2017年05月11日

今日の鹿島駅 飯館村の人と小高の人と話する


今日の鹿島駅

飯館村の人と小高の人と話する


実家が鹿島にある女性が来ていた。そういう人は多い、町の変わりようなどを説明する
飯館の蕨平の人がまた来ていた、鹿島にある競輪の券の売り場にゆく、あそこには定期的に来る人がいる、タクシーで行くからそれなりに収入にはなる
あそこができるとき反対する人たちもいたがおしきられた、自分も反対の方だった
それでも仕事ができるとか人が集まるとかで賛成した
底辺で働く人はあそこで掃除の仕事ができるからいいとか言っていた
底辺だとそういう発想になるのだろう。だがらの悪い人も来る
でもこのギャンブルだけは人類からなくすことはできないだろう。
なぜ寺が博打場になったのか?寺銭が払われたのか?
これも何か人間の業みたいなものなのかもしれない、酒とかもそうでありやめることができない、貧乏なときは酒は栄養補給だったのだろう。
タバコもやめることができない、でも阿武隈山地は葉たばこで生活できていたのである。

飯館の人は今回は釣り竿を三本くらいもってきていた、釣りもしていたのである。
海の方だと満潮のときでないとだめだという、満潮の時期を新聞など調べて行くという。なんでも最近、ホッキガイとか牡蠣などもとれたという、松川浦の人は85歳で牡蠣を震災後も食べていた
その人も飯館村の放射線量が高いことを知っていても平気で飲んでいるという。
全然気にしていない、老人は関係ないんだよとなっているからだ
今回の放射能汚染で老人は影響を受けないのである。
だから避難しても帰るというとき故郷への住み慣れた所へ帰るということもあるが放射能をこのように全く気にしないことも原因しているのである。
確かに85歳なら放射能など関係なくなるからだ

飯館村では大きな川がないけど岩魚がとれるの?と聞いたらとれると言った
かえって細い川がいいんだよ、岩魚はそういう所を好む、岩魚を釣れる人は上級者だよと言っていた。
飯館村には大きな川がないのである。細流はある、自分がいつも行っていたのは大倉から峠を越えて飯館村に入る場所だった、そこには家が二三軒あったが一軒が廃屋になり
一軒が残っていた、その時そこは森につつまれていて人が通れる道があってもめったに通らない神秘的な場所だった、そこにはきれいな水が流れていて岩魚がひそんでいたというでもその岩魚を見ることはできない、今は舗装した道ができてその神秘的な森につつまれた細流はなくなった、でもその細流は今も流れている
ヤマメは橲原(じさばら)の水無川の上流の八木沢峠の麓の川に行くと深い淵があり泳いでいるのを見たことがある。
あそこは今は放射線量が高く避難区域になって空家になっている家がある

大石の裏にできたたるみや、岩の下にあるえぐれ、倒木などの障害物の周囲にできる緩流帯はイワナの好む緩い流れと隠れ場所を兼ね備えた高ポイントとなっている場合が多いのです。

水が少ない場所でも生きていけるように、歩くことができます。歩くと言っても、前びれを上手に使い、身体をくねくね動かして、水のない場所も移動します。

飯館村に住んでいる人に直接話を聞くことはなかなかできない、ただそこに住んでいる人は確実にその土地のことを知っているから聞いてみる必要がある。
山には山の暮らしがある。岩魚でもとれれば食料にもなるからだ
自分はそうして釣りとか農業に実際にたずさわらない、そこに自然をみるとき欠けたものになる、実際に釣りとか農業をすれば自然に直接接するから自然により深く知ることになる、それで釣りをしながら山村を歩く哲学者がいたということもうなづける
釣りは自然と接するものとして有効なのである。
ただ自分に釣りは向いていない、自然が好きとしてもじっとして待っているのが嫌なのである。何かすぐに動くのがいいのである。だから自転車で次々に回ってゆくとなる
でもそれも自然と接することなのだが釣りは明らかに自然と融合するものになる
ギャンブルよりは趣味としてはいいのである。

