2017年04月14日

人間は70才まで老化しない? (百歳生きた母の例では・・・)


人間は70才まで老化しない?


(百歳生きた母の例では・・・)



本当は70才まで老化しない(武田邦彦)


これはまちがいないだろう、現代では栄養が十分であり70才までは老化しない、ただ60才以上は病気になる、なにかしら病気をかかえた人が多いのである。
それはいくら健康に注意してもその人の素質で病気になる
老化するというときスポーツ選手などが若いときのように体が動かないということであり普通の人はそんな激しい運動をしないから筋肉も衰えていないのである。
だから現代では70までは老化はしないというのは本当である。
ただ病気になるからそこで体が衰えるのは老化とは違うのである。

病気と老化は違う、老化は病気しなくても体が衰えることである。
例えば認知症は何なのかわからないけど脳の病気である。
それは老化ではないのである、老化による脳の衰えは記憶が悪くなることなどがある
腰が曲がったりすることもある、それは老化であり病気とも違うのである。
病気と老化は分けねばならない、認知症は最近発見された病気なのである。
認知症はこれまで病気とは認定されていない老化現象だとされていたのである。

老化と病気の相違は何なのか?それは老化は直らないが病気は直るということである。
だから認知症も病気だからいろいろ治療をためしているし薬も発明されている
病気だから直るとして研究されているのである。
もし老化だったら直らないのだから治療しても無駄なのである。

自分の母親は百歳まで生きたけど例えば血管に異常がなかった、病気がなかったのであるだから脳梗塞であり脳出血になっていない、それは病気なのである。
ただ腰が曲がった、90度に曲がった、それも病気とは言えずそれでも普通に生活していたからである。腰が曲がるとき苦しんだからそれは病気とも言えるが老化して曲がったのである。

老化とは脳だったら記憶が悪くなるとか誰でも起きてくる、耳も遠くなるとかもある
でも老化と病気は違う、病気は直るものとしてみる、だから研究しているのである。
老化は直らないから治療しても無駄なのである。
人間はたいがいは病気で死ぬ、病気で死なないものが老衰で死ぬのである。
それは正に寿命が来たから死ぬのである。動物でも何でもそうだが普通は病気で死ぬのである。老衰は病気で死ぬのとは違う、老化で死ぬから枯れるように死ぬのである。
だからさほど痛みも苦しみもないのである。
老衰の死に方が一番いい死に方である。百歳まで生きればたいがい老衰で死ぬ
その他はみんな病気で死ぬのである。

自分の母親が百歳まで生きたのはなぜか?体は細く重いものをもてるような女性でもなかった、まず激しい運動などできないのである。
ただ細く長く生きた女性だった、大正生まれで粗食であり苦労はしたが戦後から十年すぎて高度成長期になるとみんなと同じくいいものを食べていた
栄養は良くなったことも影響している
若いときは粗食だったということはそもそも細いのだけど体力がないのだけど基礎的に細くても生きる力があったとなる

ともかく何か過度に運動はしない、家事であり店などしていたが過重なことは無理はしていない、そもそもできないのである。体に負担をかけないことは確かだった
スホーツ選手が早死にするのは過度に体に負担をかけるからである。
母は平均的に毎日同じような生活をしていたのである。それも面白くない人生だったとけどそれが百歳まで生きた原因になる

大事なことは病気にならなかったことなのである。老化はしても病気にはならない
なぜならほとんどの人は病気で死ぬからである。
病気にならなければ老化してゆくが最期は老衰であり枯れるように死ぬ、痛みもなく自然な死になる、だからいつも眠るように死にたいと言っていたけどその願いはかなったのである。
老衰は仏教でいえば成仏することかもしれない、なぜなら苦悶も苦痛もないからである。
人間は自分でもそうだが60代で病気になったがその病気はたいしたことはなかった
だから自分は病気ではないし筋肉も衰えていない、ただ今は筋肉が衰えている、疲れるからだ。でも普通に生活できるから老化したともいえないのである。
忘れッぽくなっているのは確かであり人の名前などが覚えられない、でもそれで脳が退化したのか老化したのかとも思えない、なぜならあらゆることに理解力が深まっているからである。人間は脳が老化するということはなかなかないのだろう。
老人になってますます脳が働くということもありうるのである。

人間はこれからは70才ではない80才まで老化しなくなると思う
そういう環境に生きているからである。
60代で病気になってもならない人も多いし軽い人も多いから80才までは普通の人とたいして変わらずに生きられるかもしれない、ただ一番怖いのは病気なのである。
病気がなければ百歳まで生きて老衰で死ぬとなる、ただ百歳まで生きるとなるととうなるのかイメージできないのである。あと30年かとなるとその年齢がイメージできないのである。
ただ百歳もめずらしくなくなり人間は長寿になるから人生を長い目で見られるといういい面が生まれる、人間は仕事を完成しようとするとき百歳くらいまで生きないとできない
それで天才の北斎は

70歳までに描いたものには、ろくな絵はない。73歳になってどうやら、鳥やけだものや、虫や魚の本当の形とか、草木の生きている姿とかが分かってきた。だから80歳になるとずっと進歩し、90歳になったらいっそう奥まで見極めることができ、100歳になれば思い通りに描けるだろうし

江戸時代の平均寿命となると人生50年だろう、そういう時代に90まで生きたとなると例外的な存在である。
このことは平凡な人でも現代だったら言えるのである。
自分は天才ではないけど時間をかければそれなりのものになるということである。
まちがいなく年を重ねれば理解力は深まるのである。
何か自分は若いときは詩でも何でもたいしたものが書けないというよりは若いとき詩でも何でも文学的作品を書いている人が多いがそういうものが書けなかったのである。
そういうものが書けることがありまた理解力が深まってるからたいだいのものは理解できる、鑑賞できる、若いときは鑑賞もできなかったのである。

脳とは何か?それは人生の中で積み重ねで経験で作ってゆくものである。
脳に回路を人工的に作ってゆくのである。脳とは誰の脳も完成されたものはないのである資質はあるにしても未完のものとして与えられているのである。
それを生かすも殺すも本人次第だとなる
ただ天才はそうした積み重ねで成すのではない、すでに作られているのが天才だともなってしまう。
だから北斎は天才だからこういうことを言うのは何なのか?
やはり天才でも年を重ねてしか自然でも絵の上達はないということなのである。
要するに何かを理解するにはそれだけ人間は時間が必要なのである。
認知症のことなども経験して書いてきたがあれはこういうことだったのかとかあとで理解するようになる。その時は夢中であり理解できないのである。
だから何でも理解するのには時間がかかる、人間でも死んでからその人のことを理解することがある、それだけ理解すること自体がむずかしいということなのである。



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