今日の鹿島駅(人が集まり、様々な人が来る駅)
昨日は「関東鳶」と来ているものに記されている人が来た。その人は蒲庭(かばにわ)に泊まっていて仕事している、六号線まで買物に行って駅前の自転車屋でバイクを買ったのである。
蒲庭だと買物でも不便であり隔離されているようになっている、そのことを言っていた。それでバイクを買ったともなる、田舎では車がないと生活できないんだよとかも自分は言った
その人は大工もできるし鳶もできる、高いところ恐くないかと言ったらかえって自分はそういう場所、細い鉄骨のような所を歩くのが向いているというから驚く
そういう人は鳶に向いている、あの人はやせているがおそらく機敏なのだろう。
まだ若いこともある、ここでバイクを買うということは収入はいい方だろう
東京の方が一万くらい高くなると言っていた。それだけの差があるのもわかる
駅には別に鉄道を利用する人だけではない、いろいろな人がくる、鹿島区には一軒しか自転車屋がないというのも不便である。だからいづれそこもなくなると一軒もなくなるのである。そこではバイクの修理などもしているから不便になる
この辺で震災、原発事故で悪い面が多かったが多少いい面としては補償金が入ったことと外部から入ってくる人が多くそれで活気が出たことである。
駅にいるとやはりそうした外部から来る人と接することが多いのである。
この辺では来る人は決まっているだろう。昨日はイスズに仕事に来た人がタクシーで金沢に行った、食事する場所を聞いていた、あの人は食事する値段を気にしていた、イスズの向かい側に1500円くらいで食事できるよと言ったら高いと言っていた
あそこはこの辺では一番高給なレストランである。
あそこだと牡蠣のフライの大きなものが食べられる、それはうまいが高い
やはり料理は材料なのである。材料が良くないとどんなに料理を工夫してもだめである。でも出張だとしたらそのくらいの金が出るのかと思った
東京だとレストランも高いからそんなことを言っていたのか?それとも会社員も節約するようになった貧乏になったのかとも思う
わかったことはたまごやは菅野漬け物屋でありタニコウの人とかも見送りにきている、東北サッシのことも書いたが鹿島では目立った会社である。
九州からホンダの友達を頼ってボランティアに来た人も自動車関係である。
どうしても今は自動車関係の人は多くなる
東北電力の火発があるからあそこにもタクシーで行く人がくる
昨日はかえるという介護タクシーが来て車椅子で老人を下ろしていた。
駅にいると何か社会の動きがわかり面白いと思った
小さな町だとすぐ関係もわかるからまずいこともあるが社会を知りやすいとはなる
何か街には中心が必要なのだろう。外部の人も内部の人も交流する集まる場が必要なのだろう、駅はその玄関口なのである。なぜなら別に鉄道を利用しない人も来ているからである。そこに店があれば利用することになる
鹿島の駅前には一軒食堂があり食事したいという人は結構いる、だから利用することがある、でも駅前に店を集中して作れば活気が出るというのも本当だろう。
そういうことを30年前に計画したができなかった
今回も鹿島区に100億円も補償金がおりたのだからその半分を資金にして開発ができたかもしれない、それは小高とか原町とか浪江とかでも言えるだろう。
再開発が望まれているからである。原町だってスーパーが駅から離れてばらけてしまっている、道の駅はあるがあそこが街の中心とはなっていないみたいだ
図書館を建てたがあれが駅前にあり街の中心にふさわしいかとなると疑問である。
図書館は街の中心から離れた閑静な森とかある場所がいいように思える
本を読むとしたらそうなる、街の中心にはやはり店とか別なものが向いていると自分は思う。そして今の情報社会はスマホだとインターネットになり本はあまり読まないからである。自分は電子書籍で今は読んだりしているからである。
だからあそこに図書館を作ったのは失敗だったかもしれない、ただ賛否両論はある。
ともかくこの辺は本当は津浪や原発事故で急激に大変化したから新しい街作りを模索するべきだった、それが六年過ぎてもできなかった
人間の最大の弱点は急激な変化に弱い、対応できないのである。
それで自分の一身上でもいかに苦しんだかを書いてきた、認知症でもどう対応していいかわからなかったからである。
それが暴力になったときショックであった、でも認知症という病気がどういう病気を知っていれば対応がそれなりにできたのである。
インターネットに冷静にさせるこさとが大事だというときそうだった
相手の目を見て落ち着かせろというのもそうだった
自分はそれをインターネットで読んだ、家族の一人は急激な変化に対応できなかった
目を見ないでそらしたからかえって攻撃されたのである。
認知症は記憶障害であり忘れると興奮状態になるから危険になるからだ
認知症に対応するにはともかく興奮したら落ち着かせることが大事なのである。
それは精神病の対応ともにているかもしれない、ただ認知症は精神病とも違っていたのである。
まず今回のような大災害になると対処方法もわからなくなるから混乱するから何もできなかったともなる、まず補償金がもらえるとなると個々の安全を計るために補償金をできるだけ多くもらい安全を計るとなったのである。
第一自分は病気であり介護であり回りのことをなど考える余裕もなかったのである。
自分は津浪と原発事故が起きたとき身体障害者だったのである。
それでも介護せねばならないし震災前に一回は入院して震災後も入院して手術したのである。そういう状態ではとても回りのことなど考えることもできなかったのである。
今になると介護もないし余裕ができたから毎日駅に行ってボランティアしているのである
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