2017年04月10日

今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)



今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)


今日駅であったのは九州の福岡から来た人だった、ボランティアはまだ来ている、この前の人は新潟から来た人だった、名取の空港から帰る
九州となると新幹線でも遠すぎる、その人は前にも19時間かけて来たとういう。
小高の方でボランティアしている、ではなぜそんな遠くから来たのか?
鹿島駅の前のホンダの販売店がありその人もホンダで働いていた、その社長と友達だから来たという、何でも小学校に米を寄付して喜ばれたとか言っていた。
それにしても交通費だけで費用がかかると思うわからないがその交通費とか日当とかはボランティアでもでるという人がいるからそうなるのかもしれない、そんなに費用をかけてくることは容易ではないからだ

そもそもボランティアは何かあまり負担になることは向いていない
自分が無人駅の駅員としてボランティアしていると言ったら笑っていたけど
こんなボランティアはまず金の負担も何も負担を感じないからやれる
別に感謝されなくてもいい、そんな軽いものだからやれる

第一ボランティアで交通費でもかかるとしたらやりにくいだろう、最初の津浪の被害のときは自腹で来た人がいた、そのあとは国なのかわからないが交通費を出しているとかいう交通費くらいだしてもらわなければボランティアでも負担になるからできないと思う
そしてボランティを受け入れる側でもボランティアは継続的に来ないから役にたたないとか言っていた
今継続的に来て役に立っているのは花栽培を援助してくれる一つの大学だけだと言っていた。
ボランティアでもその場かぎりで去るようでは役に立たない、継続的に支援してくれないと支援される側もこまるのである。
だから海外の援助でもそうである。一時的に災害があったからと応援するより何か一つの目的のために継続的に支援してくれる人を望んでいるのである。

ともかくこの辺ではこの前は長崎の人が原発で働いていると来ていた。だから遠くから来る人はめずらしくない。
昨日は京都から来た人が大内にタクシーで行った、あそこにはプレハブの宿舎がありそこで働くのだろう。その人も大阪の伊丹空港から来たという、やはり今は関西とか九州になれば飛行機を利用する。

駅でこうして遠くから来た人を見送りしている、迎えるというのも駅の役割である。
駅というのが無人駅でも何か淋しいとはなる、別にいなくても困ることもないが他の遠くから来た人も言っていた
何か無人駅だとこの辺は淋しい町であり活気がない町だと見るというのも本当である。
この辺で無人駅となると日立木とか駒ヶ峰があるがそこは本当に淋しい町にもならない、村という感覚になるからだ
一人くらいしかのりおりがない無人駅である
ローカル線にはそういう一人くらいしかのりおりしない駅がある
だから北海道ではもうローカル線は維持できない

なぜ東JRがローカル線を維持できるのかというと新幹線の収入があり駅の中での店とかホテルとかも経営しているからその収入がありローカル線も維持している
常磐線の津浪の被害にあった区間を400億かけて直すことができたのも全体でそれだけの収入があるからだ、ローカル線は新幹線とつなぐために今はあるともなる

今は車の社会であり第一電車の乗り方さえ知らない人が多い、どうして電車にのるのかと知らない人がいるのに驚く、要するにそれほど電車は乗っていない、車だけの生活になっているからそうなる
電車の不便さは駅から用たすにしてもタクシーとか利用しないとできない、そうなると費用がかかる、高校生は自転車を利用しているが一般人はできない
駅からの交通の便がないのである。そこが一番の問題なのである。
そして駅から離れたところに病院がありスーパーがあったりと駅前通りはシャッター通りになって買物もできないのである。
ただ原町の駅前通りの靴屋にはいいものがおいてあった、あそこの店は見直した。
駅前通りを歩まないから何があるかもわからなくなっている

街の活性化というとき駅を見直すことも必要になる、駅は確かに街の玄関なのである。
外から来る人もまず駅におりたち駅からその市町村に入ってゆくから駅が印象的な場所になる、何か家でも玄関をきれいにしておくと運が良くなるとかいうのとにている。
その家の印象は玄関で決まるということをいうときにている
玄関は福を呼ぶ場になるのは人が出入りしてその家の印象が玄関で決まるとなるからだ。とはいえ自分は玄関も掃除しないとかあり自分の家は北向きで暗いからいい玄関ではない人間は何か明るい所をどうしても求める、店でも暗い所に入りにくい
原町なども駅前通りは狭苦しく暗いのである。どうしても日本の通りは暗い、狭いこともあり路地裏が多いのが特徴である。
沖縄の店が海に面してあったのはいい場所にあって気持ちいいとなる、いつも海が見える場所にあったからである。
景観というのは人間の気持ちにかなり影響する、それで古来から風水の思想が生れたのである。
どうしても人間は毎日住んでいる場所に影響されるからである。大都会だとどうしても狭苦しい所に住んでいるのが多いから心に余裕がないとなる


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