2017年04月15日

文明は必ず崩壊する運命にある 原発事故で専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した


文明は必ず崩壊する運命にある

原発事故で専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した

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江戸時代とか昔を万葉集でも参考にするのは別にその時代がいい時代だったとかその時代に暮らしたいというではない、そういう時代がありその時代の生活を今と比べてみると現代がどうなっているのか?
それが明確に対照化されてわかりやすいということである。
社会をみるとき現代だけをみているとわからないのである。
単純に比較すれば

学校がない

病院もない

会社もない

工場もない


鉄道もない

車もない

電気もない

電話も携帯もスマホもない


今当たり前にあるものが一切ないのである。そういう社会は現代では理解することがむずかしいのである。
そんなところで今なら生きていけるのかとなる、特に戦後十年の自給自足の生活を経験していない高度成長などに育った人は理解できない社会である。
例えば飛脚などがいて走って郵便を届けていた,それが人を継いで東京から大阪まで走った、その間に70人の人が継いで走っていたのである。
つまり郵便一つ送るにもそれだけの手間が必要になる。今ならボタン一つでできるからだそして江戸時代の人口が3000万人にもみたない社会であった。

そういう規模の社会が今になるとイメージできないのである。辺りが森でおおわれて電気もないのだから真っ暗な世界になる。
原発事故の避難区域になったところか人が住んでいないので夜になると暗くて嫌だというがそれが当たり前の世界が江戸時代だったのである。
そういう世界に生きていると人間はどうなるのか?それはまず都会では東京のよう大都会ではとてもイメージすらできない社会である。
江戸があったとしてもその江戸ともまるで違った世界だからである。
江戸ですら電気がないのだから真っ暗闇であり草木も眠る丑三つ時になっていたのであるこれだけでも相当な違いである。東京などは大都会は眠らない都市となっているからだ。

だから江戸時代と比較するとき現代の問題もわかりやすくなるのである。
ピカートとイリイチのことを例にしてその本から引用して現代の文明を批判した。
でもどこが問題でどこが違うのかとなるとわかりにくい。

それで専門家とは何なのか?江戸時代の専門家とは何なのかとなるとやはり専門家はいた
医者という専門家もいたし学者という専門家もいたし職人という専門家もいた。
専門家というときそれは個々人としての専門家である。
でも現代の文明で問題にしたのは専門家という個人ではなく専門家集団機構のことである教育というとき寺子屋があり先生がいたとしてそれは専門家集団機構のことではない。
教育という分野は国家でも私立でも専門家集団機構となっている
寺子屋の先生のように一人で教えていたりしないのである。

職人という個々人の専門家はいたとしても専門家集団機構とはならない。
現代はあらゆるものが専門家集団機構となっている、第一会社がそうである。
そしてみんなが会社員の時代では個々人の職人はいない、大工などが例外的にあってもその人たちも会社に所属していれば専門家集団機構に所属することになる
医者でも個々人の医者であり病院がないのだから専門家集団機構とはならない
ここで問題なのはこうした専門家集団機構は一つの巨大な権力をもつことである。
それは素人が立ち入れない集団を形成して権力をもつことである。
それは国家でも官僚という集団があり東大閥を形成して法曹界を牛耳るとかある

今回の東電の原発事故でもそうした科学者技術者集団が専門家集団機構が起こしたものである。そこはさらに政府とも一体化して巨大な専門家集団機構として権力をもったからとても素人では太刀打ちできない、それよりそこに立ち入ることもできないものとなっていた、つまり文明社会はそういう仕組み、システムの上に成り立っているのである。
だから原発事故でもそういう文明自体のシステムが崩壊したとなるのである。
だから専門家集団機構が崩壊したとき文明の崩壊にもなる
そういうことが原発事故でこの辺で起きたのである。
現実に故郷にも住めなくなったことでもわかる

そういうことは例えばマヤ文明でも起きていた、カンボジアのアンコールワットのような文明でも起きていた。それも高度な技術をもった文明だったのである。
その遺跡を見ればわかる、マヤの場合は天文学を駆使してテクノクラートが支配していたから現代が科学技術者が支配していると同じ構造だったのである。
それが崩壊したのは科学が天文学が限界に達して崩壊した、世界が滅びる日にちを割り出してそれで破滅だとかカルト宗教にもなっていたのである。
そのカルト宗教というとき原発もカルト宗教のようになっていた。
安全神話を作り絶対に事故は起きないとして原発を神のように崇めることにもなったのである。それが事故で崩壊してその周辺が住めなくなった状態は文明の崩壊である。
アンコールワットでもマヤでも森の中に遺跡は捨てられたのとこの辺はにているのである原発事故で文明の崩壊現象が起きたのである。

専門家とは人間の社会では常に存在するしそれは否定できない有用な人としてある。
実際に自分はインターネットなどで病気になったとき調べてそれで死ぬところだった
だから自分で病気など判断するのは危険なのである。
民間療法を頼り自分と同じような目にあった人がいる、情報の迷路に陥りかえって体を悪くしたのである。だから専門家は必要なのであり有用である。
ここで問題のはそうした個々の専門家ではない専門家集団機構となったものを問題にしている。
現代文明の問題はその専門家が専門家集団機構となって権力をもちそれが崩壊したとき原発事故のように文明も崩壊するということである。

それはアンコールワットでもマヤ文明でも起きていたのである。
なぜそうなるのか人間の知能は神のように全能ではない、限界がありそれでいくら優秀な科学技術集団で専門家集団機構として権力をもってもその権力の基盤となる科学技術が限界に達して崩壊する、それはマヤ文明などでも起きていたのである。
そこに人間の限界があり崩壊して文明の遺跡は森に埋もれたのである。
それと同じような現象が原発事故周辺で起きたのである。

posted by 老鶯 at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論
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