2017年06月19日

隣の原町駅の駅員が盲人の補佐に呼び出されていた (障害者も特権化することの反発がある)


隣の原町駅の駅員が盲人の補佐に呼び出されていた

(障害者も特権化することの反発がある)


JRや私鉄の各駅に障害者用のエレベータが設置されるようになったのはここ数年です。
公共の場では道を開けてもらって当たり前。
エレベーターなどではボタンを押してもらって当たり前。
どこでも優先されて当たり前。

最後に彼らは自分たちが苦情を言うと何でも通るとわかっています。なぜならどの企業も障害者団体から訴訟を起こされると企業イメージを損なうため、障害者の苦情は1秒でも早く解決するからです。


駅で今日は原町の駅員がきていた、盲人が一人通勤している
その人を自分は電車まで導いた、でも時間がずれてしなくなった
2時半の電車で帰っているみたいだ

駅員はこの盲人に呼び出されてきたのである。すぐにまた電車で原町に帰った
あの一人の盲人のために誰か補佐する人がいないと盲人にとっては困る
それで原町の駅員を呼び出しとなる

盲人の団体では無人駅化に反対している、電車に乗るのは見ていると確かに危険なのである。だから補助が必要になる、電車の問題は長く止まっていないとういことがある
早く乗らねばないなとあせることになるからそれも問題なのである。
では一人の盲人のために電車を長くとめたりできないのである。
盲人にとってはスローな社会が生活しやすいのである。

ただ電車を利用しているのは一人だけである。その人のためにだけ補佐が必要になる
駅員がいれば別に補佐しても苦にはならない、一つの全体の仕事のなかでこなせる
でも駅員がいなくなると原町駅からわざわざ電車できて補佐してまた帰ってゆくとるなると時間がかかるのである。その一人の盲人のために時間をさくことになるからだ。
これも問題だなと思った。
自分は主に昼間よるけど駅にいつもいるわけではない、ただその盲人は2時半頃の電車に乗ることはわかったのである。だからその時間に行けば自分が導くことができる
でも定期的にその一人ために時間をさくとなると大変だなということもある

そこで問題になるのが障害者が優遇されているとかで普通の人からかえって健常者が逆に差別されるという問題が起きている、障害者でも何かそういう特権を得た者は今の社会では弱者ではない、強者になる
その不満も大きくなる、そういうことはこの辺の原発事故でも起きていたのである。
原発避難者は特別扱いになった、南相馬市では小高が仮設に住みいたりつくせりに手厚い補償がされたのである。
それに鹿島の人たちは不満だった、補償金も少ないし福祉関係でもいち早く打ち切られたのである。それで原町の人が鹿島に同情したというのもそれがあまりにも鹿島の人たちが差別されたからだとなる
福祉関係くらい平等にすれば良かったとなる
そしてボランティアが仮設には小高にはおしかけてきた、でも鹿島の人には何の援助もなかったのである。
その時自分は自分の病気と介護で四苦八苦していたから余計に不満になったのである。

ただこういうことを言うと小高の人であれ避難した人は集団化しているから怒る
お前は情もなにもないのか、そんな奴が今の社会で許されるのか、断罪すべきだとなる
何か現代社会はそうして弱者が特権化すると強者になるのである。
そういう人たちに対して何もいうこともできなくる
マスメデアもNHKでも原発避難者側にたちかわいそうだとして放送するから余計に特権者になるのである。

一方で格差社会になり派遣とか底辺層が増える、そういう弱者に対しては社会は冷たい
健常者である弱者に対しては自己責任だとかなんとか厳しいのである。
現実自分は弱者化したとき徹底して自分が病気で身体障害者になっていても一切同情はされなかった、ただその弱者化したことで責められるだけだったのである。
つまり現代は健常者に対しては弱肉強食の世界である。
でも一端障害者になると特権化するのである。
だからこういう社会になると障害者がうらやましいまでとなる
アメリカでも黒人などマイノリティがあまりに優遇されているから底辺化した白人層が逆に差別されているとかでトランプを支持したのである。

いづれにしろ一人の盲人のために駅員がいちいち隣の駅が来るというのもそれだけ障害者に労力を使っている、障害者用のエレベーターを作るのも金がかかる
もし障害者が多いならそれほど感じないが割合にしても鹿島では一人だけである。
その一人のために払う労力が大きいのである。

ただ江戸時代でも盲人は幕府から保護されていたから特権階級にもなっていたという。
それは今だけの問題ではない、ただ江戸時代にそんな特権を与えていたというのは意外だった、江戸時代はともかく盲人が全人口の八パーセントくらいいたとか多いこともあったそれだけ数が多いと社会問題になる、それで特権を与えたということはあるだろう。
栄養不良で盲人になる人が多かったのである。

ただ言えることはそうして一人の障害者のためにこれだけ労力を払うということは社会に余裕があるからである、一方で盲人団体恐れて企業イメージを悪くするということでそうするともある
やはり盲人団体とか今は背後に必ず団体がありそうした団体に所属していると保護されるとなる、それは圧力団体となるからである。

駅というとき鉄道でもこのうよに毎日のように何かあり来ている、維持するだけでも手間がかかり労力がかかる、その割には収入は少ないのである。
この盲人の一人のために何かするというとき駅前の暇な老人でも手助けすればいいともなる、そういう人がいるからだ、それはすぐ駅前なのである。
この障害者の問題も複雑なのである。
その障害者は何か仕事のために来ているらしい、だから社会にとって無駄な人は言えないあの人は30頃から目が見えなくなったので社会のことはわかっている人である。それでもその一人のためにさく手間と労力が問題になる
JRでは収入が少ないから人員を極力減らす、そのために無人駅を増やしているからである

障害者というとき老人も障害者になってゆくのである。そのことは前にも書いた
老人は病気でなくても杖ついて歩いたりと障害者とにてくるのである。
認知症の身内を介護したけどそれも精神障害者なのである。
その認知症が(2025)年には約700万人、65歳以上の5人に1人になると見込まれている
この数は空恐ろしい数ではないか?
高齢化社会とは障害者社会にもなるのである。
人間は最終的にみんな障害者になってゆく、だからつくづく介護していて障害者の問題は健常者のものだけではない、なぜなら健常者も老人になると精神的にも肉体的に障害者となってゆく、だから障害者と高齢化の問題は現代の縮図でもあるのだ

駅にエレベーターが必要だというときそれは障害者のためだけではない、老人は階段を上がりまた高架の廊下をわたってまた階段をおりて電車に乗ることが結構辛くなる
実際に老人は誤って階段から落ちて大けがしたのを知っているからである。
つまり障害者にやさしい余裕ある社会は高齢化社会になっても老人には住みやすいとなるのだ
ただ健常者からするとその高齢者の手厚い保護に反発するのは障害者特権に反発するのとにているのである。
障害者とうとき高齢化社会ではみんな最終的に障害者になる可能性が強い社会なのであるだから今や障害者の問題は極一部の人の問題ではない、国民全員の問題になるのである。
こうした障害者の反発と高齢化で老人に反発するのは同根なのである。老人だけがなんで死ぬしかない役立たずになんでこなんに税金を使うのかという反発は似ているのである。
だから高齢化社会の問題と障害者の問題は共通なものとして自分は認識したのである。

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