小池の墓地を見て帰る
(コモドインの近く)
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小池なる墓地の木陰に休みつつここに眠れる人し思いぬ
墓一つ倒れてありぬ参る人なきや我が見て街に帰りぬ
名前のみ墓標の八つここに生く人のありしも誰がかえりみるかも
白藤のさわに咲きにき小池にそ住む人あれやひそかすぎゆく
墓地と桜
一つの墓地に花は散りにきあわれかな
ここに眠れる人は誰なれや
生きてあるとき華やかなる時もあれ
たちまちに花は散りにき
そして墓に入りにつ語らざるかな
かく時の移りは早しかも
いづれはみな墓の中なり
墓に入れば騒がずや
花はみな散りにけるかな
月こそいでてここに眠れる
小池のコモドインの近くに墓地がある、結構広い墓地である。小池で何か見るのかというとき外から来た人は古墳を見てきたという、鹿島区だと古墳が目立つから見るようになるあとは撮り鉄であり鹿島駅とかは古いものだから撮ってゆく、他にも小高ともありその人たちは仙台から車できて写真を撮ってゆくのも変だった
鉄道マニアだったら電車に乗るべきだからである。
ただ写真をとるとなると場所が問題になるから車で来ていたとなる
古墳も墓だとすると自分が小池で見るものはなにかとなると墓だけだとなる
小池の墓地は桜の木があっていい場所だった、墓地も広い
嘉永とかあったから江戸時代からあった墓である。田舎の墓はたいがい江戸時代からつづいている墓である。鹿島区の街中にある墓地でもそうである。
倒れた墓がありあれは誰もお参りもしない墓になった、墓はそれでもかたづけるわけでもなく残っている、個人墓であり姓と名前が記されている、古い墓は個人墓であり夫婦墓が多い、他に八つくらい道標がありそこには名前だけが記されている
そういう墓は使用人なのか?それとも兄弟なのか姉妹なのかわからない
そういう墓はどこにでもある
墓になぜひかれるのか?それがやはり人間の無常を示しているからである。
でももしその人が生きていて出会っていたらいい感じがしないとういことはある
死んでみてなにかあわれだとなる、人間は死んでみると本当にはかない
最近近くで十年介護していた夫が死んだ、それも生きている時は長いが死んでみるとつくづくみんなあっけないなと思う
最後は墓になってわずかに名前が記されていても省みる人もなくなるのである。
小池の墓地がある所は工場もある、ただ何を見るかとなると墓なのである。
それは古墳でもそうである。この墓に興味をもったのはコモドインに食事に来るようになってからである。つまり何かに興味を持つのは意外とただ昔だけではない、今が関係している、コモドインという所でランチを食べに来ているとあの墓地を通るから関心をもつようになるからである。だから山奥になるとなかなか行けないから日常的には関心をもてないのである。
あっけない死
近くにまた人が死ぬ
あっけなくころんりん
ええ、あの人が死んだ
あっけなくころんりん
同じ年だった
もう還らぬ人
あっけなくころんりん
死んだらみんなあっけない
あんなに気丈夫な人も
あっけなくころんりん
病気と老いと死には誰も勝てない
こんなにあっけないのか
今や老いれば次々に死んでゆくだけ
あっけなくころんりん
死んで何を残すのか
何にも浮かばない
泡のように消えただけ
人間は死んでみるとみんなこんなものになることの不思議である。
死ぬまで大騒ぎしても死んだとたんにこんなにあっけないのかとなる
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