量より質の時代へ
AI化で仕事の価値観が変わる
プログはコメントとかより訪問者とかページビュー数で決まる、数を集めたら評価になる、宣伝するにも効果ある、自分のサイトは最近あがってきている、10万ページビューとかなっている、ほとんどブックマークからでありこれだと常時読まれているとなる
ただ10万ページビューとかなると本当にプログでアクセスされるとなると大変である。
どうしても数をかせぐには大衆向きにすることになる
すると質は追求できなくなる、そもそも自分はアクセス数よりずっと読まれた人にも関心なく質を追求してきたのである。
だからむずかしくなってもそうしてきた
第一芸術とか宗教とか哲学が量を追求することはできない、ただニュースの解説とかなると量が必要になる、多くの人に読まれれば影響力が何でもでてくるからだ
それでマスコミは大衆向きに量を得るための報道をしてきた
結局は今は芸能人を集めて漫談しているだけの低俗番組化してかえって嫌われたのであるそういうもの一過性で終わる、本当のものを芸術でも創造すれば何世代にもわたって読まれ見られ音楽でも聞かれつづけるのである。
本当に価値あるものはそれだけ寿命が長い、ニュースとなるとその時その時で消えてゆくから不変的な価値とはならない、でもそのニュースを解説するとき人間の変わらぬ真実がありそれを書けばあとあとまで読まれることはある
ただ一過性に消えるものがあまりにも多いのである。
戦後は貧乏であり食べることが最大の問題であり衣食住が満たされることのために働いただから大量生産システムを作りともかく作れば売れるという時代だったのである。
そこではあまり質を追求していなかった、大量生産のための労働というとき労働の質も追求されない、それでもその時団塊の世代などは人数が多いから大量に人手も供給されてきたのである。その時あまり労働の質などは追求されなかったのである。
賃金を高くすることは追求されたが労働の質は追求されない
今になると労働することそのものの価値が追求されるようになった
一体自分の労働にどういう価値があるのかということである。
それで働く動機が賃金もあるが何か労働自体に満足する価値を求めている時代になる
だから趣味に時間を費やしたいという人が増えるのもそのためである。
理想的なのは趣味と労働が一致して収入になることである。遊びと労働も一致して収入になることである。
出世とか賃金だけではないもの、何か人生として充実する労働をしたいとなる
そもそもそういうことは別に今だけではない過去にもあった。
江戸時代の職人は質を追求していた、量ではない、一つのものを作るのにも質を追求して最高のものを作ろうとしていた、それで職人気質ヴ生まれたのである。
刀を作るにも精根こめて最高のものを作ろうとしていたのである
それは大量生産ではない、手作りでありその技を究めようとしていたのである。
人間の仕事はworkでありそれは作品の意味だからこれは東西の文明にかかわりなくそういうことはあった、作品を仕上げることが仕事なのである。
大量生産にはそういうことはなかった、大量に同じものを提供することが豊かになることだった、そういう時代は貧乏なときはやむをえていことがあった
でもこれからはそうした大量生産というのはなくなる、AI化によってそうした労働は機械やロボットやコンピュターがする、すると労働もそうした流れ作業的なロボットができるような仕事はなくなる、では人間はどういう労働をするのか?
それが今後問われてくることになる
それは教育などにも影響してくる、今までのような受験競争とかでいいのか、社会でこれから通用するのかとなる、労働の質が変わるというときそれがどうなるのか明確ではない
野村総合研究所によると、「芸術、歴史学・考古学、哲学・神学など抽象的な概念を整理創出するための知識が要求される職業」や「他者との協調や、他者の理解、説得、ネゴシエーション、サービス志向性が求められる職業」は、人工知能やロボットで置き換えるのが難しい職業になる
こういうことになるとすると暗記ばかりの受験のための勉強は役に立たなくなる
語学でも翻訳機械が飛躍的に進歩している、翻訳にも創造性が必要なのだが機械的に翻訳できる面ができるから変わってくる、ただ詩などはとても機械ではコンピュターでは翻訳できないだろう。そういう分野は以前として人間がすることになる
でも何かAI化というのは仕事でも機械にできないものとなると相当に高度なものになる
そこまで人類は進化しているかとなるとしていないだろう。
まず暇が多くなるとき一般的に何しているかとなるとギャンブルが多いことでもわかる
暇の有意義な過ごし方をしている人がどれだけいるのかとなる
これは高齢化社会の大きな問題になっているのだ。
なぜなら暇を有意義に過ごすことを訓練されていないからである。
質を追求するというときこれからあらゆる面で起きてくる、それは卑近な所でも起きてくる、料理でもそうである。料理となると実際はその材料が良くないといくら料理人の腕が良くても活かせない、ではその料理の材料を良くしようとしたら農家がやはりいいものを作らねばならない、そこにも質が求められているのである。
AI化機械化されることは人間の質を実際は追求することになる
人間にしかできないものが仕事として残る
それは介護分野とかでもそうである。そこにコミニケーションとか愛とかが必要になり追求される、それはサービスをする方にもされる方にもいいことなのである。
政治とか経済とかは高度成長時代ではGDPが指標になってきた、どれだけ生産量があるかでありその質は計られない、その量を増やすことが目標になってきた
カルト宗教団体でもそうである。ひたすら数さえふやして政治力、経済力をもち権力をもつことが目標である。
そもそも宗教とは本当は質の追求である、もともとそんなに数はいらないのである。
そんなに数を増やすとなると大衆化して低俗化する、それはマスコミが視聴率を稼ぐ方法になる、芸能人の漫談の場を提供するだけになる
ただAI化というのがどういうふうに影響するのかわかっていない、それは知能部門でも仕事が変わるからである。すでに翻訳部門では変わっている、まず翻訳者は機械翻訳してそれを直していることでもわかる
ビッグデーターでもAI化されて分析される、AI化がコンピュターが知能をもつということがわかりにくいのである。
ただこれからの時代はそうしたAI化に備える勉強も必要になる
それは仕事の質が変わるから今までのような仕事がなくなるからである。
それは高齢化社会というものにも影響しているのだ
高齢化社会というとき老人はもう人生は終わりだから関係ないともなるがそうでもない
高齢化社会は60で退職しても70でもそれからの人生の時間があることなのだ
するとそこで何か有意義な時間を過ごそうとするとそれに備えねばならない
それが今までの将棋とか碁とか何か老人の趣味も変わる、将棋でも碁でもすでにコンピュターが人間に勝ったというときもう将棋でいくら15歳くらいの天才が出ても驚かないのないのである。コンピュターが人間に勝ったという方が驚きなのである
そのソフトを作り出した人こそ将棋の人間の天才より驚きなのである。
第一将棋ソフトに勝てる素人はいないのである。将棋でもコンピュター相手にして勝てないのである。だから将棋がいくら天才が出ても驚かないのである。
それはもう計算されつくされた世界であり人間はコンピュターに負けているからだ
ビッグデーターをコンピュターは解析して買っているからである。
人間が進歩するというときやはり機械的な奴隷的な仕事はしたくない、手伝いさんでもそうである。その女性は皿洗いなどはしたくない、でも庭の手入れとか花を植えたりすること育てること野菜を作ることにははりきってしている
その方に生きがいを見いだしている、家事には見いだしていないのである。
第一家事は機械化しているからもう手伝いさんでも職業として必要ないのである。
そうして人間としてしたくないものはAI化して機械化する
では人間は何をするのか?それが問題になる、それは暇をどう有意義なものとして使うかということになりそれは人間の進歩だとなる
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