はうるおっていた。
だから誰も今でも東電を批判できないんだよなとなっているのである。
でも原発事故はあまりにもこれもひどいものだった、村とか町とか消滅させるほどの被害になるとは誰も思っていなかった、もう大堀の相馬焼きは回復しない、放射線量があそこは高く以前として避難が解除されないからである。
もうすでに相馬焼きの窯元は白河だとか二本松だとかではじめている、大堀で相馬焼きが作られることはないのである。
浪江町には二つの川があり風光明媚な土地だったのである。海はあり川あり山ありといい所だったのである。それが回復不可能になったというのはなぜだろうとなる
それほど原発事故の被害は大きかった
結局、原発でも公害になるとみんなだめになるというのは本当だった
結局細々としてもそこには自然が汚されずあった、そこで町でも村でも継続されたのである。
まず公害になると市町村自体が継続されない消滅の危機にさらされるのである。
この辺ではつくづくこれと同じ反省を強いられているのである。
写真絵はがき-ここに激流の高瀬川
参考となる詩
浜街道春の浪江町
高瀬川轟き流れ春の日や
広々と浪江の大地開けたり
大堀に陶工の業は受け継がれ
相馬焼きの一品を買いぬ
高瀬川春の光にきらめきて
山鳩の嬉々と飛びつつ
春の日に二つの川落合いて
太平洋と流れゆくかな
その昔言祝ぐ橋の一つかな
村と村とは結ばれ栄いぬ
浪江の大地を耕すものや
新たなる力を注がむ
流れ入る川や広々と
かなたに望む行く船や
春の日に鴎群れ飛び
請戸の湊に漁船いでゆく
知られたる高瀬の清水や
西行もここに喉を潤しぬ
浪江の宿や相馬の殿も休み
磐城の境大熊に向かわむ
夜ノ森は余の森なりき
森深く小暗き道なり
その森に境を成しぬ
小良が浜もここより近しも
高瀬川轟きその奥そ深しも
葛尾村は山中郷の相馬藩
三春藩との境を成して
野馬追いの旗を伝えぬ
浪江は標葉郷にて相馬藩
野馬追いにその旗連らぬ
その日のまた来たらむや
相馬の武士の心騒ぐかも
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