AI化と原発事故
(人間の判断も必ず誤るそして責任を問われる)
AIの判断でも人間の判断でも必ず誤る、でもAIの判断は機会の判断はミスは責任が問われない、間違いましたとかで終わりである。人が死んでもそうである。
人が何万人とか死んでもAIの判断が間違っていても責任はとらない
責任をとるのはAIを作り操作する人間なのである。
医療関係では病院では医療ミスがさけられない、だからそのミスに備えている
人が医療ミスで死んでも責任が問われないようにしている
医者の責任はそれだけ重いから責任逃れをする体制を整えている
だから医療ミスがあってもたいがい病院が権力があるので逃れられるようになっている
医療ミスで死んでも裁判で勝ち目ないとなっている
それだけ医療ミスを恐れているからそういう体制をとっている
これを原発事故で考えると一旦事故が起きたらこれだけの重大な被害があり責任が問われる、でも原発事故では病院のように医療ミスが起こることを想定していない
「安全神話」が作られて事故は起きないとなっていたから病院のようにそうしたミスが起きたらどうするのかということは念頭になかったのである。
でもAIでも人間の判断は必ず誤る、ミスは起きる、これはどんな世界でも確実なのである確率的にも医療ミスでも交通事故でも飛行機でも工場でもなにかしらミスがあり事故が起きる、それはもうさけられないのである。
原発だけが事故が起きないなどありえないことだったのである。
でも事故が起きたらどうするのか?そういう対策は全くしていなかったのである。
なぜなら事故は起きない「安全神話」を作っていたからそれに備える必要がないからだ
これだけの被害にあったときその責任が70兆円も廃炉にかかるとかもう日本が傾くくらいの責任があった、となると原発を作るとき簡単にはできない
医者は医療ミスが起きても問われないようにしているから手術もできる
それだけ命にかかわるからそうしているのである。
ともかくAIが判断するにしても人間が判断するにしても必ず誤りがありミスがある
するとそのミスに備えることが不可欠なのである。
そのために保険をかけることもある。
でもなぜか原発はそういうことをしなかった、備えなかった
それは「安全神話」を作ったためにそうなったのである。
安全神話となればそれは宗教ともなる、信じるか信じないかになる
要するに事故のために備える必要をなくさせたのが安全神話だったのである。
それは政治とかマスコミとか科学者が一体となり作ったものだったのである。
そもそも原発は一旦事故が起きたらもう国が滅びるほどのものだからそれに備えることもできない、だからこそ安全神話が作られて行われた
それは戦争でも神国だから勝つというのではじめられた
負けることは想定しない、でも負けることもありうる、でもそれを想定しない
なぜなら神国だから勝つとなるからだ
だから負けたらどうなるのか戦争したらどうなるのか、その犠牲は甚大になるものを想定しないのである。
そういうことを想定したら戦争も原発もできないからである。
どんなことしたってAIであれ人間であれ判断は誤る、ミスはある
これこそ確実であるからこそもし戦争に負けたらどうするのか、その責任はどうするのかを考えねばならなくなる、現実に3百万人の死者の霊をどうするのか未だに議論されるのもそうである。その責任をどう果たすのかということが問われる
どこの墓でも戦死した墓があり階級が記されている、それは日本のために戦い死んだという誇りがあって当時は墓に記したのである。でも今それが誇りになっているかというとなっていないのである。
要するに何をしてもいい、でもその責任の重さを自覚してやるならいい、一旦事故が起きてもその責任とれるならいい、でもその責任がとれない、保証しないとなるとどうなるのか?AIだったら責任は問われない、人間は問われるのである。
戦争でなくても原発事故でなくてもAIが判断しても人間が決めるのだから人間は責任から逃れることができないのである。
だから人間の判断は誤る、ミスが起きる→それに備える
このことが必要であり保険が生まれる、もしそうしたことが備えもできないとしたら責任を負えないとしたらやるべきではないとなる
病院で死ぬのは社会的にその家族とか怒りになるだけかもしれない
でも戦争とか原発事故になると被害がその国土にも及び原発事故だと水も飲めない、土は汚染されて食料もその土地から得られなくなる、木材も使えないとか生活の基本になるのものが汚染されるから住めなくなるのである。
人は死んでいないと言っても人は住めなくなるのだからその被害は甚大なのである。
その責任をとれるのかと今になると問われる
もはや実際にその責任はとれないのである。元にもどるには何十年かかるとかそれよりプルトニウムの毒が放射線が消えるには二万年かかるとかなると住めなくなるほどの被害だったのである。
