白藤(鹿島区小池の道)
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石すえて菖蒲を奥に庭成りぬ
これは最近できた庭である。いい庭である。
山高く迫りし朝や夏雲雀
故郷の昔を語る緑陰に
石すえて菖蒲の奥に庭成りぬ
白藤の散りてひそけきこの道に倒れし墓や名をとどめけり
白藤のさわに咲きける小池なるこの道今日も行きにけるかな
一本の木陰に菖蒲ここに咲き白き山藤咲きつづくかな
我が庭にまだ色づかぬ薔薇の花咲きしを見ゆかな朝の一時
白藤の花
白藤の花の散るかも
ありとしもなくあわれ
この道や小池の墓地へ
倒れし墓一つ名をとどむ
いづれは誰も墓の中かな
ただここに生きしと
墓に名をとどむもかな
この辺の山には高い山がない、でもなんか朝に高く見えた、それは気持ちで高く見えた
山は実際に気持ちで高く見えることがある、自然も人の気持ちが影響して見え方が違っている
健康であれば自然も力強く見える、病気になると気弱になると自然も萎縮するのである。
小池の脇の道は静かでいい道である。でもここを今はダンプが通るからまた田舎の良さがそこなわれてしまった。ただコモドインとかのホテルができたのは何もないところだから良かったとなる、まずいつになったら工事が終わるのかわからない
ダンプが裏の道でも突然来るから危険である。
だから詩にしたような感じは今はない、ただあそこの道があれだけ白い山藤が咲いているのはめずらしいと思った、この山藤は結構咲いている
ダンプが通らなければここは何か木陰になっていていい道だとなる
詩にしたのは家の庭の藤棚に咲いていた白藤である
その白藤と山藤は違っている
この道を行くと墓地がありそこに倒れた墓があったのもあわれだとなる
小池というとき古墳が多い、だから古墳を今も発掘していたし古墳を見に外から来た人もいたのである。
何かどこにでも町でも田舎で面白いのはさらに村ごとに地形的にも特徴がある
橲原(じさばら)村になればもっと奥になる、そのじさばらはジサの木に由来していたのである。
なぜここにこんなに山藤が咲いているのか?
もともとこうした森があり咲いていたのだろうか?人工的に植えたとも思えない
数が多いからである。
万葉集にでてくるこの「やまぢさ」はエゴノキのことだという。
木材は緻密で粘り気が強く、各種の木工細工 に適しているため、「ろくろ木」とも呼ばれてい ます。 薪炭にも使用される。
エゴの木というのは多い、エゴの花は良くみかける、
橲原(じさばら)の名前はここに由来していた。やまぢさのぢさである。
なぜぢさとなったのか?万葉集を知った人がなづけたのか?めずらしい名前だから不思議だとなる、地名には何か古い由来がある。寺内などもなぜなのか?
寺があったからなのか、あそこにホトケッポという村の埋葬地があった
それも関係しているのか、寺内は古い場所でありそれから小池の方に広がった
小池はどうしてその名がついたのかこれもよくわからない、池とか関係しているのか?
小さな池があったからなのか?堤のことなのだろうか?
わかっているのは橲原(じさばら)はもともとエゴの木の森であり開けていなかった
ただ江戸時代には木材の供給地として村としてあったのである。
いづれにしろどこでも田舎の面白さは地形が違っていて村ごとに特徴がある
海側と山側では根本的に違っていることもある
この村ごとになると相馬市でも原町でもわかりにくくなる
大原とか深野はわかりやすいが他はわかりにくくなる
浪江とかなると村ごとにはさらにわかりにくくなる、細部がわからなくなるのだ。
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