2017年06月15日

冬の貴婦人と薔薇の花 (フラワーアレジメントには壺の役割が大きい)


冬の貴婦人と薔薇の花

(フラワーアレジメントには壺の役割が大きい)

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「姉妹」

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「清楚」

壺と一体化しているのかフラワーアレンジメントである。
壺によって見え方が違うからだ

上のは壺があっていないのだ、ただ壺もそろえるとなると金がかかる
これらの花はスーパーですでにアレンジメントされたものだったのである。

単純なものでも映える、多くの花をさすとかえってだめにもなる

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冬の貴婦人

これはクリスマスローズとういうから薔薇の一種だけど薔薇に見えない



老鶯や長き土手道歩むかな

路地裏の曲がりし道や黒揚羽


駅にまた新たに花の植えにけり日々我ここに寄りにけるかな

華やかにはや薔薇は散りぬ石の蔭冬の貴婦人なお咲きにけり

蜂のきて夏蠟梅にささやきぬ庭の静かに継ぐ我が家かな

大輪の薔薇に向かいて今日も咲く百合の花かな朝日のさしぬ

移り来て住む人若し夏の日に薔薇明るく咲きにけりるかな

清楚なる紫の花壺にさし我が家落ち着く家族のなしも


何か最近いろいろ駅のボランティアなどして追われていた。だから仙台にも半年で一回しか行っていない、近くをぐるぐる毎日まわっているだけである。
原町や相馬市にも行っていない、なんかだんだん出無精になった
人ごみの中に出たくないとかなった、これも年なんだろう。
老人はあまり遠くに出歩くことに向いてない、家でじっとしているのがあっている。
行動範囲が狭くなるが深くものを観るということに向いている。

だから花というのは外で観るだけでなく身近で観ることが深く見れることになるからどうしても小さい庭でも必要になる
大きな庭だと管理するだけで水やるだけで手間になる、一人で家事全部しているし買い物もしているしできないのである。
自分のテーマは花でもあった、花は高山植物でも北海道でも見てきた。
北海道では花が見れるからだ。檜扇菖蒲なども見たしハクサンチドリも低地に咲いていたのである。北海道ともずいぶんご無沙汰している、20年くらい行ってない
10回くらいそれも一カ月くらいぶらぶら旅していた時がなつかしいとなる
北海道と沖縄は日本では外国なのである。風土がそうだからである。

冬の貴婦人は長く咲いている、目だたない花である。これが花なのかと思う
葉のようにしか見えないのである。ただバラが散ってもまだ咲いている
今年もずいぶん花は咲いたがその初夏の華やかな季節は過ぎた
すでに梅雨の時期に入ってきた。

フラワーアレンジメントは意外と壺が大事である。壺と一体化して花が映えることに気づいた、すると壺をいろいろ用意する必要がある、でも壺は高いからそんなにそろえられないだろう。自分が買ったのは安物だけど別に関係なくいい壺があった。
通販で買った、今はこういう点では便利である。何か買い物も自転車だとなかなか原町でも相馬市でも行けない、何か疲れるようになったからだ。
通販だとボタン一つ押せば配達してくれるから助かる、でもこういうのは買い物の楽しみがないというもいえる、ただ車がないと通販は便利だなとつくづく思う
重いものになると自転車では運べないということもある。
買い物のに関しては田舎でも不便はない、確かに実物をみるのが一番いいがそれができないにしても通販で買えることは田舎と都会の差をなくしたのである。

自分は都会には住めない、人ごみもいやだし騒々しいし嫌なのだ、前からそうだったけど老人になると誰でも都会は嫌になるだろう。
イギリスの貴族が田舎に土地をもつことだというときその意味がわかる
gentleman とはgentle とは静かな穏やかなという意味だからである。
都会ではgentle man にはなれないからだ。
冬の貴婦人ではないが本当の貴族は田舎に住むべきなのである。
田舎でイングリッシュガーデンのようなものを作り住める人が豊かな生活だったのである




八輪の牡丹

八輪の牡丹が我が庭に咲く
朝の光を吸い爛漫と咲き誇る
その栄えを誰が受けるのか
この家を築いた父と姉と母
しかしみな死んでいない
時にその牡丹の前にいる
明るく輝く咲く牡丹の前にいる
八輪の豊穣な牡丹
その前で満面の笑み
その家を栄えさせるもの
家々にその謂れがある
そを受け継ぐものは幸いなれ
ある町に一つの家が栄える
それには謂れがある
しかし富には何か呪いが隠されている
故にこの世の栄はつづかない
その豊穣の富を受け継げない
その後に石の陰にひっそりと
冬の貴婦人が咲いている
薔薇の花も華やかにいろいろ咲いたが散った
ただこの花はいつまでも咲いている
これは薔薇の花とは思えない
それから夏蝋梅の広い葉陰に咲いている
ただ一人自分だけがこの家を継ぐ
その日はまだ長いかもしれない
ここにじっくりと腰をすえて
その余生を実りあるものにしたい
花は尽きず咲いている
その花にあきることはない
それだけ花は豊富である






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