2017年04月28日

街は相乗効果で栄える 駅前から発展した街をふりかえる


街は相乗効果で栄える

駅前から発展した街をふりかえる

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街というとき鹿島区を参考にするとまずどこでもその当時そうだったが一軒一軒の店があった、駄菓子屋とか隣は魚屋とか豆腐屋とか酒屋とか呉服屋とか電気屋とか様々な店が並んでいてそういう狭い地域で生活していた、第一遠くには行って買物はしていない
車もないし歩いて生活するのが基本だったからである。
こういう生活も今になると便利だったとなる、スーパーでも買い忘れがある、豆腐買ってなかったとか納豆買ってなかったとかあるからだ
近くだったらすぐに買いに行けたからである。
この時から街は常に相乗効果があって成り立つ
魚屋とか豆腐屋でもなんでもばらばらに離れていると生活しにくいからである。

次に街の発展は駅ができて駅前通りが作られ発展した。その頃まだ車をもつ人は少ない、ダットサンとか三輪車風の荷物をのせる車は先に使われていた
最初は人をのせるというより品物を運ぶためにそういう車が使われた
鉄道でも最初は石炭とか地方から木材とか石とかを運ぶために発展した
網の目のように森林鉄道がめぐらされたのもそのためである。
この時は鉄道の時代だったのである。

鹿島区を例にするとなぜ駅前に農協のスーパーができたのかというとまだ駅が街の中心ということがあったからである。
その時スーパーができたときすでに街の通りの店は衰退していたのである。
スーパーの時代になるとそのそろえる品数が違いすぎたからである。
駅前に自転車屋があるのは引き込み線で貨物車両が入り運ばれたからである。
映画館というのも駅前の今のではない細い路次が通りでありあった
つまり娯楽施設もありそこが街となり相乗効果でにぎわっていたのである。
駅前だと運びやすいということがあったし駅前旅館とかできたのも鉄道が盛んな時代のことである。
この辺でも鉄道は働き場所であり線路工夫をしていた人や国鉄職員も多かったのである。それは今は鹿島駅前にホンダの販売店があると同じである。
今は車にとって変わられたのである。

街の発展をみると相乗効果なくしてありえない、第一東京があんなに巨大化したのは東京にあらゆるものが集まり生産消費しているからである。
そこに巨大な相乗効果が生れてそなっている、仕事するにも便利だからそうなっている
官庁でもなんでも集まっている方が仕事しやすいからである。
それでなかなか移転などできないのである。

原町区で元の原町市でも旧街道から駅前通りとして発展した
それで自分の母親が原町紡績で働いていたのだがその工場まで引き込み線があった
鉄道で運ぶためにあった、鉄道しか遠くへ輸送する手段がなかったのである。
まだトラックなとは普及していなかっ、第一戦前なら戦後十年でも舗装はされていないからである。だから埃がだったり雨がふると水たまりができたりと道は汚れていたのである今の南相馬市の鹿島支所の真野橋は木の橋だったのである。
子供の頃、その橋を渡ったが木と土の橋でありゆれたりして危険な橋だったのである。
そもそもが江戸時代の橋とさほど変わらない橋だったのである。
それで橋は良く洪水で流されていたのだ

相馬野馬追いでも新田川で橋が流されて行列がとめられている絵が残っているからだ
その当時洪水が多かったのである。
自分の家は街では一番低い所であり二回も洪水の被害にあった
だから全国的に日本は洪水の被害が多いから橋がどこでも流されることが多かったのである

相乗効果というとき最近コモドインというランチをはじめたホテルに行っている
あそこは料理人がいて洗練した味の料理を出している、そもそもあのような山側にホテルができたのはこの辺で津浪や原発事故で外部から除染とか工事関係者が入ってきたからである。まだ溜池の除染が近くではじまったとか工事もあるから人が入ってきている
それであんな山側にホテルができた事情がある
何かあのホテルに行ってランチを食べるのが不思議な感覚になる
あんなところホテルができると思わなかったからである。
それは宮沢賢治の「注文の多い料理店」とうい童話が現実化したような錯覚になった
花巻とかいの町も当時は小さいが何かそうした都会風なものが入ってきていたのである。
それとにたような状況が最近ここで起きているのである。

何か都会化したなと感じる
距離的には通える範囲であり自転車でも遠さを感じない距離である。
そのホテルでランチすると今度は近くのコンビニがありそこによることになる
何か食後のデザートのようなものをほしくなる
そのホテルのランチでもそうしたものを添えているがたりないのでコンビニによる
そうするとそこが一つの街になるのかと感じたのである。
つまり相乗効果がホテルとコンビニで生れたとなる

鹿島駅前を何か開発すればいいとか書いたがこの前は山崎パン屋でサンドイッチを買って食べていた人がいた、山崎パン屋はそういう買物ができたとしても駅から近いとは言えない、そこが一番の問題だった、前は鹿島駅内に売店があったからそのときは人の出入りが多かったのだろう。
だからこそ農協スーパーが駅前に出店したのである。
その時駅前開発が議案となったが何もできずに今日いたっている、その内車社会になり
駅前の農協もなくなった、鉄道は衰退したのである。
原町だったら六号線に道の駅ができたりと六号線沿いが発展することになった

街が栄えるにはやはり相乗効果がないと栄えないことは確かである。
何か今のようにてんでんばらばらになっては便利でないからだ
仮設商店街というのも新しいを相乗効果を産むものとして作られ一時は成功した。
ただ外部から入る人が多かったからこの辺ではその繁盛も一時的だったともなる

駅にいると食堂が一軒ありそこで食事する人が結構いるなと見た
昼間にきた人は食事する場所を探しているからである。
でもそれも良くわからないようで教えたりする
鹿島駅前は何もないように見える、それが不便なものとなっているのだ
やはりそれでは相乗効果を生まないのである。
店はやはりいろいろなものが集まった方がいいのである。
結局車社会が街作りを変えてしまったのである。
六号線沿いに店が点々とあるのは車社会だからそうなる
街の通りがシャッター通りになるのもそのためである。
大きな駐車場が必要になってくるからである。

スーパーは一軒でもそこでなんでもあり相乗効果を出している
でもスーパーだけでは本当は街の形成はできないのである。
街というときそれは総合的なものであり必ずしも買物だけではない
ぶらぶら街を歩いてみたいとかあるからだ
イオンのように離れて巨大なものが一つあるというのは不自然なのである。
そこにツタヤとかあるのも相乗効果ではある、パチンコ屋もできたのもいいとはいえなくてもそうである。そこに人が集まることが相乗効果なのである。

いづれにしろ小池のコモドインでのランチは自分にとって新鮮な経験だったのである。
小池など通りすぎるだけであり何かそこを街のようには意識しない所だったからである。だから一つでもホテルができてそこでランチなどできるとなると感覚的に違ったものとなることを感じた、そして相乗効果が生れるのである。
その辺りは自然も豊富だから「注文の多い料理店」のような錯覚を産む場になったのである。



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