2017年04月19日

死を連想する桜(小夜嵐に散る桜ー三島由紀夫の辞世の歌について)


死を連想する桜(小夜嵐に散る桜ー三島由紀夫の辞世の歌について)


夜をこめて風吹きあれぬ残り咲く桜も散らむたちまちにして

我が家に風の荒くも吹き唸りきしみ春の夜落ち着かぬかも

小夜嵐花吹き散らす死ぬ人や世にある時のままならぬかも


 今年の天候は去年から変わりやすい、暑くなったと思えば寒い、寒暖の差の激しいのは去年からだったのである。今も風はうなり吹いている、これは小夜嵐である。

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐 三島由紀夫

三島由紀夫が死んだの11月だからこれは想像の歌である。
でもそもそも桜は本当に死を連想するのである。それは咲いた思ったら散っているからそのように短い命ということで戦時中は若い人の命は桜にたとえられた、そして桜が散るように死ぬことがいいことだとされたのである。そのことで批判が今になるとでている
若くして死ぬこと別にいいことではないからである。
みんなもっと生きたいと死んだのである。誰も死にたいとは思っていなかったのである。その苦渋の歌も残されいる、全うされなかった生だったのである。
不思議なのは3百万に死んだとしてもその死を今になると深刻に考えないことなのであるこれだけの人間が死んだら一体なんなのだろうと真剣に考えるからである。
それがないというのがわからない、三島由紀夫はそれを考えた人だったのかもしれない

ただ三島由紀夫は有名になりぎた、マスコミにももてはやされた、だから現実社会というより仮想のマスコミでその名が実質の人間以上に拡大化された、マスコミに紹介されて宣伝されると今でもその人物が巨大化されることがある
何百万人の人が見ていればそうなる、ただ今ではマスコミというのはインターネットとか対抗メデアがでて常に批判の対象になったからあの時代とは違っている
第一あの時代にマスコミ自体が批判の対象になることはなかなかなかった
テレビはお茶の間に入りその影響が大きかったのである。
楯の会の若い人の制服を来て行進しているときそれがドラマを演出しているのかと見えたそれが現実とは思えなかったのである。

何かマスコミとかテレビは今でもそうだが現実と乖離していることがある。
仮想の世界と見ている場合がある、それより仮想と現実の区別がつかなくなるのである。それで仮想の作られた映像が真実と思わせられていたことがありそれが問題になった。
イラク戦争の時は油まみれの海鳥を写して世界でイラクはひどいことをするなと怒りになったのである。
マスコミとかテレビは演出するものであり現実と真実とは違ったものなのである。
だから三島由紀夫が現実に決起して自殺のようにして割腹して死んだのには驚いたのである。演技だと思っていたのが現実になったことにみんな驚いたのである。
ただ人間は自ら英雄になろうとしてもなれない、その時代もあるし平和な時代に英雄になることはできない、いくら演出してもドラマの主人公になろうとしても現実ではなれないのである。その時代時代で状況が違ってくるからである。

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐

散るのは死ぬのは嫌だというのが普通である。でも散るこそ死ぬこそいさぎよい、死ぬこそ華々しいことだとなった、三島由紀夫は老人になることを異常に恐れていたのである。その気持ちはわかる、想像してみても老醜はあまりにも悲惨だったのである。
それはもう自分でもそうだがみんな恐怖なのである。でも逃れようがないのである。
だから早く盛りの時に桜のように散った方がいい、死んだ方がいいとなるのもわかるのである。
三島由紀夫は英雄になろうとしたが演出しても時代でなれなかった、「心の青雲」のプログの都築氏もそうした英雄を望んだ、でも病気になりプログは中断された
都築氏の方が空手の師範であり実践者だったのであるから三島由紀夫より現実的に英雄になれた人間だったかもしれない、でも病気で中断した、プログを読んでいてなぜ透析しているほどなのにあんなに強きなのかわからなかった
人間はどうしても病気になると弱きになる、自分も病気していたからそうだった
自分の病気は腎臓も悪くしたが透析はしていないし結構身体障害者になり苦しかったが
その時介護までしていたからそれほどの病気ではなかったともなる
でも実際は相当に苦しかったのである。

この歌にも三島由紀夫の作られた演出していることが現れている、作為的であり別にさきがけて死ぬ状況にもないのに自らそうしただけだったのである。
それはまさに演技者でありマスコミにもてはやされた人でありそういう人は演技者になりやすいのである。現実の人間は小さくても巨大化されから巨大であらねばならいとなってしまうことがある、マスコミによって作られた虚像になりやすいのである。
その当時はそれだけテレビとかマスコミの影響が大きかったからである。
演技者は現実の英雄にはなれない、今の時代はそうした派手な英雄は求めていないのである。マスコミはテレビは虚像を作り出すのである、今でもそういうことがある。
でも今はマスコミを批判する対抗メデアがインターネットが出てきたりしてマスコミにテレビの報道に乗らなくなったのである。




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