遊牧民と航海民
(交通の発達による変化)
遊牧民志向というときモンゴルとか中央アジアとかイスラムなどの地帯である。
そこは砂漠であり草原だから遊牧民の世界でありラクダを使う隊商が生まれた商業が発達した地域である。シルクロードの地帯である。
そもそも遊牧民は常に移動しているのだから商業に貿易に向いている
またモンゴルのようにジンギスカーンが必然的に生まれる、騎馬民族国家である。
境界がない世界に生きているからだ、日頃の生活が移動に向いているから軍隊を編成していると同じである。だから中央アジア地帯がもともとそういう地域であり商業の役割をになったのである。
イスラムで小切手が生まれそれが貨幣に紙幣になったというのもうなづける
商業民族がイスラムでありイスラム教の創始者のモハメッドが商人だったことでもわかるそしてイスラエルは半分は砂漠でありキリストはそういう場所で生まれた
イスラエルまで交易がありラクダが通っていたのである。
中央アジアとか遊牧民の国家は常にその領土が変動するのもわかる、境界がない世界だから変動しやすいのである。それに比べるとエジプトとか中国とかは農耕民だから国家が変動しないのである。牛と馬があるとき牛が農耕民の神となる
そして国家とか都市は遊牧民が農耕民と接して生まれた、中国の最初の国家は西安(長安)に生まれた、始皇帝の秦である。兵馬俑は騎馬民族国家である。あれだけの騎馬軍団があって国家が統一できたのである。それで日本でも騎馬民族国家論が生まれたのである。
その後長安は唐が生まれ大帝国となったのである。
阿倍仲麻呂など遣唐使が行ったのは長安だったのである。
この遊牧民が航海民になったというときフェニキア人が生まれ地域がポエニであり今のシリア辺りでありその位置が遊牧民が航海民を生んだにふさわしい
なぜなら中央アジアの砂漠地帯から遊牧民が移動して地中海に出る地域だからである。
フェニキア人がアルハベットを発明したのも商業に便利だからである。
それまではエジプトのヒエログリフとか楔形文字とか文字があってもそれがむずかしいものだったからである。アルハベットは世界共通の文字となり言語となったのもわかりやすいからである。漢字がならないのはむずかしいからである。
オデュッセウスは筏の中に腰を据え、匠に家事を操ってあやまたず船を進めたが
その瞼に眠りも落ちず、ひたすらにプレイアデス(すばる)の星群、沈むに遅い「牛飼座」また「車座」の異名を持ち、同じ所を旋回しつつオリオンをうかがい、ただ一人オケアノスの水につからぬ、アルクトス(大熊座)にも彼はじっと目を凝らす
常に左手に見つつ海を渡れと教えた星である。
航海には星座は欠かせない知識である。北斗七星は韓国を通じて日本に伝来して妙見信仰になった、これは相馬藩の神である。野馬追いの旗も北斗七星が描かれている
これは中国の遊牧民から韓国を通じて伝来したのである。
イスラムが果たした役割は世界史的にみればいろいろあった、そこはヨーロッパより先進地域だった、だから建築とか化学とか代数とかが発達した、それはヨーロッパに取り入れられたのである。イスラム文明の方がその時文化的には優れていたのである。
ただイスラムは世界史的には橋渡し的役割になった
そもそもなぜイスラムがあのように混乱してテロしかイメージできなくなっているのか?
何か文化的にも学ぶものがもうないとなっているのか?
ただ橋渡しの役割を果たして終わったともなる
ただ日本も東西文明の橋渡し役と見る人もいる、東西文明の融合する国だと明治維新で見なされた、中国とアメリカの狭間にあって政治的にもそういう場所にあった
西欧文明の概念を漢字で取り入れたの日本でありその漢字を中国が利用していることでもわかる、確かに橋渡し役を果たしていたのである。
遊牧民が航海民になれたのも地中海があったからである。ここは航海の訓練する場所となったのである。もし太平洋とか大西洋だと航海するにはまだ未熟だったからできなかったここで航海の訓練の場となりのちにコロンブスがアメリカに到達したのである。
ともかく文明は繁栄して衰退するというときそれは常に文明がグローバル化する運命にあったからである。それは技術でも必ず伝播して応用されるのとにている
そうした技術の伝播を止めることができないからである。
航海民というとき日本でも海の道、海道があったという、それは古代からあったという。東北の太平洋岸まで航海できたのかとなる、それは鎌倉時代にもあったことは小高が蔵院とかあり湊があったことで知られている
でも古代となると航海ができたのかとなる
でも海の記録は喪失しやすい、海を見て感じることは新地から駅が高くなって金華山と牡鹿半島がはっきり見えた、するとこんなに金華山と牡鹿半島が近いのかと直感的に見る
まずこれなら航海しても迷うことはない、確実に近くに島と半島が見えているからであるすると航海しても方向に迷うことがないとなる。
だから意外と貧弱な船でも行けたのかなとイメージできるのである。
それはあくまでも直感なのだけど歴史的な証拠もないのだけどそう思うのである。
陸を回るより船で行けば近いと見えるのである。
阿武隈川も道のように利用されていたというとき古代には道ができていいなから川とか海でも交通路になりやすいからである。道は人工的に作らねばならないからである。
道を作ることはローマの道のように文明が発達しないと作れないからである。
川とか海は自然の通路になりやすいとなる
中国やヨーロッパや中東でも大きな河があり長い河がありその河の辺り文明が生まれたというときそこはまた交通路として川が利用された面があったためである。
エジプトでもナイル川の岸辺からピラミッドへ通じる、神殿に通じていた
あれだけの大きな長い川があるからこそ商業が発達したのである。
津浪によって破壊された常磐線の移設工事の発掘調査で山元町坂元地区の熊作遺跡から
「信夫郡安岐 里」の4人の名前が記された木簡が出土した
701年から717年の間に推定できます
躍動する東北「海道」の武士団 七海雅人
この木簡から阿武隈川を通じて製鉄関連の仕事に従事する人がいたとこの本では解釈している。となるとやはり阿武隈川も古代には道としての役割があったのかとなる。
ここに製鉄遺跡も発見されているからである。
また相馬地方に熊野神社が多いというとき鈴木という姓が多いのも熊野信仰をもってきた人たちが移住したからである。
島隠り我が漕ぎ来れば 羨しかも 大和へ上るま熊野の船
(巻第六 雑歌 944・新949)
浦廻漕ぐ 熊野舟着き 珍らしく 懸けて思はぬ 月も日もなし (巻12/3172)
熊野の船は有名だった、山が迫る海であり森林に恵まれて造船に適していた
だから海洋民として太平洋沿いに移動したということもある
ただ海というのは歴史に残りにくい、船は海に沈んで証拠を残さないからである。
津浪でもわかったように村ごと壊滅して全く何も残さないようになる
すると語り伝えられることもなくなるのである。
いづれにしろ交通に興味をもったのは自分は一生旅してきたからだとなる
新地駅から金華山が見えた驚き
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