これからも日本で原発をつづけるというときこれだけの責任が負う覚悟でするのかと問われる、科学者は実際に原発にたずさわった学者は武田邦彦氏は今度は住民も原発を作らせるときその覚悟が必要だと言っている
この辺のようにもう故郷に住めなくなる覚悟で作らせて事故が起きたら今度は今回のような手厚い保証ないという覚悟でするべきだと言っている科学者がこういうのも無責任だが住民にもそういう覚悟で責任をとってもらうということなのである。
でもその責任の範囲は広範囲になるしさらなるもっと大きな被害になったら日本の国土が汚染されて住めなくなるのである。
つまり戦争の時のように日本国民がその責任を負わせられるのである。
その覚悟が国民にあって原発を継続するのかともなる
結局責任は戦争の時と同じように指導者は戦争をすると判断したものはとらない
国民がとらされるのである。3百万人の死がその責任だったのである。
国民自体がそういう重い責任があり覚悟しているのかとなる
責任が希薄だから戦争でも原発でもはじめる、でもその後に戦争に負ける、事故があり
その責任が国民にも回ってくるのである。
責任が比例して地位があり給料が高いのも仕方がない、それは責任ともなっているからである。政治家でも科学者でも官僚でも東電の幹部でもなんでも責任が重いから給料が高いのである。それは責任をとるということでそうしている
掃除している人とかいろいろな仕事があってもたいして責任がないものもある
銀行とか会社でも大金が横領すれることがしばしばある、でも責任はそれほどとらない
一方で百円盗んでも刑務所に入れられたりもする、江戸時代は五両盗んだら首が飛んだ
金の額でそうなっていたのである。
だから金をもっているだけでまた責任が問われる、遺産でもなんであいつはあんな金を親からもらえるのだとなり責任が問われる
実際に仕事でも10万で仕事させるのと20万で仕事をさせるとき20万の方が責任が重くなるもし五万で引き受けたとしたら何か手抜きとかまずいことがあっても5万なんだからしかたがないとなるのである。金の多寡によって資本主義社会では責任が問われているのである。
それで江戸時代の侍には庶民はなりたくなかった、侍は切腹して責任をとらされるからである。それを見ているから気楽な庶民の方がいいとなっていたのである。
いくら地位があっても嫌だとなるのが普通なのである。
現代ではそうした責任感覚が希薄になったがやはり以前として責任は必ず生じる
AIは責任をもたないが人間は責任をとらされるのである。
そこがAIと人間の根本的な相違だったともなる。
いづれにしろ人間には責任がつきまとっている、犬猫を飼うにも捨てないでちゃっと飼いとか言われるから簡単に飼いないともなる、発言するにもインターネットなどは責任がないとういけど何か読まれる数が増えると責任が出てくるとなる
それでマスコミでは大勢の人が見るから影響力が大きいからマスコミ自体が批判されるようになったのである。
報道するとか出版するとか何かを公にするとき責任が生まれる
ただ普通はそういうことはできないから発言もできないから発言できない人は責任もないとなっていたのである。
今になるとマスコミが批判されるのはそれだけ大勢の人に発言する権利をもっていたからである。マスコミはただの媒介するメデアではない、マスコミ自体が大衆を操作する洗脳するメデアだったのである。だからこそその責任が問われる
発言できないものは責任はないからである。
批判は自由である、でもまたそこに責任がともなってくるのである。
インターネットは責任がないという時代もあったがやはり責任を課せられるようになっている、発言する権利を得ればそれとともに責任も生じてくるのである。
【福島原発事故関連の最新記事】
- 原発事故の失敗の原因 (急ぎすぎた..
- 処理水は安全なのかー 科学的公正さが追求..
- 処理水放出は安全なのかー東京の為に犠牲に..
- 処理水が安全なのか信用できない (..
- 放射性物質を海に流す問題 (漁業者..
- 原発事故の原因の真相 青山繫晴..
- 科学技術は万能ではない (地球はも..
- 2022年に漁業法が改正されていたー原発..
- 原発事故危害地域の予算は国がなお援助して..
- なぜ危険な原発がやめられないのか ..
- 原発事故の多額の補償金が復興を阻害した ..
- 春の日大工とともに家を直す (仕事..
- 東日本大震災から12年 (避難区域..
- 福島6町村の復興再生計画、事業完了率10..
- 原発再稼働の問題 (まず東京に原発..
- 政経東北はなぜ渡部恒三を持ち上げるのか?..
- 大アマゾン 最後の秘境―NHKスペシャル..
- 浪江町の大堀へ行くー10年過ぎても悲惨 ..
- 真野川に鮎が上っていた (天然の鮎..
- 新田川で鮎釣りしている人がいた (..