2017年06月15日

要になる祝島の漁業権問題(上関原発問題) 権利には責任が課せられている  


要になる祝島の漁業権問題(上関原発問題)

権利には責任が課せられている  

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漁業権放棄をするためには総会の3分の2以上の同意が不可欠で、なおかつ一人一人の組合員に書面同意を取り付けて補償金を分配しなければ「完全決着」にはならない。
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漁業権というとき権利である。それは法律的な権利というより慣習的な権利である。
ここではその権利を楯にして原発を作らせないように戦っている
原発を押し進めるのは県と国と電子力会社なのである。
その大きな権力に抵抗しているのが漁業権を楯にした漁業組合になる

この辺ではこの逆だった、漁業権は東電から金をもらうためにありそれを売り渡した、そして県と国が許可したのである。だから事故前から船主などは原発御殿を建てたとか補償金と関係ない人は回りで不満だったのである。

漁業権はシジミのことでもわかるように小さなシジミをとるとシジミがとれなくなる資源保護が目的だったのである。そのためのに権利でありそれを東電とか県と国に売り渡すためではなかったのである。

そもそも何でも権利を主張する時代だけどなぜ権利が与えられているのだろうかとなる
権利とは何かを守るために何かのために与えられている、ただ権利だけを与えられることはないだろう
漁業権は魚資源とかその環境維持のために与えられている
だから海が汚染されて魚もとれないとなれば補償されるのは当然だとなる

ところがこの辺では

漁業権者   私たちは漁業権を東電に売ります、だから補償金をもらいます

東電や県や国側  一切あとで文句は言わないでください
                       私たちは海を買ったのですから

海が売り買いできるものならこんなふうになる、だから海は誰のものなのか?
海を所有して売り買いできるものなのかとなる
漁業系権利はあくまでも資源の保護とかの目的のために与えられているのであり海を売り渡す権利として与えられていないからである。
法的にそこに権利が認められるのかとなる

土地でも家でも何でも所有はできる、でもその所有することには必ず責任とか義務が生じてくる、土地を所有していればこの辺では原発事故が荒地が多くなった。
そうするといつまで荒地にしていていいのかとなる、土地の所有者がいてその荒地を何もできない、もう畑にすることも田んぼにすることもできない人たちなのである。
それはいくら土地をもっていても迷惑だとなる、ただこの辺では宅地化しているから宅地として利用すれば金になる、それを待っているのか何なのか地主がいて権利があるからと何もできない、そして荒地のままなのである。
空家問題でも家の所有者がいるから勝手にできないが市町村全体からすると迷惑になる
誰かに住んでもらった方が活気がでる、いつまでも空家になっていてもそれは市町村にとって負の遺産になっているのである。

戦後地主が廃止されたのはむしろ田畑を耕す人の方に権利が移ったからである。ただ土地をもっている人が得することは良くないと廃止された。
ただ当時地主には地主の役割があったこともいえる、土地を管理していたことは確かであり有効利用もしていたが小作に配分されないので小作は不満だったのである。

いづれにしろ権利が与えられるとき責任も同時にもたされているのである。
ゴミを投げるのはできる、でもゴミを投げるにも権利があっても利用者は責任も課せられている、烏などに食い荒らされて困るというとき利用者も一人一人責任がありその対処方法を考えねばならないのである。
何か利用する権利があってもまた責任も負荷されているのである、だから権利ばかりに眼がゆき、権利だけを主張するのが民主主義だと誤った理解があった。

第一海を所有するというけどそんな責任をもてるのかとなる、どうしていろいろな権利が与えられるのか?その権利には責任が課せられている
大きな権利になればなるほど大きな責任が課せられている
その責任の大きさから権利を放棄したいとまでなる
責任をもちきれないからである。それで東電では原発でもしたくなかった、事故が起きたら責任を持ちきれないからである。
でも国で補償するということで原発を作ったのである。国家的事業として原発はあった。責任は国で負う、国民全部で負うとなっていたからできたことなのである。

契約は基本的にいかに責任をまねがれるかを条文にしている、それだけ責任が問われることを恐れからである。ましてや原発だったら事故が起きたらもう東電のような巨大企業でも責任をとれないからである。
だから漁業権者でもなぜ海を売り渡すような権利をもったのかとなる
もしその責任を問われたらどうするのかと考えたら簡単にできなかったかもしれない
今はこの辺では船主とか漁業権者に対する風当たりが強いからである。
こうなるいくら補償金をもらっても苦しいとなったからである。
つまり責任問題というのは本当に重大なものとしてある

金でも多くもっている人はそれだけで責任を問われている
なぜそんな大金をもっているのだ、その金はお前だけのものではないないとなりその金の使い道が追求されるからだ。
資本主義社会では金をもっている人が一番責任がある社会なのである。
その金が何に使われているのか厳しく追求されてもしょうがないのである。
いくら地位があり尊敬されるとしても金がついこないなら今の社会は意味がない
なぜなら老人を見ればわかる、誰も尊敬もしないが金があれば力をもつことができるからだ。老人を尊敬するという社会そのものが喪失しているからだ
権利が大きければ大きいほどそれにら比例して責任も重くなっともかくているのである。

その責任は一代だけで終わらないのである。子供にも責任が問われる、お前の親は漁業権を売って金持ちになった、お前の住んでいる家は海を東電に売り渡して得たものだとか言われる、そうなると子供の代まで責任が負わされることになる
借金は相続放棄すればちゃらにるながそうした責任は子供の代まで消えないとなるのだ。それはあまりにも責任が重すぎたからそうなったのである。

もしそういう責任があるとういことをありありと知れば簡単に海を売り渡したりできない他で大きな責任を自覚したら相当に緊張するし簡単には引き受けないだろう。
それより権利だけに眼がゆき利益を得ようとする、でも責任は自覚しないのである。
原発などその責任の重大さを真剣に考えたら誰も引き受けないものであったのだ。
科学者でも技術者でも会社経営としても引き受けたくないものとなっていた
電器製品、家電を作るようなものとはまるで違った代物だったのである。
そういう自覚に欠けて原発を作ったこと自体が間違っていたとなるのだ
原発は何かその危険なのに安易に作られた、だから事故が起きたらどうするかなども検討も準備もされなかったのである。
ただ「安全神話」のみが権力で作られていただけなのである。
それが一挙に津波とか地震で崩壊ししてしまったのである。
そしてその責任の重大さを自覚させられたのである。
posted by 老鶯 at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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