高齢化社会で買物難民が深刻になる
移り住んだ小高の老人が買物に困っていた
ここは空家ではなかった
街中の空き地が多いなかにあった家はてっきり空家だと思ったが空家ではなかった
手押し車に座ってばあちゃんがその前で二人話していたのである。
それで聞いてみてわかった、寺内の方に一時的移り住んでいるだけでありここにもどってくるという、だから庭の手入れに来ていた
それでも6年すぎたとか本当に空家の感じになっている
ただ庭は手入れしていたから荒れなかったのだ
こういうふうに空家でも時々帰ってみている家が近くにもある、だから荒れた感じではない、他にもまだそういう空家を知っているからだ。
でもこの家はいかにも外の壁がはげ落ちたり空家だと思った
そのばあちゃんが二人で話していた。一人は最近この辺に新しい家を建てて移り住んだ人だった、小高の人だった、家族で移り住んだ、だから家が狭いというとき曾孫とかいて五人いるからである。でも庭はもう一軒家が建つくらい広いのである。
その人が言うには買物に困っているという
近くに店もなく困る、シシドスーパーまで手押し車でも行ったという
そうなるとかなり遠いのである。それで買物に困っている
近くの食堂でオカズだけ売っているというのも意外だった
回りには買物する場がない、魚など売りに来るんだよとかも言っていたしキクチスーパーで頼めばもってきてくれるよとか言っていた
小高の人の話を聞くと七回転々として移ったという、そういう人は多い。
そうなると老人にとっては負担になっていて体を壊した人もいるかもしれない
関連死というものがかなりあったからだ
小高のばあちゃんは何か風呂に入るときなど気をつかって嫌だという、そのことをしきりに言っていた。家族と一緒にいるからいいとういものでもないらしい。
何か家族でも外孫だとかなんか気を使う事情があるみたいだ
家族と一緒に暮らしていても今は老人は暮らしにくい事情がある
そうなると家族のなかでも孤独だともなる
あそこにいたばあちゃんは土地の人だからくわしい、駅の掃除をしているんだよとも言っていた。商工会関係でしているんだよと言っていた。駅とかかわる人がいる
この前は花を植えていた人がいるから地区として駅にかかわっているのである。
あそこの空家と思った地域は五六軒家がなくなり空地化したけど実際は土地を求める人が多いから家がまた建つらしい、つまり鹿島区では外に流出した人はそれほどない
鹿島区内を移っているならそうなる、それより小高とか他から移り家を建てた人もいるし今は浪江などの人たちが復興住宅に移っている
だから人口は減っていないだろう、むしろ多少は増えている
小高のばあちゃんは携帯電話を持っているのだが使いにくいとか台所でも電化しているので使いにくいと言っていた、それもわかる、年寄りは機械の操作が苦手になるのだ。
でも携帯などないと今の生活はできなくなる、それで自分の母親も九二歳で携帯を覚えたのである。もう一人の地元の人は九二歳の人だった、郵便局に勤めていたとか言うことがまだはっきりしている、頭の回転が早い、ただ今は九〇歳などざらにいる
その二人は十分に話できる、近くのことでも自分も老人だから話して通じていた
お互いに古いことを知っているからである。
いづれにしろ買物難民が意外とこれから深刻になる、街内に住んでいても近くに店がないすると手押し車で行くとなると例えスーパーがあっても遠いのである。
だからその人は小高にいたとき九人乗りのタクシーとか予約して買物などしていた
何かそういうものが明らかに必要になってくる、配達してくれるのもいいがそれではたりないからである。
これは全国的な問題である。老人が増えてくるからそうなる
都会ですら東京のようなところですら近くに買物する店がないのである。
高齢化社会というのはだからかえって昔のように近くに店があるのが暮らし安かったのである
結局度々書いているように車社会になった結果として近くに店がなくなりそれが高齢化社会になり不便なものとなって老人にしわ寄せがきている
買い物弱者から栄養事情の悪化
生鮮食料品店までの距離が500m以上 かつ自動車を持たない人を買物困難者としている。
(METI/経済産業省参照)
さらに75歳になると、多くの場合、体力がより低下し始める。団塊世代は、10年後、75歳以上となり、自ら運転できない人口が一気に増え、先に述べた行動範囲が狭くなってしまうのだ。
コンビニがその代わりになるとしても五〇〇メートル以内にはない、その付近にはコンビニはない、パンなど売っているところがあるにしても生鮮食料品となるとつまり野菜とか果物とか魚類がない、魚屋がなくなっているからだ
ここには一軒魚屋があるが遠いのである。
要するにこれも車社会の歪みが生れてこうなってきたのである。
何か高齢化社会でかえって重要になってくるのが近隣なのである
近隣に買物ができて用をたせれば暮らし安い、昔はそうなっていた
そして隣近所で助け合うとういこともあった
一人暮らしとかでも隣近所がみていてくれると助かるとかある
介護でも隣近所が少しでも気づかってくれるとかだと助かる
特に認知症の人のいる家族はそうである。何かと迷惑になるが近くで見ていてもらうと助かるとなる
結局高齢化社会で今までも車社会の構造がかえって不便なものとする、老人には生きにくいものとなる、それは車社会というのはもともと高度成長で若者向きの社会だからであるバイクでも何でも吹っ飛ばし快感を得るのは若者なのである。
それが老人になると全く違った感覚になる、歩いて行ける範囲が便利だといいとなる
第一手押し車なのだから500メートル範囲内でも遠いとなるからだ
自分は十年間介護したから老人を世話したからそういうことを身にもって感じていた
車社会は車をもっているものでもそれが使えなくなったとき社会的弱者に転落するのである。
だから老人に住みやすいとなるとき車を使う社会ではなく歩くと近くで暮らしやすいことなのである。それはまた昔は不便だというけど昔にもどるということにもなる
それは江戸時代のことを書いてきたがここでも同じなのある。
タグ:買物難民
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