2017年04月21日

春ののどかな風景になごむ田舎 それが放射能災害で失われた悔しさ


春ののどかな風景になごむ田舎


それが放射能災害で失われた悔しさ

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鶏(カケ)鳴いて牛なき昼間のどかかな

菜の花に鶏庭歩む農家かな

犬連れて長き散歩や春の草


散り急ぐ桜にしあれ闇深し浮かばれぬものは御霊なるかも

吹きあれる嵐もやみて残る花夕日のさして我がおしむかな


この辺の変化は大きすぎた、のどかな田園風景でも失われたことがある。
津浪の被災地でもそうだし放射能汚染でもそうだし今でもその影響が大きい
放射性物質の廃棄物があり前の田園風景とは違う、ただ田畑はそれなりに回復している
畑になると半分くらいしか耕作されていないだろう。
そこは荒地になっている、農業はもともと高齢化して跡継ぎがいなくなっていた
そしてこの辺では若い人の人口が流出して老人が他より10パーセント増えた
だから繁盛しているのは最近川子にできたパークゴルフ場である
あそこは本当に広いから気持ちいい場所である。
そこに百人くらいいたのには驚いた、それだけ暇な元気な老人が集まっていたのである。

街からすぐ近くに庭にまさに庭鳥が鶏が歩いている、コケコッコーと辺りに鳴き声がひびく、その近くに牛が飼われてモウとなく、それが田園風景であった
それは昔ならどこにでもあった田園風景である。そこで心が和む
それが街のすぐ近くだからこの辺はそういう場所でもあった
一万の町だったらどこでもそういう風景があった
それが放射能騒ぎで乱された、そして平安がまだもどっていない

ただ鹿島区はまだいいほうだろう、小高とか浪江は悲惨である。
一旦街でも人が住まなくなるとあれほど荒廃するのかと思う
この辺の問題は若い人の流出であり特に若い女性が流出している
すると結婚して子供を産む人がへっているから将来の人口構造も老人だけが増えるとなる
自分の場合は別に都会に今は憧れたりしない、田舎の方が魅力があるし自分にあっている老人になると都会には住みたくない、特に東京などに住みたくないだろう
銀座とかなんとか行きたくもないのである。人が混みすぎるからだ
関西でも京都でも行きたくない、今や外人で観光客が増えすぎているからだ
それで情緒も壊されているのである。

芸術とかなると田舎かからしか生れないだろ、文化だってそうである。
ただこの芸術もそのベースになる田舎の生活がなくなったらありえないのである。
飯館村などは森のアルカディとか桃源郷の感じがあったが放射能汚染で土がけずられ放射性廃棄物場となる、ソーラーパネル場になるとかでそこも前の平和なのどかな風景は失われた、だから自分にとってはこんなふうにしたものに怒りを覚える
そもそも田舎を愛さないもの、自然を愛さないものが人間なのか?
東京のような所に平気で住んでいる人間が人間なのか?
そういう疑問が常にあった、そういう異常な人口環境で生活している人間はもはや人間なのかとまでなる
そこからもしかしたら原発事故も生れてきた、まずそういう人たちが自然環境とかを考慮しないからである。ビルの谷間で生きていても平気な人たちだからである。
そういう非人間性が原発を作り出して田舎を破壊したのかもしれない
ただそれに同調したのも地元の人たちでもあるから都会だけの責任ではないともなる

いづれにしろ桜は今年は早くも散った,外の桜を見ることもなかった
散りいぞく桜だった、そして浮かばれぬというとき戦争で死んだ300百万人の御霊だともなる
あの風は強く被害もあった、ソーラーパネルが災害復興団地から落下した
やはりソーラーパネルはこれから何が起きるかわからいのである。
台風などがきて破壊されるかもしれないし土砂崩れもおきてくる
山には作るのは問題がある。ただソーラーパネルは参入しやすいのかもしれない
どこでもソーラーパネルになっているからである。
そしてこの辺では津浪であれ放射能被害で荒地が膨大にふえたからソーラーパネルになりやすいのである。その荒地になったとこに設置しやすいとなるからだ
津浪で磯部であれ右田であれもうそこには誰も住んでいないからメガソーラ場になったのである

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