今日の鹿島駅(春の雷が鳴り虹がかかった)
屋形の方に虹が見えた、でも駅からも見えたのである。
はっきりした写真をとるために近くでとったのである。
つばめ来る糞を残して田舎駅
春の雷人交わるや田舎駅
春の虹待つ女(ヒト) あれや田舎駅
今日は別に何もない駅だったが時刻表が汚れていた、それは昨日つばめが駅の中に入り巣を作ろうとしていたからである。
それでこれは掃除しなければならないと思った。駅でも汚れることがあり掃除も必要である。
それから突然春の雷が鳴った、かなり大きな音だった、次ぎにもう一回鳴って終わった
この時自分はなんとなく虹がかかると思った
そしたらうっすらと虹が出ていた、それで見えやすいところで写真をとった
虹は消えやすいので写真がとりにくい、そして写真でもそれがいつの季節の虹かわかりにくい、虹だけとってもわからないからである。
だから写真ですべてがわかるとはならないのである。
なんか今年は調子いいかもしれない、結局介護十年間というのは長かったのである。
十年一昔となる、それにしても時間はたちまちすぎると思った。
何かが苦しいことがあるとそのことに追われて時間がたちまちすぎる
そして次々に人が変わるのである。
80くらいになるとみんな浦島太郎になる、若い人は年寄りを知らなくなる、今の時代は特にそうなる、退職したりすると会社人間だった人は役目がなくなり会社の人とも交流がなくなり忘れられるのだ
とにかく人間は忘れられやすいのである。だから社会的役割を退職しても老後でも持つ必要がある
それでシニアのボランティアが増えているのもわかる、何か役割を求めてしているのである。
ただボランティアもむずかしい、それが利益を求めるとボランティアではなくなるし何かそれで報酬を求めてそうである。そういう人はシルバーセンターで金をもらった方がいいとなる、それもまた社会の役に立っているからだ
ボランティアは報酬を求めないことが基本にあると思った
もちろん自分のしていることはそんなもの何の役にたっているのともなる
ただ何か駅のボランティアが自分に向いていた、別に一日中いるわけでもないし時々来て駅をみているだけである。それでも何か用があったりするからいいのである。
今日は掃除しておくとかなる、するとなんらか役目があるとなるからだ
退職でも老後でも役目がなくなることが意外と大きな問題になってくる
生きがいもなくなるからだ、でもまた介護とかの仕事は負担が大きすぎてやれない、苦しくなるものはボランティアしにくいのである。
正直十年間介護してエネルギーを消耗したからである。
今日は春の虹を見たので縁起がいいとなる、それより天候は経験でこの空模様は虹がかかるなと察する、実際に今日はそうだった、この辺は海側に虹がかかりやすい、それも夕方に陽が沈むときにかかりやすいことは経験で知っていたからである。
だからこれは偶然ではない、確率的に虹が出やすい状態だったのである。
天候もだから偶然というより縁起がいいというよりは確率的に判断できるのである。
ともかくこのプログは刻々変わる変化を報告するのに向いている、天候は刻々変わっているからである。すると読む人も臨場感があって読むとなる
二日遅れとかなると何か臨場感がうすれてくる、だから今日この虹を見た人は共感するとなる、見ない人はあの天気だと虹がかかったのかとみる
ただ相馬市と原町では天候は違っている、鹿島だけで雷がなり虹がかかったようである。
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