2017年04月20日

小さな駅から見えるもの (車社会を批判した本を読む-「日本文明最強の秘密」増田悦佐)


小さな駅から見えるもの


(車社会を批判した本を読む-「日本文明最強の秘密」増田悦佐)


「日本文明最強の秘密」増田悦佐)
は示唆に富んでいる、車と電車の対比で車社会の非人間性を説いている、それは常日頃自分も感じていた。
ただそれをこういうふうに明確に理論化することはできなかった。
車は人と人の交流を拒絶する閉鎖された空間なのである。
だから歩く旅なら必ず道行があり歩きながら旅すると親しくなったのである。
そういう人間的なものを排除したのが車である。
ある所で自転車でテントを張っていたら車から出てきた人がいた
その車に泊まっていることがわからなかった、車で寝泊まりしている人はわからないのである。だから交流もないのである。
たた車は閉鎖された空間だから自由がある、プライバシーが維持できるとなる
一方電車は区切られた部屋がない、ヨーロッパだとコンパートメントがあるがそこでも何人か一緒になる。何か車の人とは話ができない、そこに乗り合わせた人しか話はできない電車ではみんな一つの車両にのるだからそうした閉鎖的空間は作れないのである。

車社会は人を分散させ居住地差別を作り出し本質的に貧乏人、高齢者、ハンディキャッフをもった人間を排除する社会だ、車社会は車に乗れない人の身分を半人前にして彼らを社会の「一人前のメンバー」から排除した。

車をもつものともたないものの差は大きい、就職するにも車が運転できないとできない、それはなぜかというと当然車社会になっているからそうなっている
車で一軒一軒回るとか車なしでは何もできない社会になっているから車をもたない、運転できないのは一人前にならないそれは障害者と同じになってしまうのである。

それで駅でボランティアしていて不思議に思ったのは盲人が通っている、それで何回か電車にのせてやる、それは車掌も気にしている、やはり結構電車にのるのは危険なのであるハードルが高いのであり危険がともなっていたのである。
車社会では盲人でもそうした配慮がない社会である。車社会にとっては歩行者とか自転車は邪魔者になる、目障りなのである。そういう社会が車社会なのである。
車が必要であるとしても車が貨物だけの輸送になればかなり減るし違ったものになる
田舎では一人一台ももっている家がある、だから車が多すぎるのである。

つまり車をもたない人間はハンディキャップをもった人とにているのである。
でも車でも今は高齢者も80くらいでも普通に運転している
知っている人は80くらいの人にのせてもらっている、そのことによって頼りにされているでももしもっと年をとり運転ができなくる,危険になるときどうなるのか?
もう運転できなくなることは頼りにもされないとなる、第一夫婦がいて夫が運転できないというのは男としての能力もない頼りにならないとされるのが車社会なのである。
でも高齢化社会になると運転は危険になるし相手もいるから運転免許をとたあげるまでになる。でも車社会ではそうすると高齢者は無能化されるのである。

この本で指摘していることには自分は共感した。車をもっていないし生活は自転車が足となっているからである。でもさらに年をとると自転車も近くはいいとして遠くなると無理になる。その時電車を利用するようになるかもしれないのである。
高齢化社会には車が向いていないということがあるのだ
そして車社会はエネルギーの効率か悪いというのもそであり貨物輸送に向いているというのもそうである。遠い距離を運ぶには鉄道が向いていても荷物をおろして点から点の移動は向いていないからである。

そしてこの本で面白かったのは

高齢化するほど、新しい環境への適応能力が鈍くなるので、なるべく早く移住してしまったほうがいい、どうせ移住するなら一家離村、集落離村をして都市生活に適応した方がいい

こんなことを言っているが何かこの辺では原発事故で避難区域になった所ではもう一割くらいしか帰らないとなると町や村を維持できなくなる
それもほとんど老人だからそこでこれから生活を維持できなくなる
介護するにしても訪問するにも老人はまとまっていた方が効率的になるからだ。
だから老人は親しい人たちとかえって移住した方がいいのかとなる
ここには自分が書いたように町や村でも歴史的アイディンティティとか自然とのアイディンティティとかいろいろあり簡単にはいかない問題である。
ただ小高とか浪江を見ているとこれはもう前のようにはもどれないとみるからこれもありなのかと思った。これに異論があるし自分は賛成ではなかった。
でも現実的問題として老人だけ帰って復興できないしその老人を誰がめんどうみるのかとなるからこれもありなのかと思った。

ともかく駅が意外と自分にとって社会の眼を開かせた場所になったことの不思議である。なぜそうなったのかというと家族がみんな死んで一人になったことがあり淋しいから駅に行き話すようになったからである。
そして駅は意外と人間的な場だと発見したのである。多様な人々が交わる場所であることを発見したのである。
もともと自分は鉄道の旅が長いし旅ばかりしていたので鉄道が好きだったこともある
それが影響してボランティアの駅員になったとき鉄道を運営する側に立つことの不思議を経験したのである。

ただ鉄道の現状は過酷である。下の図でもわかるようにかろうじて常磐線は仙台まで残る線だったのである。それでもいわき市から原ノ町までは二両しかでなかったし過疎の線でもあった。しかし仙台まで通じることで常磐線は活きていたのである。
だから常磐線にかんしては過疎の線とは廃線にはならない線だったのである。

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地図を良く見なかったがいわき市まで常磐線は東京までの通勤列車がいわき市からもでている
複線でありいわき市から仙台間は単線なのである。
いわき市から原ノ町までは時間も別であり一時間に一本も通らない、いわき市から原町の間には市になっている区間がない
いつも二両の電車であり乗る人が少ないし駅も無人駅が多い
ここは過疎化している、今度は原発事故でさらにもう人が住まないとなるここの常磐線を維持するのは苦しい
双葉などはこの区間が開通してもとめれない、放射線量が高くて止めれない
でもいわき市と常磐線が通じないと鉄道も活きてこないのである。
たから3年後くらいに通じるがその沿線には人口が10分の一とかに減っているとしたらどうなるのか?
その影響はあまりにも大きいとなる
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