今日は小高の人にもあった、小高の人はやはり金をもっているのだろう。
その人は車がないので原町に良くタクシーで行っていたという、原町までタクシーで入ったら4000円くらいとられた、だからやはり小高の人は補償金で金が今はあるようだ
ただこれからは金が入ってこないのだからどうなるのかとなる
その人も老人だから働くつもりはない、そういう環境で働く気もなくなったのである。
でも働ける人は働いた方がいいよとか言っていたのも矛盾である。

そのうち小高に帰って住んでいる人が駅に来た、仮設の仲間だった人である。
その人は原町とか鹿島のスーパーでも買物に来ている
小高にはスーパーがないのだから買物に来る、鹿島でもキクチスーパーが新しくなりシシドスーパーもできたから買物はできる、シシドスーパは原町にはないからである。
シシドスーパーはもともと卸屋だから新鮮なものを売るから評判が良かったのである。
小高の人は今仮設に残っているのは一割くらいである。
いつまでいられるのか?まだまだいられるみたいだ
でもその人が言うには仲間が減るとやはり小高に帰る人も増えてくるという、仲間が残っているとまだ残る人がいるという、それも六年間もいて親しくなり仲間となったからである。

ともかく駅にいろいろな人が行き来して集まるのである。
山梨の人は弁護士の事務所で助手みたいなことをしているみたいだ
その人も定期的に通っている、事業をしていた人だから事業のことなど人を使っていたからそうした人事にも詳しいのである。
そして言っていることがまともなのである。補償金でもちゃっと使い道を決めさせて与えないとただ浪費するだけになるとか人にはそれぞれの生活があれその分を越えた金をもらうとどうなるか、金銭感覚が狂いその人の生活を乱してしまうというのもそうである。
思わぬ大金が入ってきていいようでもそれで贅沢して浪費して終わりになるしもう金があるからと働かなくなるというのもそうである
この辺は実際にそうなってしまったからである。
あの人は経営者として失敗してもそういう人事の経験を積んでいるからまともなことが言えるのだろう。
大阪の人は何でもあからさまに言うけど本当に相手を助けるときは本気で助けるという。そういうことはやはり様々な人を使っていたから人に詳しくなる
ただその人は裏切られてそのことがショックで人を信用できなくなったのである。
自分もそうなったから同じ経験をしたからその人のことを理解できるのである。

ともかく駅は様々な人が行き来して集まる場所なのである。
今日は南相馬市のリサイクルセンターの近くの会社の人も来ていた。
東京からは清水建設の人が三人くらい来た。
清水建設の事務所はまだ鹿島区にあるからだ
まだ外からの人も来ているのである。それで前より仙台を行き来する乗客が三倍に増えたというのもそのためである。

いづれにし老人が多く集まるというときこの辺は他より10パーセント65歳以上が多いのである。それと仮設に住んでいる人も老人が多かった、だから老人は暇だから川子のパークゴルフ場に百人もいたように暇な老人が集まるからそうなるのである。
ボランティアを求める人も退職した人が多い、この辺に小高でもまだボランティアが来ているからだ。それはどういうことかというとむしろその要望があるというよりボランティアをしたいという人の要望の方が大きいのである。
道路公団に勤めていた人は道の脇を何か探していたのもそうである。
道路公団に勤めていたからそういうことをしていたのである。
自分も介護が終わり余裕ができると関心がいろいろな方向に向く

この辺は実際は自然でも豊かであった。釣りをすれば魚の生態系とかに興味をもちひいては自然を深く理解することになるのである。
つまり旅をしなくてもこの辺はもともと自然が豊かだから発見がある
だからわからないことも多いのである。飯館村は広いからそうだった
隠された知らない細流が他にもあったとなるのである。










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