「破獄」のドラマを見て・・犠牲となる看守と介護殺人
子供の貧困は高齢化社会の問題でもある
「破獄」というドラマだけどそれはまさに現実に起きていた「昭和の脱獄王」をドラマ化したものだった、たからリアリティがある
ドラマでもそれを見る目は一部でもいいからリアリティを経験から感じることである。
このドラマでリアリティを感じたのは看守だった若い人がこの脱獄王を見張るために
労力を費やしていた、それで家族ともゆっくりできないとかなにか大きな不満があり
その脱獄王に襲い殺そうともした
「お前のために犠牲になっているんだよ」とか叫んでいた
この看守は戦争になり死んだがこの脱獄王は戦後も生き延びたのである。
「お前のために犠牲になっているんだよ」
このことが他でもある、それは介護でもそうである。介護殺人が起きるのは親でも子が犠牲になるからである。何かしたいことがあってもできなくなる
脱獄王を殺そうとした看守もそうだった、お前みたいもののために俺の人生は犠牲になっていると殺そうとしたことは介護殺人でも起きているからである。
こういうことは障害者をもった親にもある、その負担はあまりにも大きいからその家族はお前のために犠牲になっていると殺したくなる
そうしして実際に障害者を家族でなくても世話する若者が大量殺人にいたった
それはあまりにも凄惨なものである。
何かそこには俺の人生がこんなもののために犠牲になっていいのかということがある
こんな何も役立たないもののために労力が費やされることに耐えられなくなった
看守でもこんなろくでもない犯罪者を看守するだけの仕事が嫌気がさしていたのである。
こういうこもNHKで放送していたけど子供の貧困とかでもある
なぜ老人のために子供に金が回らない、すると老人は早く死ねと若者は叫んでいるからだ子供の貧困とか教育費に金がかかるとかは実は高齢化社会がもたらしている側面がある
団塊の世代でも今までは生産する側であったからよかった
それが今度は大量に非生産的なものとして社会の負担になるからだ
だから今度は老人のために俺たちの人生が犠牲にされる、老人は死ね
こうなっているのだ。もし60代くらいで老人が死んでいれば新陳代謝が行われこういうことはなかったかもしれない、その分年金をはらわなくてもいいからだ。
すると若者の負担もないわけである。
それは結局高齢化社会がもたらした負の面なのである。
中国ではすでに親は子に捨てられて自殺している人も多い、社会保障もないからだ。
その息子娘でもその子の教育に金がかかると親には手がまわらないのである。
それで親が捨てられてゆくから高齢化社会の問題は世界共通なのである。
正直自分も10年間介護して時間がたちまちすぎてしまった
ただ自分は親を恨んでいない、やりたいことをやらせてくれたし恩返しでできて良かったと思っている、でも若いときに介護させられていたらこうはならなかった
親戚の人が病気になったとき自分は輸血を頼まれたりしたが断った
その時登山に行って異常に疲れていたからである。その人は自分を恨んで死んでいった。でもその時激しい運動である登山をして良かったと思う
そのあとなかなか登山でもできなくなることがあったからだ
介護とか看病であれ何かしたいことができないということは若いときだったらその時にしかできないことがあるからその機会を逃してしまのである。
介護の問題は最低でも五年かかるし二人だと十年になる、もし一年くらいの看病とかだったら耐えられるかもしれない、その時間の長さの犠牲が大きいのである。
まず普通の社会だったら子供優先である。若い世代が優先になる、なぜなら未来を作るのは若い世代だからである。老人はもう死んでゆくだけだとなるからだ。
その老人に国の予算で費やしていたら国自体が衰退してゆくのである。
それは生物の理にかなっていないのである。
ただ高齢化社会は人類で今はじめて直面した問題なのである
だからその解決方法は今模索されているのである。
それが今子供の貧困とか若者の負担となっているが高齢化社会はこれからも続くし人類的課題なのである。
人類はどこの国でも高齢化する、そのことを否定はできない、それで高齢者は死ねということはその課題の解決ではない、なぜなら今の若い世代も同じ課題に直面するからである
だから高齢者は高齢者でどうして子供の貧困をなくすか、若い者の負担を減らすかを考えねばならないのである。そういうことが高齢者世代にもないことも問題なのである。
いづれにしろ医療でも進歩するしますます人間は高齢化するからこれをとめることはできないしこれも進歩だとなる、高齢者を抹殺しろと言ってもそれでは人類はその進歩をとめることになる、これからもずっとやはり長生きする時代だからどうしても高齢化社会が常態になるとしか思えないからである。
90くらいが女性で平均寿命になるが男性もやがてそうなる
だから人生90年として生きる心構えをもつことが必要なのなのである。
それは若いときからそうである。自分は60で死ぬと良く若い人が言うけど今の若い人は確実に90まで平均的に生きる、癌でも病気も治すことができくようになるというからそうなるのである。それは悪いことではない、ただ社会全体の歪みをもたらしていることでその課題を解決する必要がある。それがどういうものか模索される時代なのである。
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